2017.12.23(土)
北海道5日目、函館の朝です
屯所の湯で朝風呂もしっかり入りました
またしても一人風呂
珈琲サービスがあるというので、ホテルの中のレストランへ
セルフですが、嬉しいサービスです
ここでも一人レストラン?
誰も泊ってないの???www
気配はするんだけどなぁ~
落ち着く~
ずっとここにいたい
函館元町ホテルさん、お世話になりました
とってもいいホテルでした
いつかこっちの蔵(屯所の庵)にも泊ってみたいなぁ
ホテルのあるすぐ隣にある弥生坂をのぼっていきます
箱館戦争ゆかりの地への看板があります
あと50m
振り返ると絶景~
しかしすごい坂
歩道は雪があるから、ここまで来るのも大変だったよ
咬菜園跡
明治2年(1869年)箱館戦争時、追討令が下り、新政府軍艦が品川を出港したとの報に接した榎本軍(旧幕府脱走軍)総裁榎本武揚は同年3月14日幹部6人と共に、今宵最後と一夜の清遊を試みました。
6人の幹部って誰なんですかね?
大鳥圭介、中島三郎助、高松凌雲ってネットに書いてあるページはあったんですが・・・あと3人??
ん~松平太郎、荒井さん?
歳三さんは来なさそうなwww
じゃ、永井様とか?
誰か知ってる人いますか?
※現在は私有地となっているのでご注意を
元町公園まで歩いてきました
振り返ると素敵な洋館
明治43年(1910年)に建てられた左右対称のコロニアルスタイルとブルーグレーとイエローの色が特徴的な美しい建物です。
ドレスを着て写真撮ったりできるんだよ
今回は行きませんでした~
すぐ下には旧北海道庁函館支庁庁舎も
明治42年(1909)に建てられ、公園造成と合わせて昭和57年(1982)に修復整備されたものです。
元町公園の中にあるんですが、この公園の敷地内には、五稜郭の箱館奉行所の前の奉行所や松前藩の藩所があったんです
そして、こんな人もいますよ~
ペリー提督 来航記念碑
1854年(安政元年)5月17日、開港される箱館港を下検分するため、5隻の艦船を率いて来航した。
このペリー来航が契機となり、蝦夷地を統括する箱館奉行所の移転先として五稜郭が築造されることになった。
昔の称名寺の境内絵図もありました
諸術調所跡
箱館奉行所の研究教育施設で、蝦夷地の開拓と警備に必要な人材育成を目指して、安政3年(1856年)に設立された。
教授は五稜郭設計で有名な武田斐三郎。
新島襄が箱館からアメリカへ密航したのも、ここに入るために箱館にやってきたのに、斐三郎が江戸へ出てしまっていたための行動であったとも言われているそうです
基坂を下り、十字街駅までやってきました
目の前には、龍馬さんもいますよー
さて、これからどうしようか
あそこへ行くのは・・・やっぱり無謀だよね
つづく
北海道旅行