将棋における駒落ちのルールとその考察


※ 一昨日の電王戦第五局の終了後の記者会見でうまく話せなかったことをここにきちんとまとめなおしておきます。一度に書ききれないので今回は半分ぐらいをまず書きます。


以前、羽生さんが「打ち歩詰めが禁じ手でなければ、将棋は先手必勝(なのではないか)」と発言して波紋を呼んだことは将棋ファンなら誰でも知っているだろう。もちろん、羽生さんが打ち歩詰めが有りのルールにおいて先手勝ちの変化を見つけているというわけではないと思う。将棋の変化はそこまで狭くない。羽生先生の思考過程は、おそらくこうだ。


「打ち歩詰め」は数ある将棋のルールにおいて長年淘汰されなかった重要なルールである。長年淘汰されなかったからにはそれなりの理由、何らかの必然性があるはずである。それは、「打ち歩詰め」というルールなしでは、ゲームとして成立しない何かがあるのではないか。「打ち歩詰め」をなくしてみても、将棋のゲーム性はそこまで変わらない(別にゲームとして成立しなくなるほど簡単なゲームにはならない) しかしそれなのに「打ち歩詰め」ルールが必要だと言うのであれば、それはゲームとしての崩壊しか、理由が考えられない。だから、「打ち歩詰め」がないと「先手必勝」になってしまう。
※ この思考過程を裏付けるような羽生先生の発言もあったと思う。


さて、駒落ちのルールについてもこの考え方を適用してみよう。


将棋の駒落ちでは上手(うわて)が先手となる。駒を落とすのはハンディをつけるためである。上手は強いわけである。しかし、その強いほうが何故先手なのか?これは誰しもが疑問に思うことである。しかし、この答えを知る人はいないだろう。興味深いことに、さきほどの考え方を適用するとこの“答え”を導くことが出来るのだ。このことは私が20年ぐらい前に将棋を勉強しようと思って駒落ちの本を読んだときに発見したものだ。後述する。


まず、将棋の駒落ちのルールはいつ決まったのかということについて、歴史的な経緯を書いておこう。


将棋ファンであれば、常識であるが、駒落ちの書籍としての古典は木村義雄十四世名人の『将棋大観』(昭和3年発刊)であろう。木村先生は、同型角換腰掛銀の「木村定跡」でも有名である。この先生は定跡を研究することに関して卓越した才能をお持ちだったのだろう。


『将棋大観』は、最古の将棋定跡書である大橋宗英の『将棋歩式』や天野宗歩の『将棋精選』(どちらも江戸時代のもの)を下敷きとして、それを木村先生が改良されたものとなっている。つまり駒落ちのルールはすでに江戸時代にはあったということになる。江戸時代に指された棋譜としては駒落ちで上手が後手の棋譜が残っていたと思うが(うろ覚え)、上の『将棋歩式』『将棋精選』のどちらも駒落ちの上手が先手となっている。


つまり、『(駒落ちの)上手が先手』というルールは長年淘汰されなかったルールであるということになる。


別の角度からも書いておく。


大山十五世名人が、30年ぐらい前に「将棋の駒落ちというのはこれと言ったルールが公式に決まっているわけではなく、昔からのやり方でやっている(ので変えても良い)」という主旨の発言をされていたと思う。(うろ覚え)


また、中原先生はかつてNHK杯テレビ将棋トーナメントで、「角落ちや飛車落ちより、私は金落ちのほうが嫌ですけどね」という発言をされていた。「金落ち」という場合、二枚の金を落とすわけではなく(金二枚のほうが角一枚や飛車一枚より勝るというのは将棋の常識なので)、金を一枚だけ落とす話をされているわけである。金落ちが角落ちや飛車落ちより指しにくいのかどうかはプロ棋士の間でも意見がわかれると思うが、その感性が中原先生らしいと思うのは私だけだろうか。ともかく、「金落ち」のような変則的な手合割について、中原先生が考えておられたことがあるというのは大変に興味深い。


さて、ここで最初の話に戻して、では「何故、駒落ちは上手が先手なのか」について私が20年前に得た“答え”を書いておこう。


最も完成された定跡は二枚落ちの定跡である。これは二枚落ちより多く落とすとハンディが大きすぎて将棋にならないのであまり研究されておらず(実際、従来の定跡書に載っている四枚落ち、六枚落ちの定跡は、激指などで検討するともっと良い手が見つかる)、また、角落ち・飛車落ちなど二枚落ちより小さいハンディの手合いについては変化が膨大になるため定跡としての完成度も低くなってしまう。


であるから、二枚落ちの「二歩突っ切り」「銀多伝」が最も完成された定跡なのである。この両者は江戸時代にはすでにあったとされている。
つまり、「上手が先手」というルールは、これらの定跡の完成のために必要であったと考えられる。


