世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●世捨て人になりたいような政治の状況 カオスの世界は現実離脱に繋がる

2014年04月22日 | 日記
世界の運命 - 激動の現代を読む (中公新書 2114)
クリエーター情報なし
中央公論新社


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●世捨て人になりたいような政治の状況 カオスの世界は現実離脱に繋がる

 今日は筆者の独白なので、読まなくても構わない、と事前に申し上げておく。さて、今の世界を眺める場合、どの国、どの地域の情報をキャッチアップしておいた方が良いか考えておこうと思う。無論、筆者の個人的考えなので、嫌中、嫌韓に血道を上げている人々に向かって語る気はない。あまり昔に遡って、歴史的にどうこうと語るつもりもない。今の状況とこれからだけを中心に考えてみる。歴史は繰り返すと云う言葉があるが、一部当たっているだろうが、生活者にとって、それは歴史と云うよりも、やはり、新たな世界が始まった、と受けとめる方が判りやすい。

 世界の多くの論者の話を聞いたり、書物を読むにしても、欧州、米国、ロシア、日本の四つの国の知識人の考えが、好むと好まざるにかかわらず、我々の耳に入ってくる。人によっては、日本だけの情報の中でグルグル回っている場合もある。ロシアの情報も排除している場合も多いだろう。中国の情報も、精々NHKが流す中華人民共和国外交部報道官の高飛車で歯切れのいい中国語を聞かされる程度である。中国人による、現代中国の分析も、言論の自由の制限や言葉の壁によって、得られる情報は非常に少ない。日本で売られている嫌中、嫌韓類の書物は、感情の劣化層に必ず売れる本と云うマーケティングで売られている本であり、漫画原作の映画と同様だ。精々『おどろきの中国』(講談社現代新書)くらいのものだが、これも現在の中国を確実に指摘しているとは言い難い。

 中国や韓国の経済を扱っている書物は多いが、経済だけで、その国の実態をすべて把握しようと云うのも乱暴すぎる。我々の耳に入りやすい情報は、欧州、米国、日本である。時々、中露韓の情報も入るが、なんらかの事象、現象にスポットを当てたものが多いので、その一部を見ているに過ぎない。結局、よほど興味を持ち探さない限り、欧州各国、ロシア、中国、韓国など、かなりの関係がありそうな地域の情報すら僅かであり。また偏った情報に満たされている。比較的、関係がありそうな地域でさえ、このような状態なのだから、アフリカ大陸、南米大陸、中東地域の話になると、戦争と飢餓と災害の場合を除き、情報は皆無と言っていいだろう。

 つまり、我々日本人の多くは、日米の関係だけを考え、歓んだり腹立ったりしているだけで、事足りる時代を過ごしてきたと云うことだ。そして、これからも、それが一番楽に違いない、と思っている傾向が強いのだろう。半ちょろけな情報や言説に惑わされ、コウモリのような醜態に比べれば、親米主義を貫く方が楽であり、これからの50年くらいはセーフな考え、という理屈はかなり妥当だ。この50年が、100年に延長されたり、30年に短縮されることもあるだろうが、50代以上の日本人にとって、切実な問題ではないと云うのが正直な気持ちに違いない。

 国内の景気が好いか悪いか、雇用状況はどうか、年金は幾らもらえるか、病気になった時は大丈夫か、持ち株は上がっているか、税金は今後も上がるのだろうか、今日の案件はまとまるだろうか、35歳の息子はちゃんと生きていけるだろうか、30歳の娘は嫁に行けるだろうか、今夜のおかずは何にしよう、今夜のおかずはなんだろう等々を考えるだけで、日がな一日は暮れてゆく。上述のような生活が続くのが、一般的生活者の日常だ。特別悪者でもなく、普通に生きているだけで、他人様からとやかく言われる筋合いではない。政治家だって、役人だって、裁判官だって、仕事のかたちが違うことで、生活のリズムや形態は違うが、似たようなもので、自分が生きていくであろう将来分しか、真剣に考えることはない。それが人間だと言ってしまえば、それまでのことだ。

 “自分が生きていくであろう将来分しか、真剣に考えることはない”と云うのは、9割以上の人間に当てはまることで、死んでからの、自分への評価、国の行く末や、祖先の行く末に思い至る人はごく僅かだろう。それらの人々も、今の自分の考えを正当化するために、将来や未来を心配そうに語るのであり、そのリアリティは甚だ怪しい。こんな風に、世の中や人間を考えてしまうと、すべての思考や行い自体が馬鹿馬鹿しいものに思えてくる。日々、たいして読まれもしないコラムを書くことに意味がないことも判ってしまう。自己満足で書いているつもりだが、その勝手な自己満足さえ怪しく思えてくるから不思議だ(笑)。

 こういうことを考えたり思ったりしていると、俗世に別れを告げたい気分にもなる。勿論、意味なく命を重んじる筆者の場合、命を自ら断つ意志はさらさらないので、生活者としての意識のみを捨てる欲望のようなものに捉われる。多分、こういう気分になった時、流行作家であれば、歴史小説や宗教関連の世界に嵌りこんでいくのだろう。そんな気分で、今の日本の状況を考える時、日本人ではない立場が大切になってきているように思えてならない。なにやら禅問答を独りでぶつぶつ語っているようなコラムになったが、今後も、このような心境が激変することはないだろう。故に、今後のコラムでは、日本の政治の枠組みを離れたテーマが増えることになりそうだ。どこまでも、勝手気ままに書いていくことにしよう。本日は独白ばかりで申し訳ない。

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