日本で塾の事業があり、日本に滞在中はそちらにも夜、顔を出しています。そんなこともあり、「最近の子供」に接する機会も当然あるわけですが、この子供たちの将来は果たしてどこに向かうのだろうか、としみじみと感じてしまうことがあります。

教育とは何か、私ごときが述べる筋合いではないのですが、好きなことを深堀し、嫌なことを耐え忍び、我慢しながら人間だけが持ち合わせる「努力し、考えるチカラ」を引き出し、将来、大人としての判断や粘り強さ、成長を作り出す基礎を作ることではないかと思っています。

子供たちが学校で受ける頻繁にある試験、内申書、受験そして就職活動という誰でも経験するであろう一連の流れとは長い人生をきちんと生きるための術をそこで習得することだろうと思います。

先日も塾に来た中学生と話していて「学校の先生から『将来役に立たないことをやっているようだけどこれをこなしてハードルを乗り越えることに意味がある』」といわれたそうです。なかなか学校の先生も含蓄あることを言います。同感です。数学のサイン コサインにログなんて何に使うのか、電卓についているルートは何のためにあるのか、科学実験や古文の読み方を知ることでどんないいことがあるのか、説明しにくいものです。

将来役に立たないかもしれない勉強も10のうち1つや2つぐらいは頭に残っているものです。こんなことやったな、と思い出すだけでも意味があるのです。必死になってマーカーだらけの教科書に試験用ノート、あとは徹夜の一夜漬けどころか、試験の1時間だけしか記憶していないことも多いものです。私も今になってやる中学1年の試験問題は苦戦します。普段使わないからです。しかし、答えを見ると「そうそう」と思い出せるものではないでしょうか?

そんな生徒の中にはできない人も当然います。できない子はなぜ、出来ないのか、私が見る限り共通した問題を抱えています。生活時間が不規則であることと糖分の取り過ぎ、であります。

酷い子になると就寝午前3時、起床6時でクラブの朝練、その後授業に行けば熟睡です。そのうえ、家で寝るのは炬燵の中、テレビゲームをしながらいつの間にか寝ているそうです。英語の指導で「あなたはいつが好きですか?」という質問に普通なら夏です、といった季節的回答を期待したのですが、「夜です。」と言われた時には唖然としました。

中学生君曰く「親にも先生にも言われるんだけど…」。つまり皆、口では言うけれど改善させる強制力を誰も持ち合わせていません。学校の先生が強制などしたら親から何を言われるかわかりません。先生としては「注意はしたのですが」で留まるでしょう。よくいじめにあう子供も先生の指導は何処まであったか問題になりますが、先生ほど力がなくなり、文句を言われやすくなった立場の職業も珍しい気がします。日本では先生と親が同等、もしくは親が先生を雇っているぐらいの目線の違いすらありそうです。

では親は家庭で子供を𠮟りつけるのか、といえば大体問題ある子に限って親は何もしません。またある程度裕福な家庭にも問題児が発生しやすい気がします。想像するに親が金の力で支配しているからでしょうか。親からすれば子供は遊び相手で教育は学校がやるものだと勘違いしている家庭もないでしょうか?

学校成績がすぐれない中学生君に「君はこの塾にいくら来ても成績は絶対に伸びない。その前に生活習慣を変えよ。」そして「1週間のあいだ、12時までに睡眠、甘いものは夜9時以降摂取禁止令」を発動しました。「僕、今夜から頑張ります」と張り切ってくれていますが、そこまでの強権、ごり押しをする人がいなくなったということでしょう。

個別指導の塾とは学校の勉強を教えるところではなく、親も学校の先生も教えない子供の悩み相談所のようなものなのでしょうか?子供たちの話を聞くと青くなります。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。