私は妊娠18周あたりから4か月もの間、ずっと入院生活を送っていた。
36歳の時に、子宮頸部異形成で子宮頸部円錐切除をしているので早産のリスクがあった。
予想を裏切らず、やはり18周目で子宮口が少し開きはじめて、産むまで点滴、ベッドの上で安静にしている生活がはじまった。
結果は、約1か月ほどの早産で体重2545kgの元気な女の子が無事に生まれてくれた。

定期健診で子宮口が開き始めているのがわかり、そのまま即入院し、点滴。
少し様子を見ようとの事だったので、きっと2、3日点滴をして安静にしていれば退院できるなんて軽く考えていた。
毎日、毎日、診察台にて診察を受けても、変わらず開いたままの子宮口・・・
結局、私に「母子手帳をもらってきなさい」と言ってくれた産婦人科医院で22周に入るまでの約1か月入院生活を送り、
その後は周産期母子医療センターのある総合病院へ転院となり、その病院で3か月の入院生活を送った。

 

産婦人科医院での1か月の入院生活では様々な妊婦さんたちと出会った。
みんな私よりも若かったけど・・・

破水して入院し、夜中に赤ちゃんの心音が聞こえなくなってしまった若いママもいた。
つわりがひどくて激ヤセしてしまったママ。
入院している私が眠れないほど、大声で叫びながら出産するママ。
そこで、一番つらかったのは、もうすぐ2人目を出産する予定のママたちが話す自分達の子供の会話や、一度目の出産の話だった。
流産するかもしれず、また子供を諦めなければならないかもしれない私には、笑って一緒に会話に加わる事はできなかった・・・

妊娠してもしなくても、いつも他人の芝生が青く見えてしまう私だった。。。(;^ω^)

転院の話を聞いた時に、冷静に考えれば、22周を過ぎたので、もし出産してしまったとしても周産期母子医療センターであれば、子供を助けられるという配慮からなのに、私はこの産婦人科では手に負えないから他の病院に移されるのかな・・・と、ここでも被害妄想が働いた。(;^ω^)

 

転院の日、人生初となるサイレンを鳴らした救急車に乗り、不安なまま周産期母子医療センターのある総合病院へ運ばれた。
救急患者を対応する部屋に運ばれ、あれよあれよという間に名前、状態、この病院の服に着替えさせられ、点滴の針を外された。。
私を運んできてくれた救急隊員の方が帰り際、「丈夫な赤ちゃんを産んでください。」と大きな声を掛けてくれた。
無事に出産できるかどうかもわからず、知らない病院に連れてこられ、見慣れない看護師さん達に囲まれて、不安になっている私は、その言葉を聞いて泣きそうになってしまった・・・けれど、泣きだす訳にもいかず、グッと涙をこらえた。

 

この日から私の約3か月におよぶ入院生活が始まった。。。