こんにちは、大木です。
まだ幼木の 桃の蕾がずいぶんふくらんできて、いまにも咲きだしそうです。
しかし 横の アーモンドの幼木はどうも元気がないようです。
植物も個々にさまざまな器質がそなわっているのでしょうね。
アレルギー症状が蔓延していますが、
みなさん、いかがおすごしでしょうか?
ぜひ、井穴刺絡療法で副交感神経の昂奮をおさえて この季節をのりきりきましょう。
- - 世界は、何やらキナ臭い あやしい雲行きになってきたようですが、
この国では、各界の病理的な方々が自覚もなくつぎつぎと破綻してゆく姿が
映しだされていて、そろそろ末期的な時代の様相をあらわしてきています。
- - さて、今回も
きょうの箴言シリーズより - - -
「 - - 「われわれは、正しく人を裁き得ない。
罰することが赦されるほど 人は善人ではないからだ。」・・
たしかにそうもいえるし、
また、冤罪という罪を犯しかねないわけだ。
だが、
それでは被害者の憤りは 行き場をうしなう。
だから司法が算術で量刑を「相場」で量ることになる。
相場とは その世相を反映した時代的価値とは乖離した
積み上がった判例のつき合わせの場にほかならない。
このようにチマチマとした司法裁量に見合うように
犯罪もまた 過剰に自己に固執する者の妄想が表現されることになっている。
病理妄想をどのようにも理解できないまま 無理に
判例の中に解答をもとめては 誤謬をかさねるばかり。・・
われわれの先人たちは 共生のためのタブーから
かくも殺伐とした判例にまで行き着くと、おもっただろうか?
いつの時代にも 共同体はみずからの内に
「狂気の者」を生みだすことで危機の局面を察知して生きのびてきたのだが・・。
わたしたちの時代の病理は すでに蔓延し
真の「狂気の者」を生みだすべき自然の人類の能力をも喪失してしまったのかもしれない。- - - 」
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