松陰神社(萩)へやってきました
世田谷の松陰神社はしょっちゅう行ってますが、やっぱり規模が違いますね
境内がかなり広い
石碑「親思ふ・・・」
親思ふ こころにまさる親ごごろ けふの音づれ 何ときくらん
子が親を思う以上に、親が子を思う気持ちは強いもの。
今日のこの報せ(処刑される事)を聞いた親は、何と思うだろう。
お目当ての松下村塾
世界文化遺産・国指定史跡
なにが凄いって、本当にここに当時から立っているという事
ここに名を残した数々の幕末の志士がいたと思うと・・・
凄いななぁ~って
新選組好きとしては、試衛館がもし今も建っていたら・・・みたいな感覚かな~
天保13年(1842)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。
そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。
結構観光・参拝客多くて・・・
人がいなくなったタイミングを見計らって記念撮影
22年ぶりに同じ地へ立つ私
中学校の修学旅行です
これも運命でしょうかねぇ~、毎年毎年中学の修学旅行は東京のディズニーランドなんですけどね
塾生達の写真が飾ってあります
松陰先生以外、結構写真残ってるってすごいなぁ~
杉家旧宅
吉田松陰幽囚ノ旧宅
安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した先生は、この邸内の3畳半の1室に幽囚されます。ここで家族などに対して講義を行われ、これがやがて松下村塾の教育に発展して行きます。
木造平屋建入母屋造瓦葺214平方メートルの住宅で、8畳3室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半・3畳および2畳各1室ほか、板の間、物置・土間を有する。
かなり広いです
もちろん、文と久坂玄瑞も、ここで短い新婚生活を送っています
松陰神社本社
明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。
このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。
明治40年(1907)、ほこらを公の神社として創建。
現社殿は昭和30年(1955)に竣功。
御祭神はもちろん、吉田矩方命(以下松陰先生)
学問の神として信仰が厚いです
おみくじ引いたよ~
末社 松門神社
現社殿の竣功に伴い、それまでの松陰神社社殿を移築し、松陰先生の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に創建されました。
昭和31年、松陰先生門人42柱を合祀、平成22年に10柱を追祀、伝馬町の牢名主である留魂録を託した沼崎吉五郎(福島藩士後に幕府陪臣)を平成27年合祀。
現在53柱とすごい数
沼崎吉五郎が福島藩士だったとは知らなかった(汗)