ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

<伝言 あの日から70年> 集団自決 サイパンから(東京新聞)

2014年06月16日 16時59分24秒 | 政治・選挙・憲法・平和
写真は6月15日、北公園で見かけたタチアオイです。
この花が咲き始めると、なつかしい感じがするのはなぜだろうかと思います。
子ども時代の祖母との思い出がよみがえります。祖母は花が好きでした。


東京新聞より転載

<伝言 あの日から70年> 集団自決 サイパンから

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014061590070101.html

ちょうど七十年前の六月十五日、米軍は日本の委任統治下にあったサイパン島の南西に上陸し、圧倒的な兵力と最新鋭の武器で大地を焼き尽くした。当時、日本からの移民は二万人以上。半月余で日本軍が壊滅状態となる中、北端のマッピ岬に追い詰められ、大勢の人が自ら命を絶った。その後、米軍の進攻とともにグアムや、沖縄へと連鎖していく民間人の「集団自決」の始まりだった。 (安藤恭子)

 「死ナナイデ、クダサーイ」。海上の艦船からマイクで投降を呼び掛ける米兵の声が響いていた。十四歳だった杉浦昭子さん(84)=東京都八王子市=は一九四四年七月十二日朝、父と弟と手をつなぎ、波が激しく打ち付けるマッピ岬の崖に立っていた。

 米軍上陸の二日前から、島中部にある繁華街のガラパンから家族で北へと逃げてほぼ一カ月。ジャングルをさまよう中、母は砲弾で死んだ。水も食料もとうにない。

 「皆で母さんの所へ行こう」。父の言葉を合図に、不思議と静かな気持ちで数十メートル下の海面へと落ちた。「天皇陛下、万歳」と言って多数の日本人が飛び降りたことから、崖は後に「バンザイクリフ」と呼ばれる。

以下省略





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