世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●年金をいい加減に計算してみた 夫婦で月額22万也、乗り切れるか?

2014年04月19日 | 日記
だから日本はズレている (新潮新書 566)
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●年金をいい加減に計算してみた 夫婦で月額22万也、乗り切れるか?

 老後の生活費の命綱となる年金が、何歳の時から、どの位入ってくるかは、人それぞれ軽重はあるだろうが、心配事のひとつだ。あまり、深く考えることがない日常だったが、以下の川口マーン恵美氏のコラムを読んでいて、幾分気になったのでアバウトに計算してみた。筆者の場合満65歳になった暁には夫婦で、月割りすると最低でも22万円はあるに違いないことがわかった。今現在の生活基盤に住み続ける前提で、家計が成り立つかどうか、軽く考えた。

 個人主義の筆者はまず、自分の小遣い部分を先に考慮した。ガソリン代が月3万円、タバコ代が1万5千円。携帯・スマホ代が1万5千円、遊興書籍代が5万円。あれれ、個人部分だけで出費合計は11万円になってしまう。自宅はマンションでローンは完済しているので家賃はゼロだ。ただ、駐車場込の共益費と云う出費が約5万円ある。つまり、220,000-110,000-50,000=60,000円也となる。問題は6万円で、他の支出を賄えるのか、食品、光熱費、医療費、衣服費。明らかに無理なようだ。これは大病を患わない前提だから、病気入院などが臨時出費したらアウトである。

 倹約は可能かといえば、十分可能だ。まず、自動車を売ればいい。駐車場の25,000円が消える。ガソリン代の15,000が消える。無論、臨時出費の保険料や車検費用も消える。つまり、40年以上継続した車生活を捨てれば、最低でも月4万円浮く。女房に渡す生活費が、6万から10万に化ける。10万円なら、切り切り生きてけるのだろう。なんだか、まじめに考えると、何とも味気なく生かさせて貰っているだけの老後と云う感じがしないでもない。仮に、サラリーマンだけの生活習慣で生きていたら、こんな調子の家計簿になるのだろう。無論、滅多ことでは介護を受けることも出来ないし、入院などもってのほかである。

孫に小遣いなど一切渡せない。不祝儀の多くも見て見ぬふりしたくなるだろう(笑)。衣服の類いは、今までの服で我慢するか、ユニクロ三昧になる。筆者の場合、厚生年金への加入者であり、フリーの職業による収入があるので、実態はももう少し厳しくないよだが、我が上の兄弟約二名の生活を見る限り、概ね、そのような生活のサイクルに入っているようだ。今後。国家財政の喫緊度では、65歳の支給年齢が引き上げられる可能性はある。70歳だ、75歳、80歳だと云う声も耳にする。

 健康保険の窓口負担も増えることはあっても減ることはない。介護保険は受ける前にも払い、受給資格年齢に達してからも払う。少子高齢化現象は最近気づいた話ではなく、40年以上前から把握できた生産人口の不足なのだ。日本の年金制度が、積立型じゃなく、相互扶助型とでも云うのか、現役世代が高齢世代の年金をケアする仕組みになっている。当然、現役世代が減り、高齢世代が増えれば、現役世代一人当たりの保険料負担は増加する。これを増加させないためには、増税を行い、社会保障の穴埋めに使おうと云う理屈が生まれ、いま、消費増税が8%になったわけだ。

 こうやって、ぼんやりこの世のことを考えていくと、経済成長で財政を健全化するなどと云う戯言が真っ赤な嘘だと判っているから、消費増税に血眼になるのだろう。アベノミクスが上手くいくのであれば、増税を柱に、解決の道を探る必要はない。いずれにせよ、老後、国の社会制度で生きていくのは、死なないが愉しみのない余生が残されると政府からお墨付きを与えられているのが事実だろう。つまり、少しでも、老後をエンジョイしたいと思う人、自分の生活の質を落としたくない人は、自助しか道はない。稼げる間に預金を増やし、出来ることなら親の遺産を手にして、宙ぶらりんな資金、1、2億円程度貯めるしかなさそうだ。こんなことを考えていたら、EUの優等生ドイツでは、いま、奇妙な動きが出ているそうだ。以下のコラムを読んでいただこう。

