横浜の歴史を碑もとくシリーズ_近代水道発祥の地、野毛山配水池。 | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。



よこはまの歴史を碑もとく絵地図シリーズは終了しましたが、

まだまだ横浜の歴史を追いかけるべく、横浜の歴史を碑もとくシリーズとして続きます。

今回は近代水道発祥の地、野毛山配水池がある野毛山公園にやって来ました。


開港後の横浜は、海や沼を埋め立て市街地の造成をしたため水質が悪く、

衛生的な生活用水の給水が強く求められていました。

そこで、1883年(明治16年)3月にイギリス工兵中佐のH・S・パーマーに水道建設を一任します。


1885年(明治18年)4月には水源を相模川支流道志川に定め、

野毛山配水池に至る48キロメートルの水道建設に取り掛かります。

そして、1887年(明治20年)9月に完成し、10月17日より市内への給水を開始しました。


これが、日本の近代的水道の始まりとなったのです。

また、パーマーは横浜のほかにも大阪・神戸・函館・東京などの水道計画にも貢献、

さらに、横浜築港工事や横浜ドックの設計など港湾整備の面でも業績を残しています。


     野毛山公園の真ん中辺り、緑の円が二つある所が旧野毛山配水池です・・・ ↓
     
     野毛山配水池の脇には、ヘンリー・スペンサー・パーマーの胸像が立っています・・・ ↓
     
     配水池の敷地内には、ドーム型の建物が立っているのが見えます・・・ ↓
     
水道みち「トロッコ」の歴史、道志川から野毛山配水池までの地図と説明が記されています・・・ ↓


この水道みちは、津久井郡三井村(現、相模原市津久井町」)から横浜村の野毛山浄水場まで、

約44kmを1887年(明治20年)わが国最初の近代水道として創設されました。

運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷きトロッコを使用し、

水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。


     野毛山配水池の門は施錠されていて、敷地内は立入禁止です・・・ ↓
     
     門の正面には「清洌無窮」の文字が・・・ ↓ 果てしなく透き通ったという意味のようです。
     
     反対側にも門がありますが・・・ ↓ どちらが表でどちらが裏か分かりません。
     
そんな近代水道発祥の地、野毛山配水池でした・・・ ↓


近代水道発祥の地〓fab44〓野毛山配水池