説明が長くなるので、ここでは二歩突っ切りにだけ焦点を当てよう。


将棋ファンなら誰もが知っているであろうが、二歩突っ切り戦法とは、次図の形に組む。その戦法の名前の通り、3・4筋の二つの歩を5段目まで進めてある。この形に組むのが急所で、これにより、上手の左辺の駒を釘付けにできる。3一の銀を4二にあがるとその途端に3四歩と突かれてしまうので上手は左銀を2二に上がらざるを得なく、実質的に上手の左銀を無能化できる。



上手は右の金を守り駒に使うとしたら、攻め駒は右の銀の1枚だけである。左銀が自由になれば、攻めの駒が2枚になるが、二歩突っ切り戦法はこれをさせないわけである。つまり、普通に戦うときに比べると上手の戦力は半分しかない。それゆえ、二歩突っ切りで戦うなら、上手は角・飛がなく、左銀・左金が使えないので実質的に4枚落ちか6枚落ちに相当するハンディとなる。大変に優秀な戦法であるわけだ。


二歩突っ切りをするためには、下手(したて)は、4五歩を早く決めないといけない。これを早く決めないと上手に逆に4四歩して角道を遮断されてしまい、左銀が楽になってしまう。(4二銀〜4三銀と使えるようになってしまう) これは即、作戦の失敗を意味する。上手の左銀の活用が決まり、上手の戦力が倍増してしまうのであるから。これでは下手勝てない。[次図]



そう考えると、下手の4手目の4六歩も必然である。ここで4六歩を間に合わせておかないと次に4五歩が突けない。そうすると上手に先に4四歩と突かれてしまい、上図の失敗図の局面になってしまう。



つまり、この4六歩〜4五歩が間に合うことによって、二歩突っ切り戦法の成立が約束されているわけである。また、この4手目の4六歩、6手目の4五歩が必然手(他の手に変えると上手が4四歩で角道を遮断する手が間に合ってしまう)であることが、二歩突っ切り戦法を完成度の高い定跡としているわけである。


裏をかえせば、
・上手が先手であっても二歩突っ切りという大変優秀な戦法が成立する
・上手が先手であることによって二歩突っ切りの4手目・6手目を必然手とできる
ということである。


このあともいろいろ必然手が出てくるのだが専門的になりすぎるのでここでは割愛する。ともかく、必然手の連続という綱渡りのような手順ではあるが、いや、綱渡りのような手順であるからこそ、二歩突っ切り戦法という大変に優秀な戦法がギリギリのところで成立すること自体が「上手が先手」というルールの正当性を示唆していると私は考えたのである。


それが「何故、駒落ちは上手が先手なのか」に対して私が20年前に導き出した答えであった。これは私独自の考え方なのだと思っていたが、驚くべきことに私が得た結論と全く同じことを書いてあるブログがあった。


駒落ちあれこれ(daichan's opinion)
http://shogi-daichan.seesaa.net/article/43347155.html


上記の記事の記述だけではこのブログ主の思考プロセスまでは読み取れないだろうが、ここまで読んできた読者になら、上記ブログ主は私と全く同じ(?)思考プロセスを経たであろうことが容易に想像がつくだろう。


私は上記の記事を昔に読んだときに、「ああ、世の中には私と同じ考え方をできる天才がいるんだな」と世間の広さを知ったわけである。あっ。うちのブログの愛読者なら私が自分のことを「天才」だと書いているのはいつもの冗談だとわかるだろうが、わからない人のために一言申し上げておくと、だいたいにして自分のことを「天才」などと自分で言っちゃうような人は(本気でそんなことを自分で思っているなら)頭のおかしい人であって、決して天才ではないからな。


まあ、それはそれとして、その当時に上のブログを読んだとき「このdaichanとはどこの天才だよ!」と私は思っていたのだが、今回、私が本記事を書くために発掘してきてよくよく読みなおしてみたら、この天才は、なんと日本将棋連盟の片上理事である。私は片上理事にこの電王戦では非常にお世話になったのだが、まさかこの記事が片上理事の記事であったということに、正直何かしら運命づけられたものを感じずにはいられない。


さて、ここまでで「(駒落ちの)上手が先手」であることの理由は十分に伝わったと思う。
また、駒落ちの手合いには歴史的に見て必然性はないので別に他の手合い、他のハンディのつけかたがあってもいいであろうこともご理解いただけたと思う。


明日の記事では、今後の電王戦(あるのかどうかは知らない)や将棋における適切なハンディのつけかた、従来の将棋にはない新しいハンディの形式についての考察を森下先生に直接お聞いた話などを交えながら書く。お楽しみに!