 ≪ 昔を振り返らなければ大丈夫? 少子高齢化の波に逆行するドイツの由々しき年金制度改革 
 老人がどんどん増えていく

  特別養護老人ホーム(以下特養)の入所待機者が52万人もいるというニュースにはビックリした。都道府県によっては、複数ヵ所のホームに申し込んで いる人を延べで計算しているので、数字が吊り上ってしまったという事情もあるそうだが、仮に52万の半分だったとしても膨大な人数だ。
 ただ、ビックリした一方、当然かなと思う気持ちもある。平均寿命が伸び、老人がどんどん増えていくのは、統計に教えてもらわなくても、実感としてわかる。 老人が増えて、子供が生まれない。これが、現代の先進国が抱えている共通の問題だ。本当なら、すべてを、この人口比に合うように根本から変えていか なければいけないのに、改革は遅々として進まない。皆が目の前の利益に気を取られ、深く考えることを止め、すべての負担を将来の働き手に押し付けている。
  可哀そうな将来の働き手が年を取ったころには、膨大な数の老人ホームがあっても、そこに入るお金がなく、たとえ入っても、介護をしてくれる人がいな くなっているに違いない。彼らの祖父母や親は、まあまあの年金とまあまあの福祉を享受し、それでも文句を言いつつ余生を全うして、「後はよろしく」とすで にお墓の中だ。
 残されたのは、大量の国の借金と老人ホームの遺跡? それを見越しているのか、今の若い人たちは、年金も後期高齢者医療も、たいして当てにしていないという。しっかりした人ほど、早くから自助の対策を練っている。

ドイツ経済発展の足を引っ張る重大問題
 ドイツと日本は両国とも、現在、出生率がほぼ1.4。平均寿命は日本の方が少し長いが、これも似たようなものだ。つまり、どちらもまさに同じ"少子 高齢化"問題を抱えているわけだが、現在ドイツでは、こともあろうにそれを無視して、国を滅ぼすような改革が行われようとしている。年金支給開始年齢を 63歳に引き下げるのだ。
  ドイツでは昨年12月より、中道保守のCDU+CSU(キリスト教民主同盟とキリスト教社会同盟)と、中道左派のSPD(社民党)が大連立を組んで いる。CDUとSPDといえば、昔なら、水と油のように相容れることのなかった党だが、今は時代が変わり、事情も違ってきた。資本家対労働者の色分けは雲 散霧消、保守も革新も、皆、じりじりと中心に寄って、主張も政策もあまり変わらなくなってしまった。
 それでも、ドイツSPDの中には、まだかなりの左翼がいるようだ。新しい労働大臣アンドレア・ナーレス女史がその一人で、搾取されている労働者を救 うという信念のためか、年金支給開始年齢の引き下げという亡国の政策を、力強く推し進めようとしている。そして、大連立であるがために、ナーレス氏に引き ずられるように、ドイツ政府はその決定に向かっているのだから、由々しき事態である。
 そもそもドイツでは、長い論争の後、年金支給開始年齢を引き上げることが、2007年にようやく決まったばかりだった。今まで65歳であった支給開 始を段階的に遅らせ、最終的に2029年に67歳にするというもので、興味深いのは、この年金改革に一番貢献したのが、労働者の党SPDであったというこ とだ。
  1998年、SPDのシュレーダー氏が、CDUのコール氏から首相の座を引き継いだとき、ドイツ経済は最悪の状況だった。統一の経済的打撃から全く 立ち直っていなかっただけでなく、長年にわたる福祉の垂れ流しの悪影響もピークに達し、失業率は高く、不況から脱出する見込みさえ立っていなかった。
  そこでSPDは、1998~2005年のシュレーダー政権時代、経済の立て直しを図るため、労働者の党とは思えないほどの福祉の切り捨て、企業の擁 護を断行したのである。"アジェンダ2010"と言われる改革だ。年金支給開始年齢の引き上げも、この一環で進められた政策であった。
  改革はそれなりに功を奏し、その後、政権を引き継いだCDUのメルケル首相の下、経済は徐々に立ち直り、以後のドイツは安定した成長の道を進んでいくのだが、現在、二つの大きな懸案があると私は見ている。
 一つは急ぎ過ぎた脱原発のための莫大な出費で、もう一つが、これから決められようとしている年金63歳による莫大な出費だ。どちらも致命的とは言わないまでも、これからのドイツ経済発展の足を引っ張る重大問題だ。

