Anchor

旅行記、世相独言

お伊勢まいり -神宮と大社ー

2018年02月24日 14時25分27秒 | 異文化体験_日本
(写真はクリックで拡大します)

お伊勢参り -神宮と大社-

2018.02.08-09

 平成25年の式年遷宮以降、まだお伊勢参りは行っていない。最後のお参りがまさに遷宮間近の平成25年5月。会社OB会の契約リゾートが3月で解約されるというので、「伊久」という神宮に徒歩10分で行ける宿を利用してお伊勢さんにやってきた。

《伊勢神宮》
  
        神宮司庁の案内書          伊勢神宮(内宮)の御朱印      出雲大社の御朱印

 昨晩秋訪れたのが出雲大社、今回は伊勢神宮。神宮と大社、この違いを少し調べてみたが、要約すると次のようだ。
まず、「神社」「神宮」「大社」はあくまで神社の称号「社号」なのだそうだ。
●「神宮」:神宮と呼ばれる基準としては、皇室の祖先神を祀っているかどうかで、全国に24宮ある。天照大神を祀っている伊勢神宮や
 熱田神宮、明治天皇を祀っている明治神宮、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀っている霧島神宮など。
 ただし、「神宮」とだけ言うと、伊勢神宮のことを指すようだ。
●「大社」:格式高く、規模の大きい神社で、一番有名な大社(おおやしろ)は、大国主命を祀る出雲大社。これも全国で24社ある。
 昔は出雲大社のみにしか付かない称号だったのが、明治以降は奈良の春日大社や長野の諏訪大社など全国から崇敬を集める格式の
 高い神社で使われるようになったとか。
●「神社」「社」は一般的な神社の社号であり、規模は小さめ。

 ついでに、式年遷宮についても調べたので、ミニ知識。
 式年遷宮の「式年」とは定められ年を、「遷宮」とは宮を遷すことを意味し、式年遷宮は20年に一度、東と西に並ぶ宮地(みやどころ)を改めて、古例のままにご社殿や御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)をはじめ全てを新しくして、大御神にお遷りいただくお祭り。この制度は約1300年前、天武天皇のご発意により始まり、持統天皇4年(690年)に第1回が行われ、平成25年に行われたのが62回目の遷宮。

      
                        遷宮が近づくと新旧の社殿が見れる

         
     遷宮に伴う様々な儀式(平成24年創設されたせんぐう館や神宮徴古館を参照、写真はHPより) 

 遷宮は、社殿の造営技術のみならず、714種、1576点に及ぶ御装束や神宝も全て新たに新調されるので、白鳳・奈良・平安時代の文化様式、当時の品々の名称や形状、材質や用途、そして技法が確実に次代へと継承され、御装束神宝は「現代の正倉院」とも言える大きな意義ある行事だ。

《外宮参拝》
      
     神域案内図(衛士見張所でゲット)          外宮正宮(社殿配置は内宮と異なる)

 伊勢自動車道を伊勢西ICで降りて、まずは外宮の参拝から。
 天照大神のお食事を司る神の「豊受大神」をおまつりしているのが外宮で、正式名称は「豊受大神宮」。2月の平日というのに参拝客は結構多い。北御門口の駐車場から北御門鳥居を経て正宮へ。現社殿は内宮同様西側にある。土宮、風宮、多賀宮の別宮にもお参りして、表参道鳥居を経て駐車場に戻る。外宮と内宮は直線距離にして数km、宿舎「伊久」も同様である。

《おはらい町とおかげ横丁》
        
       おはらい町の案内図                内宮側から見たおはらい町 いつ来ても賑わっている

        
      おはらい町内宮側に近い奥野屋              お伊勢さんセット 

 いにしえの宿「伊久」でチェックイン手続きを行い、早速おはらい町で遅めの昼食。夕食が会席なので、軽めにと思いつつ選んだのが伊勢うどん「奥野屋」の「お伊勢さんセット」。伊勢うどん、てこね寿司、牛にぎり寿司2貫のボリュームあるセットメニュー。
伊勢うどんは、太い緬にたまり醤油に鰹節やいりこ、昆布等の出汁を加えた黒く濃厚なつゆを絡めたもの。一方、てこね寿司は基本漁師飯で、忙しい鰹漁のさなかの食事として、獲れた鰹を千切りにし醤油を付け、炊きたてのご飯に手で混ぜて食べたのが始まりとか。
牛にぎり寿司は、奥野屋の隣が同一経営の松阪牛の「牛ステーキおく乃」で納得。

