吉田新田が完成して350年、吉田勘兵衛ゆかりの地を巡る。 | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

この日やって来たのは、京急日ノ出町駅から大岡川に向かい、大岡川に架かる長者橋を渡ったところ、

ローソンの前に建っていたのは「吉田新田関連案内図」。今年(2017年)は吉田新田完成350周年、

開港の礎となった吉田新田を後世に語り継ごうと、この案内図が設置されました。

 

吉田新田とは・・・

今の横浜の中心地である関内駅の辺りは、約350年前までは海でした。そこを江戸の木材・石材商であった吉田勘兵衛が中心になって埋め立て、新田(田んぼや畑)を造り吉田新田と呼ばれるようになりました。吉田新田は大岡川と中村川、JR京浜東北線によって囲まれた釣鐘の形をした範囲で、今は中区と南区に含まれているところです。広さは約57万坪(188万1000㎡、横浜スタジアム約72個分)で、このうち3/5が田んぼや畑・宅地などで、残りの2/5が道路や河川等になっていました。新田工事は1656年(明暦2年)に始まり、翌年の大雨で潮除堤が流され失敗しましたが、1659年(万治2年)に工事を再開し、1667年(寛文7年)に完成しました。その後、海側の部分が埋め立てられ、横浜の中心部として発展していきました。

 

という訳で、今回は「吉田新田関連案内図」に掲載されている吉田勘兵衛ゆかりの地を巡り、

350年前の横浜の風景に思いを馳せ、吉田勘兵衛が成し遂げた功績を称え、

横浜発展の礎となった吉田新田を後世に伝えていけたらと思っています。

 

 こちらが吉田新田関連案内図・・・ ↓ 右上の方に日ノ出町駅、右下の方に長者橋があります。

 

    吉田勘兵衛の旧邸宅図・・・ ↓ 上の地図の赤い点線で囲まれている部分です。

    

       こちらは吉田勘兵衛旧邸宅跡にある清正公堂分院です・・・ ↓

       

「長者町の清正公様」と呼ばれる清正公堂は、開運の守護神として吉田新田の常清寺の境内に開堂供養したもので、江戸時代より広く庶民大衆に崇敬されていました。現在、常清寺は南区清水ヶ丘に移転しましたが、境内に安置していた清正公堂の別院を「地域の発展と充実に寄与するもの」とし、吉田勘兵衛旧邸宅跡に1997年(平成9年)、建立されました。・・・ ↓

          

続いてやってきたのは、吉田勘兵衛の邸宅内にあった大井戸です・・・ ↓

この井戸は大井戸と呼ばれ、吉田勘兵衛が吉田新田を開いたときに掘ったもので、水質はすぐれ200年にわたって付近住民の飲料水となりました。1945年(昭和20年)進駐軍によって埋められましたが、1987年(昭和62年)に横浜都市開発史上の一記念物として復元されました。・・・ ↓

 

    敷地の中には入れませんでしたが、外からでも十分見られます・・・ ↓

    

       最後にやってきたのは、日ノ出町駅の裏側の方にある天神阪碑です・・・ ↓

       

1934年(昭和9年)に建立されました。碑には1659年(万治2年)吉田勘兵衛が幕府に吉田新田の埋め立てを申請して許可を得、天神山及び石川中村の大丸山を切り崩し、その土砂で新田を埋め立てた土取場の跡であることと、これに伴って通行の用に供していた無名の坂道を「天神阪(坂)」と命名した由来が記されています。・・・ ↓

          

350周年を迎え、関内・関外地区の商店主らも活動を本格化させ、昨年11月にはYS350(横浜吉田新田350周年記念プロジェクト)実行委員会を立ち上げています。今月3日の「ザよこはまパレード」(国際仮装行列)に、吉田新田から開港、現代までを物語として描くパレード隊を結成し、参加しました。また、子供たちの夏休みに合わせて、8月からは中・南区内でも関内・関外の都市発展までを紹介する巡回型の企画展を開催し、シンポジウム、ウォークラリーなども展開する予定になっています。

 

吉田新田〓fab44〓350周年