しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

豊かさとは反比例する日本人の幸福度

2017-06-26 12:16:00 | 日記
アメリカ大陸横断レースにスバル360が出場してるらしい。

yahooニュースより

1972年以前に生産されたならどんな車種でも参加できるヒストリックカーレース。

総距離4,000kmのレースに参加する車両の中では一番小さく

25馬力 360cc空冷2気筒2サイクルエンジンは当時の日本の国力を示したようなもの。

ただし零戦を造っていた技術を生かしたモノコックボディーは車重を400kg以下に抑えた。


今年亡くなった叔父がスバル360の中古車を買い父の田舎山形県の鶴岡まで奥さんを乗せて

走った話を何度も聞かされた。

高速道路も無いしエアコンもない車で片道500kmの道のりを走るのは大冒険だったそう。

峠を越えるときは非力なエンジンで苦労したらしいが前を走るトラックも黒煙を吐きながら

やっと走ってた古き良き時代の思い出だそう。


実は私も以前、軽トラの荷台に80ccのバイクを積載してスーパー朝日林道に走りに行ったことがある。

48馬力 660cc水冷3気筒4サイクルエンジンに不足はない。

夜出発で下道を走った。夏の夜は蒸し暑かったが軽トラにはエアコンが装備してある。

ひたすら国道4号線を北上し眠くなったらコンビニの駐車場に停めて荷台で寝るのだが眠れない(笑)

やがて夜が明けて道の駅寒河江でバイクを降ろすつもりが目指す方角が雨雲で真っ黒な空。

峠の向こうは庄内平野が広がる父の故郷がある日本海側です。

バイクを積んだまま林道走行も考えたが大荒れの天候にそれも断念した。

ここまで400km以上の道のりだったがとんぼ返りで引き返したのです。

帰りのことはほとんど覚えていないのが不思議な小さな冒険でした。


物がなくて苦労の多い時代の日本人のほうが幸福度が高かったと思う。

今は何でも物があふれ豊かになっているはずなのに日本人は幸せを感じてない人が圧倒的に多いのです。

なんだか不思議ですよね。
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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (tempo1078)
2017-06-26 16:56:27
すばる360は
私が中学生時代に
全盛でしたね。

名車に
違いありません。

軽トラのドライブは
夢があって宜しいと思いました。
tempo1078さんへ (しゃちくん)
2017-06-26 17:50:12
富士重工のスクーターラビットをレストアして乗る方が地元におります。
叔母さんのスバルR2はよく覚えてますよ。シフトレバーが床からニョキっと伸びているのです。
ダイハツのミゼットをレストアしてナンバーを取得したブログも読んでおります。

古い軽自動車、出来ればミゼットを欲しいです。
小さなバイクで長距離を走るのも冒険心がくすぐられますよ☆
Unknown (ワカメパパ)
2017-06-26 21:18:37
こないだ、スバル360が走ってるのを見ました
今見ると、スッゲー小さく見えますね!

この車が走ってた時代って、
日本は広く感じたでしょうね
今は高性能の自動車にあっという間に到着出来る高速道路
便利にはなりましたが 強烈な思い出とか無くなったかな^^;
同感 (上総)
2017-06-27 00:29:06
>物がなくて苦労の多い時代の日本人のほうが幸福度が高かったと思う
朝ドラの「ひよっこ」が、昭和40年頃に差し掛かっていて、
少しずつ豊かになるけど、何でも買える程裕福にはなりきれない時代。
毎回、ちょっとの親切や気遣いにホロっとしています。

>スバル360の中古車を買い父の田舎山形県の鶴岡まで
マイカーで旅をさせたい。とかいろんな想いがあったのでしょうね。
今の車を買うとは違った「気持ち」があって、すっごく印象に残る旅だったのでは思います。
ワカメパパさんへ (しゃちくん)
2017-06-27 06:46:11
父の田舎、東北の日本海側は裏日本と呼ばれるほど交通アクセスも悪く、6年前に伯父の葬儀で行ったときに初めて日本海側まで開通した高速道路を利用して鶴岡市まで到達。帰路は日本海沿海道路から関越道利用でこっちの方が距離も時間も短いかも知れません。

子供の頃に東北道も岩槻~福島西間がやっと開通し月山越えの国道も一部未舗装だった記憶が…
所要時間はぐんと短くなりましたがいざ走ってみれば遠いと感じます。

日本は狭くなったというけど、バイクで日本一周した時は日本は広いと実感しました。
上総殿へ (しゃちくん)
2017-06-27 07:02:18
子供の頃の方が物価が高くて物を大切にしてたし食べるものなんか母の作るものばかりでしたね。おやつもきゅうりに塩を振って丸かじりしてたし(笑)
そんな時代の方が幸せだったような気がします。

江戸川で生まれ育った叔父夫婦は義兄(私の父)の故郷を自分たちの田舎のように何度も訪問しては郷土料理とか晩年まで愛し続けてくれ、特に滅茶苦茶に塩っぱい梅干しは本家の伯母に頼んで毎年送ってもらったり、父以上に山形愛が強かったなぁ~

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