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『国土経済論(後編)①』三橋貴明 AJER2018.2.27
https://youtu.be/d1Wb6lbcE4I
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一般参加可能な講演会のお知らせ

これからのワークスタイルの変革~中堅・中小企業のピンチをI o T でチャンスに~

【日時】平成30年3月28日(水)14時30分~17時00分(14時より受付開始)
【会場受付】オークラフロンティアホテル海老名(海老名市中央2-9-50)
【定員】先着80名(定員になり次第、締切となります)

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 中野剛志氏、佐藤健志氏、柴山桂太氏、施光恒氏が東洋経済で鼎談をされました。


【「衰退途上国」日本の平成30年史を振り返る リベラルはなぜ新自由主義改革に賛同したか】
http://toyokeizai.net/articles/-/212812


 現在の名古屋の繁栄は、江戸時代の徳川宗春に始まります


 尾張藩主であった宗春は、徳川吉宗の「享保デフレ」の時代に、幕府の方針に逆らい、尾張藩の「政府支出」を拡大することで、名古屋繁栄の礎を築いた人物です。後に、吉宗との対立が激化し、宗春は蟄居させられることになります。


 元禄バブル崩壊後に幕府の財政が悪化し、八代将軍の座に就いた吉宗が「節約」を貫いたため、国民経済はデフレーションに突っ込みます。特に、コメの価格が下がっていったことは、石高で報酬を受けとる武士階級を直撃しました。


 カネを使うことが「悪徳」とされた時代、幕府の手元に通貨は積み上がったものの、街は寂れ、誰もが貧困化していきます。


 何しろ、「銀行」が存在しなかった時代です。幕府が通貨を貯め込むと、その分、丸々マネーストック(ここでは社会全体で流通するおカネ、の意味)が減ってしまいます。経済がデフレ化して当然です。


 そんな中、宗春は政府の緊縮財政に逆らい、支出拡大で名古屋を繁栄へと導きました。現代から見ても、真っ当な「経済観」を持っていた宗春ですが、名古屋の繁栄が吉宗の癇に障り、最終的には失脚する羽目になりました。


 宗春と吉宗の対立を描いた小説に、海音寺潮五郎の「吉宗と宗春」(文春文庫)があります。「吉宗と宗春」は、元々は「風流大名」というタイトルで、1939年から翌年にかけて連載されたものです。


 海音寺は吉宗の緊縮至上主義に対し、批判的に「吉宗と宗春」を書いており、例えば宗春に、


「金は天下の廻り持ちという。金銀が滑らかに天下を廻ってこそ、人の生活は豊かになるのだ。倹約、倹約で、人々が握った金銀を一切手から離さないで握りづめにしていては、世の中どうなると思う。金銀が金銀の役目をせぬばかりでなく、町人も、百姓も、職人も、その仕事はとんと上がったりになってしまうではないか。天下中の者が食べるものを倹約し、飲むものを倹約するようになれば、食物を作りだす百姓が困り、酒を造る酒屋が困る。天下の人が残らず着るものを倹約するようになれば、蚕を飼い、麻をつむぐ百姓が困り、織屋が痛む。運送の仕事にあたる馬子船乗りも困れば、売買いの間に利鞘を稼ぐことによって立っている商人も困る」


 と、語らせています。


                                                          


 さて、宗春が書いた「温知政要」を、戦後の日本近世史学者である大石学氏が現代風に訳し、1996年に海越出版社から刊行されました。


 大石氏が解説において、吉宗の政治を「大きな政府」、宗春の政治を「小さな政府」と表現していたため、吃驚してしまったのです。さらに、大石氏は宗春の政治について、

「吉宗と宗春の政治のうち、庶民の多くが支持したのは、規制緩和や個性尊重をうたった宗春の政治であった」
 と、断言してしまっています。


 個性尊重、という言葉(宗春は使っていません)が登場した時点で、「戦後の匂い」が感じ取れるわけです。

 確かに宗春は温知政要において、増え続ける法令について批判を展開しています。とはいえ、宗春の財政拡大政策は、どちらかと言えば「大きな政府」です。と言いますか、ケインズ主義そのままです。


 逆に、吉宗の節約至上主義、幕府の金庫に貨幣を積み上げ、支出に回さない政策は「小さな政府」です。


 そもそも、両者の政治について「大きな政府」「小さな政府」という単純論で語ることが間違っているように思えるわけですが、いずれにせよ大石氏の解説は「規制緩和礼賛」「小さな政府礼賛」になっており、戸惑ってしまったのです。


 海音寺潮五郎が「吉宗と宗春」を書いたのは、高橋是清によるデフレ対策が行われた数年後になります。是清は226事件で暗殺される前に、自著において、


「仮にある人が待合へ行って、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。これは風紀道徳の上から云えば、そうした使い方をして貰いたくは無いけれども、仮に使ったとして、この使われた金はどういう風に散らばって行くかというのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部分となり、また料理に使われた魚類、肉類、野菜類、調味品等の代価及びそれらの運搬費並びに商人の稼ぎ料として支払われる。この分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者その他の生産業者の懐を潤すものである。而してこれらの代金を受け取りたる農業者や、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住その他の費用に充てる。それから芸者代として支払われた金は、その一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、その他の代償として支出せられる。」


 と、書いています。海音寺の小説における宗春の台詞は、期的に是清のレトリックを参考にしたのではないか と推測しています。

 実際にデフレとデフレ脱却を経験したため、戦前の人々は宗春の財政拡大主義の本質を理解していたのでしょう。それが、96年には歴史学者(大石氏)が「規制緩和礼賛」「小さな政府礼賛」のために宗春を取り上げるようになったのです。


 なぜか。


 結局、戦後の自虐教育などで、「政府」と「国民」が対立概念として理解されるようになり、「政府は悪いもの」といったイメージが国民に浸透したのでしょう。


 というわけで、戦前は「経済の本質を理解していた宗春」だったのが、戦後は「中央政府に逆らい、規制緩和を断行した英雄」として、規制緩和推進論者に活用されるようになったと推測します。


 冒頭の鼎談で、佐藤氏が、
「1990年代以降の日本では、「旧態依然の日本的なるもの」が否定の対象となりました」
 と、語っていますが、大石氏にとっては吉宗の政治がまさに「旧態依然の日本的なもの」に映ったのではないでしょうか。


 つまりは、戦後というか90年代以降、右も左も「構造改革礼賛」「規制緩和礼賛」になってしまったのは、政治家、言論人、学者、そして国民に日本国憲法的な「政府否定」の精神が浸透してしまったためではないかと考えるのです。


 政府否定は、グローバリズムに繋がります。というわけで日本では朝日新聞と産経新聞が、そろってグローバリズム礼賛になっているのではないか


 ちなみに、わたくしは政府が大きかろうが小さかろうが、規制を緩和しようが強化しようが、財政を拡大しようが縮小しようが、国民が豊かになる経世済民が達成できるなら何でもいいです。とはいえ、多くの国民はそうは思わないでしょう。


 政府は小さくあるべきだ。規制は無くすべきだ。政府はムダな支出を控えるべきだ。と、ドグマ(教義)的に思考してしまう国民がほとんどなのではないか。


 そして、その理由は戦後の「政府否定」的な自虐教育、日本国憲法制定にさかのぼれるのではないか。

 と、考えたとき、我が国が抱える問題がいかに厄介か、改めて理解できるのです。

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