 現実に逆行するドイツの年金改革
 大連立政権が、いかなる理由で、将来の人口動向に逆らって、年金支給開始年齢をわざわざ下げるような愚策に出るのかが、良くわからない。先進国はお しなべて、支給開始年齢を引き上げている。というか、冷静に考えれば、引き上げざるを得ない。そんなことは、中学生でもわかる道理だ。
 他の国の年金支給開始年齢はというと、スペインは27年までに67歳にするつもりだし、デンマークやオランダやアイルランドは、現在は65歳だが、 すでに先のことを考えている。イギリスは男性も女性も、2020年までに66歳、26年から2年かけて67歳まで引き上げ、さらに70歳まで引き上げるた めの案が練られている。
 チェコでは、1977年以降に生まれた人の年金支給開始年齢は、一律に定めず、スライド方式を取っていく予定。スカンジナビア諸国では、支給開始年 齢を、平均寿命の延びに比例してスライドさせることが検討されている。しつこいようだが、これらはすべて、現実に即すために"やむを得ず"行われている改 革である。
 ところがドイツでは、まったく現実に逆行することが進んでいるばかりか、1990年までに子供を産んだ女性の年金も増額される。その上、ナーレス大 臣は、年金に新たなボーナスまでつけようとしている。どんなボーナスかというと、今までは年金支給年齢よりも早くに仕事を辞めた場合は、満額を貰えなかっ たのだが、現在の改定案では、45年間働いた実績があれば、早く辞めた場合でも、63歳から満額が貰えるようになるという。
 もちろん感情的には、45年も働いた人たちには、お金の苦労などさせず、労ってあげるのが人間らしい考え方であるという理屈はよくわかる。誰だって そうしたいのは山々だ。しかし、そんなことを言っていては、そうでなくても何も貰えなくなるかもしれない若い世代の人たちに、もっと負担をかけてしまうこ とになる。各国が年金を出し渋るのは、決して老人を粗末にしているわけではない。
 年金制度を初めて実施したのは鉄血宰相ビスマルクで、それは福祉の先駆けとして画期的なアイデアであった。しかし、当時の年金支給開始年齢は70歳 だった。そして、男性の平均寿命は50歳にも満たなかったのだ。そのあと、第二次世界大戦から立ち直った新生ドイツで、アデナウアー首相は未来の福祉国家 の建設を目指し、年金制度の基礎を固めたが、当時でさえも、人間がこれほど長生きするようになり、しかも、これほど子供を産まなくなるなどとは、誰も想像 していなかった。
 戦後の日本では、戦前の「産めよ増やせよ」の反動もあり、子供を減らすことが先進的な文化であると考えられた一時期があった。先日、今年90歳にな る父と人口問題について話をしていたら、突然、「子供が多すぎるの?」と訊かれて呆気にとられたが、父の頭の中には、大昔のシーンが迷い込んでしまったに 違いない。当時は、「貧乏人の子だくさん」という言葉もあった。

昔を振り返らなければ大丈夫?
  ドイツで、前述の年金改革が国会を通れば、年に100億ユーロの追加出費が必要となるという。しかも、将来的にその額は確実に増えていく。今でさ え、そんなお金がどこにあるのか謎だというのに、将来、働く人の数が減れば、勤労者の負担はさらに増え、何のために働いているのかわからないことになる。
  今の老人は、まだ安泰だ。特にドイツでは、老人ホームに入りたくなければ、安い外国人を雇って、24時間世話をしてもらえばいいと思っている金持ち も多い。事実、ドイツには、ルーマニアやブルガリア、クロアチアなど東欧の人たちが、病院や老人ホームの介護士として大量に入ってきている。これらの国々 の人たちはまだ貧しくて、しかし、すでにEU市民として自由にドイツに入ってこられるため、ドイツ人の嫌がる重労働を引き受けてくれているのだ。
  実際問題として、ドイツの老人ホームや医療機関は、彼女たちなしではたちどころに業務が麻痺するほど、その労働力に依存している。60年代の経済成 長期に、嫌な仕事を低賃金で外国人に押し付けたことが、今、いろいろな問題となって噴出しているのに、これからまた、医療機関や福祉部門で同じことが繰り 返されるかもしれない。
 その上、私が心配なのは、いつまで彼女たちがそれを引き受けてくれるかということだ。どの国も発展していく。私がドイツに来た30年前には、看護婦 には韓国人がとても多かった。しかし、その後、韓国が経済的に発展すると、韓国人看護婦たちはあっという間に消えた。今いる東欧の看護士たちも、20年後 にはいなくなる可能性が高い。そうしたら、今度はアフリカ人がやって来るのだろうか? 
 そんなことを考えているうちに、だんだん憂鬱になってきて、娘に「あなたたちは可哀そうよ。年金もないし、温暖化でハンブルクだって熱風が吹くか水没するかのどちらかよ」と言うと、意外な返事が返ってきた。 「そうね。でも、昔を振り返らなければ大丈夫。それが当たり前だと思うから」 なるほど。この世の中を生き延びていくには、これぐらいの楽観主義が必要なのかもしれない。若いというのは良いことだ。 ≫(現代ビジネス:ニッポンと世界・川口マーン恵美)

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