 マンホールのデザイン おかげまいりと読める

 お蔭参りが流行した江戸時代、全国へ広がった伊勢音頭で「伊勢へ行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と歌われ、参宮客が年間200 - 400万人も押し寄せたとか。現在は、内宮と外宮を合わせ年間約800万人。
 当時、参宮客を集めた御師が、御祓大麻(おはらいたいま)を渡し、この通りに館を連ね、客人をお祓いや神楽でもてなしたことから、いつしか「おはらい町」と呼ばれるようになり、現在、宇治橋から五十鈴川に沿って約800mの美しい石畳の通りが続いている。このおはらい町の通りから世古と呼ばれる趣のある細い路地を歩くと、五十鈴川に抜け川沿いの散策が楽しめる。

        
         おかげ横丁の案内図                おかげ横丁中央にある太鼓櫓

 おはらい町の一画に、江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現されたおかげ横丁がある。約4000坪の敷地内には、日本神話をテーマにした体験施設「おかげ座 神話の館」もある。お伊勢さんに残る風習のひとつに、毎月一日に早朝から神宮へお参りする朔日詣(ついたちもうで)というのがある。おかげ横丁では、朝市や各店が特製のお粥を作り、早朝からたくさんの参拝客をもてなしている。

 1年中飾られている伊勢の注連縄

 伊勢志摩地方に来ると、年中家々に注連縄が飾られている。おはらい町でも見ることが出来るが、この伊勢の注連縄は魔よけの木札が付けられたもので、左が太いのが特徴。

《内宮参拝》
        
神域案内図(宇治橋たもとの参宮案内所でゲット)      長さ101.8mの宇治橋と旧正殿のリサイクル鳥居

         
五十鈴川御手洗場(ここの石畳は綱吉生母桂昌院の寄進)     内宮正宮(古殿地は右側(東側))          

 さて、いよいよ天照大神をおまつりする内宮(正式には、皇大神宮:こうたいじんぐう)にお参りしよう。旧正殿棟持柱で作られた鳥居をくぐり長さ101.8mの宇治橋を渡るとそこはもう神苑、自転車で入り込んだ外国人が衛士見張所の前で注意を受けている。
 手水舎、五十鈴川御手洗場は禊ぎの場。ここの石畳は、徳川綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)の寄進。神楽殿を経て五重の垣根に囲まれた正宮へ。神宮ではお願いごとをするのではなく、日ごろの感謝を申し上げるところと聞き及んでいるが、ついつい家族の安泰もお願いしてしまう。

      
         荒祭宮                パワースポットの大木            神楽殿で金杯を購入(1500円)  

 荒祭宮(あらまつりのみや)は天照大神の荒御魂をまつる別宮で、ここではいつもお願い事をしている。正殿から荒祭宮に至る途中にパワースポットとして人気の大木があり、皆が触りまくった木肌はつるつる・すべすべの美肌状態だが、果たしてこの木は迷惑がっているかも。
 神楽殿で、御朱印と金杯を戴いて、今宵の宿舎に戻る。

《いにしえの宿「伊久」》
              
宿への道(前方おはらい町、おかげ横丁、右角赤福本店)       伊久の部屋(各室露天風呂あるが温泉ではない)

 「伊久」は、おはらい町の「赤福本店」の角を曲がり五十鈴川を渡って5分ほど歩いた所にある。早速、温泉に浸かって身体を温める。趣向を凝らした家族風呂が4つほどあり、自由に使える。この共立メンテナンスが経営する宿は、いずこも湯上りにアイスやヨーグルト、夜食に夜泣き蕎麦を提供するサービスがある。
 夕食、二月立春のお品書きは、一の膳「献上土器盛」に始まり、二の膳「造里」以下、全十一品。メインとなる趣肴膳は「松阪牛陶板焼き」「伊勢海老と平貝の陶板焼き」「松阪牛すき焼き」「河豚ちり」からの選択。小生が松阪牛、女房が伊勢海老のそれぞれ陶板焼きをチョイスし、シェアすることに。

  
今宵の夕食 お品書き               献上土器盛                    趣肴膳(松坂牛に伊勢海老)

  
      伊久の大浴場                赤福本店でお土産購入             伊久を出発        

 就寝前、早朝、チェックアウト前の計四回の温泉を楽しみ、おはらい町まで散歩がてら赤福を買いに行って、11時半ごろ宿を後にする。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神在月の出雲大社に参拝! | トップ | 関宿のお雛祭り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

異文化体験_日本」カテゴリの最新記事