横浜市西区の魅力を再発見できる散策ルート「温故知新のみち」シリーズは今回で5回目です。
「総合案内サイン」「スポット解説サイン」「みなとみらい地区」「新港地区」と続いてきて、
今回は桜木町駅~日の出町駅地区をお散歩してみました。
まずは桜木町駅にある「エドモンド・モレルの肖像」です。
エドモンド・モレルは日本で最初の鉄道を建設する際の建設師長(技師長)に任命され、
1870年に来日し鉄道建設を指導、日本の鉄道の恩人と讃えられています・・・ ↓
続いて、本町小学校の前にある「日本ガス事業発祥の地」です。
1870年、高島嘉右衛門によって中区花咲町にガス会社が設立されました。
1872年には神奈川県庁付近および大江橋から馬車道・本町通りまでの間に
ガス街灯十数基を点灯させ、これが日本ガス事業の発祥になります・・・ ↓
動物園通りを日ノ出町駅方面に歩いて行くと野毛三丁目公園があり、
そこには「日本近代水道最古の水道管の碑」があります。
1887年(明治20年)日本最初の近代水道がイギリス人パーマーの指導により
横浜の地に誕生しました。相模川と道志川の合流点(現津久井町)に水源を求め、
44Km離れた野毛山貯水場に運ばれた水は浄水され市内に給水されました・・・ ↓
野毛坂を登って行くと野毛山交差点に到着、その交差点の向かい側にあるのが、
「旧平沼専蔵別邸石積擁壁及び煉瓦塀(野毛山住宅亀甲積擁壁)」です。
1890年(明治23年)~1893年(明治26年)築造と推定されています。
この擁壁は幕末から明治期の実業家で横浜在住の豪商・平沼専蔵邸の石積擁壁で、
亀甲石積の施行精度は市内随一といわれており、その上部に煉瓦塀があります・・・ ↓
さらに坂を登って野毛山公園に入ると「中村汀女句碑」があります。
中村汀女は昭和期の著名な女流俳人で、夫が横浜税関長になり横浜に移り住んだそうです。
戦後「花風」を創刊主宰、後の女流俳人に大きな影響を与えました。
句碑には「蕗のたう おもひおもひの 夕汽笛」と刻まれています・・・ ↓
野毛山公園内をさらに進むと「佐久間象山顕彰碑」があります。
佐久間象山は幕末の兵学・洋学者で、黒船事件以前から開国を唱えていた開国論者です。
幕府の下田開港の噂を聞き、これを批判し横浜開港に奔走しました。
新しい日本の建設に力を尽くし、今日の横浜発展の緒を作った人として、
開国100年記念し野毛山公園に顕彰碑が建てられました・・・ ↓
少し飛びまして、紅葉坂にやって来ると「神奈川奉行所跡」があります。
奉行所とは今でいう警察と役所を合わせた機能を持つ機関で、
運上所が主に外交関係や税関業務を行っていたのに対して、
奉行所は行政事務や外国人遊歩区域内の風俗取締、
裁判や農民・町人の出願事項の受付・処理などを行っていました。
横浜港開港直後の1859年(安政5年)6月4日に開設されています・・・ ↓
神奈川奉行所跡のすぐ近くには「金星太陽面経過観測記念碑」があります。
太陽、金星、地球が一直線上に並び、太陽の前を金星が横切るのをこの地で観測しました。
1874年(明治7年)12月9日メキシコ観測隊並びに日本水路寮の海軍中尉吉田重親らは、
下記地点において金星の太陽面経過の観測に成功した。
ここに100年の記念日を迎え、神奈川県及び横浜市の協力を得てこの碑を建て後世に伝える。
第1観測地点(野毛山) 東経139°37’48” 北緯35°26’45”
第2観測地点(山手) 東経139°39’02” 北緯35°26’07”
1974年(昭和49年)12月9日 金星太陽面経過観測記念碑設立期成会・・・ ↓
そして掃部山公園にやって来ると、そこにあるのは「井伊直弼の像」です。
井伊直弼は近江彦根藩の第15代藩主で、幕末期の江戸幕府にて大老を務めました。
日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行しています。
神奈川に開港する予定だった港を、なかば強引に横浜に変更させ、
その事が現在の横浜発展につながっています・・・ ↓
さらに掃部山公園内には「飯岡幸吉歌碑」があります。
掃部山公園では「虫の音を聞く会」という茶会が1965年から行われていて、
その様子を横浜市西区花咲町生まれの歌人・飯岡幸吉が詠んでいます。
「まちなかに 緑をたもつ 掃部山 ましてや虫を 聴く夜たのしき 幸吉」・・・ ↓
掃部山公園を取り囲む外壁は「ブラフ積の石垣」です。
ブラフとは「切り立った崖」という意味で、新山下に面する絶壁状の地形から、
外国人居留地の時代より山手は外国人たちによって「ブラフ」と呼ばれていました。
ブラフ積みは山手地区でよく見られる石積みで、棒状の房州石を用い、
長手面と小口面が一段中に交互に並ぶ積み方をしています・・・ ↓
シリーズ温故知新のみち〓fab44〓桜木町駅~日ノ出町駅地区編