よこはま中区の歴史を碑もとく絵地図・・・その2、馬車が走るよ馬車道編 | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

前回に引き続き、中区の歴史を碑もとく絵地図を追い掛けていきます。

前回は関内の入口である吉田橋から、関内地区に突入していきましたが、

今回は馬車道を突き進み、関内地区の中心部に食い込んでいきました。

 

ちなみに馬車道とは・・・1859年横浜港の開港にともなって、関内地区は外国人居留地となりました。
1867年居留地住民の要請で道幅が拡張され、外国人の乗った馬車が往き来するようになり、

この通りは「馬車道」と呼ばれるようになりました。当時は吉田橋から開港場までを繋いでいました。

 

馬車道を進んでいくと、関内ホールの脇にあるのが「日本で最初のガス灯」記念碑です。

1859年(安政6年)に開港場となって以来、横浜は西洋文化の玄関口となりました。

馬車道を起点にして、全国に拡がったものも数多くあります。

ガス灯は1872年(明治5年)に、高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により馬車道・本町通り等に設置、

点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました・・・ ↓

     柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われています。

     ここに展示されているものは、当時の型をモデルとしたガス灯を復元したものです。

     壁面レリーフは、横浜開港資料館所蔵の絵葉書を転写したもので、

     明治末期の馬車道の様子を写したものです・・・ ↓
     
          関内ホールの関内大通り側に出るとあるのが「旧中区役所正面玄関の扉」です。

          この扉は、この地に昭和59年まで建っていた旧中区役所庁舎の正面玄関の扉です。

          旧中区役所庁舎は、もと横浜興信銀行(横浜銀行の前身)の本店として建てられ、

          昭和13年(1938年)に竣工しました・・・ ↓
          
     鉄筋コンクリート造り、地上3階建て一部地下1階、

     コリント式の列柱をもつ西洋古典主義建築の佳品で、昭和初期的銀行建築のひとつでした。

     地元の銀行本店として、また旧中区役所庁舎として永く市民に親しまれました。

     歴史的遺産として扉部分を後世に残すため、保存展示しています・・・ ↓
     
再び馬車道に戻って、さらに進むとあるのが「写真の開祖・下岡蓮杖」顕彰碑です。

下岡蓮杖は日本に写真師という職業を確立した、日本写真の開祖と言われている人です。

蓮杖は来日した外国人から機材を入手し、1862年(文久2年)野毛に初めての写真場を開業。

その後、1867年(慶応3年)弁天通に進出して写真館を開き、数多くの門下生を育て、

我が国に於ける写真技術の先覚者として、近代文化の発展に貢献しました・・・ ↓

     さらに馬車道を進んでいくと「旧横浜正金銀行本店本館」があります。

     現在は「神奈川県立歴史博物館」となっていて、最近は「エースのドーム」と呼ばれています。

     横浜正金銀行は安政6年の開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引を改善する為、

     明治13年2月28日に設立されました。

     その後、政府の保護を受けて外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、

     大正8年には世界3大為替銀行の一つに数えられるようになりました・・・ ↓
     
          この建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、

          ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建造物である事から、

          昭和44年3月12日には国の重要文化財の指定を受けています。

          さらに我が国の近代史のなかでも、産業経済の発展に貢献した貿易金融機関の

          あり方を示す貴重な建造物およびその敷地である事から、

          国の史跡に指定されています・・・ ↓
          
     馬車道から離れて、弁天通りを進むと「横浜郵便発祥の地」記念碑があります。

     日本の近代郵便制度は1871年(明治4年)に制定されました。

     明治政府は同年5月、ここ関内・弁天通3丁目41番地(当時)に設置した仮役所を、

     7月15日正式に横浜郵便役所とし、横浜に於ける初の郵便業務を開始しました・・・ ↓
     
再び関内大通りに戻ると、植木に囲まれていたのは「横浜為替会社設立の碑」です。

1869年(明治2年)、本町三丁目に横浜為替会社が設立されました。

「為替会社」は「BANK(銀行)」の訳語であり、我が国の近代銀行の始まりとされています。

横浜為替会社は全国の為替会社の中で唯一、洋銀券(ドル紙幣)を発行したほか、

金券・銀銭札という紙幣を発行するとともに、生糸売込商等の横浜商人の資金需要に応じました。

後に、横浜興信銀行(現在の横浜銀行)に営業を譲渡しています・・・ ↓

     関内大通りの1本お隣の通り、関内桜通りには「中居屋重兵衛店跡」記念碑があります。

     中居屋重兵衛は横浜が開港した1859年(安政6年)に横浜に進出し、

     黎明期の生糸貿易を担った貿易商です。その取引量は全輸出生糸の過半を超えていました。

     商談に訪れる外国人の目を楽しませるために、金網を張った中庭に小鳥を放ち、

     座敷の廻りにはガラス張りの大きな水槽を置き、金魚を泳がせていたそうです。

     この地に店を構えた中居屋は、横浜発展の礎を築いた人物でした・・・ ↓
     
          そこからちょっと脇に入ると「横浜興信銀行設立の碑」があります。

          横浜興信銀行は、第一次世界大戦後の恐慌を受けて経営破綻・休業した、

          当時の横浜で最大規模の普通銀行「七十四銀行」の預金者救済と

          地域経済安定を目的に、1920年(大正9年)12月この地に設立されました。

          その後、神奈川県内に多数あった銀行の合同が進むと、合同の中心的役割を果たし、

          1941年(昭和16年)には神奈川県に本店を置く唯一の普通銀行となりました。

          1957年(昭和32年)に横浜興信銀行は横浜銀行に名称を変更しています・・・ ↓
          

 

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