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緑と地球を愛する一市民です。大切な問題(自然環境や教育環境)について一緒に考えていきたいと思います。
1、自然環境については『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)やアル・ゴア氏の『不都合な真実』に関するイギリスの高等法院の判決など、争点になりそうな問題を私なりに「勉強」してまとめています。 2、社会環境・教育環境について「子どもたちや教職員、そして生活者のすべてが元気になるような方向」を探っていきたいと考えています。 ただ、「ワーキングプア問題」や「派遣社員の雇い止め」に象徴されるように大人社会が「生存権」さえまともに保障されていない中、「教育環境も深刻な崩壊の危機」にさらされているのではないかと危惧しています。 〔この危惧が現実のものであることはHHKスペシャル「しのびよる貧困 子どもを救えるか」 http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200910110000/ でも放映されました。〕 一人ひとりが幸せに生活していけるような「社会環境」を目指しつつ、当面できることや実践的なことも含めて発信したいと思います。 HP “しょう”のページはこちら http://www.geocities.jp/shchan_3/ 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか (一日でワンクリックが有効です)
カテゴリ:特別支援教育
「教育の窓」で紹介されていた清水さんの実践部分(前半から中盤)を長文になりますが番号をつけて引用します。 ③そのうちだんだん、関心をもつ子がふえていく。なかには、Aちゃんがあばれるのを見て押さえようとする子も出てくるし、『どうしたの。ダメでしょう。』などと強く叱責する子も現れる。しかし、そんなことが何にも功を奏さないことも分かっていく。 ④だんだん、Aちゃんとのかかわり方に変化がみられるようになっていく。Bちゃんが言う。 「toshi先生。Aちゃんは、~のようなとき、パニックを起こすのではないかなあ。」 〔前半から中盤までの引用は以上〕 紹介した部分だけでも実践の核心は伝わってきます。とりわけ私が「すごい」と感じたのは、「心配そうに見つめる子、にやにや笑ってその事態を見ている子、我関せずの子などを、しっかり観察していた」という部分です。VHSのカセットさえなくオープンリールの白黒映像を使っていた時代、「発達障害にかかわる研修など皆無でそれこそどうすればいいかわからなかった時代」に、清水さんは「一緒になってあわてふためく」のではなく、子どもたちの様子を観察し、「言葉かけ」をしていくわけです。 心配そうに見つめているだけでも、関心をもとうとしていることは確かなので、そうした観点でほめるようにした、という清水さんが「実際にかけた言葉」までは報告されていません。が、おそらく「あなたもわたしもAちゃんにどうしてあげればいいかわからないのだけど、友達のことを心配してくれているのだね」、「それが伝わってくるよ」、といった言葉かけでしょう。 清水さんは著書『子どもが伸びる言葉かけ』のなかで、子どもたちの様子をしっかり見取り、感心(感動)したことを言葉にする、という趣旨のことを述べていますが、そのような素直な気持ちは子どもたちにまっすぐ伝わっていきます。それ(言葉かけ)を積み上げていくことで「どうしたのだろうというAちゃんへの関心」が学級の中に広がっていくわけです。 ④で紹介されている場面も同様です。このような積み上げを通して「Aちゃんどうしたんだろう」→「このような時にパニックを起こすのではないか」→「Aちゃんとともに学級や学習をつくっていくためにはこうすればいいのではないか」、これを考え合うような方向へ子どもたち自身が成長していくわけです。 事実、清水さんはこのブログ記事の後半(結論部分)で以下のように述べています。 発達障害について、子どもたちは無知だったけれど、思いの根底には、『ぼくたち、わたしたちがとうていしないようなことを、友達のAちゃんは、なぜするのだろう』、そういう人間探求、友達探求の心があったのだと思います。 ここで強調されているのは「子どもたち自身の中にある友達探求の心」ですが、そこから目を離すことなく「評価・言葉かけ」を続けたことが、集団としてこの学級が成長できた決定的な要因でしょう。あえて前記事(教育評価の視点)と関連させるならば清水さんの言葉かけは「観察や対話による評価」によって学級が変容していく優れた実践例だと考えます。 さらに「特別支援」という観点からしても「発達障害のある子」ではなく「目の前にいる友達Aちゃん」への関心をふくらませていくところが素晴らしいと感じます。「研究をとおして得られる知識」がともすれば「分析・分類して発達障害の特性を浮かび上がらせる」方向へ片寄っていきがちであることを考えれば、このような実践の意義は強調されるべきでしょう。 上記⑥で紹介されているように、Aちゃんの好きなこと、得意なことを知り教えてもらう、ことで本人の興味関心を共にし面白さを共有する、その意味で「ともに生きる子どもたち」として集団が成長するわけです。「共生」という言葉もほとんど使われなかった時代の「清水実践」から私たちは多くを学べると感じています。
なお、理解しようともしない周りとの関係で「二次障害」を根づかせた個人が「大事件」を起こすケースもあります。そのような生徒との関わりを学校づくりにつなげていった実践を高生研大会基調「生きづらさをかかえた生徒から学校を見直す ~「特別支援」からはじめる学級・学校づくり~」では紹介、分析していますのでよろしければご一読ください。(なお、生徒のプライバシーへの配慮から執筆者名などは仮名となっています。) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに (yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) 「しょう」のブログ(2) もよろしくお願いします。生活指導の歩みと吉田和子に学ぶ、『綴方教師の誕生』から・・・ (生活指導と学校の力 、教育をつくりかえる道すじ 教育評価1 など お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.04.21 21:40:14
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