横浜に稲作がやってきた!? 大塚・歳勝土遺跡公園編 | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

前回は、初参戦となった横浜市歴史博物館の様子を取り上げましたが、

今回は、博物館の屋上からつながる歩道橋を渡って、大塚・歳勝土遺跡公園へやって来ました。

こちらには、弥生時代の集落があった大塚遺跡と、集落のお墓があった歳勝土遺跡があります。

 

大塚・歳勝土遺跡とは・・・

2000年前、弥生時代の人々は、鶴見川の支流早淵川を望むこの小高い丘の上に、ムラの防御のために環濠と呼ばれる深い溝や、木柵・土塁で囲んだ環濠集落という、地域の拠点となる大規模なムラ「大塚遺跡」をつくりました。そして、ムラの外には四方を溝で囲んだ方形周溝墓と呼ばれる、ムラ人達のお墓「歳勝土遺跡」がつくられました。この、大塚・歳勝土遺跡は、集落と墓地とが一体につくられた貴重な遺跡として、1986年(昭和61年)に国の史跡として指定されました。遺跡公園には、弥生のムラの姿が復元され、私達は遥かな昔の空間を旅することができるでしょう。

 

大塚・歳勝土遺跡では、発掘・調査をした後、遺跡を保護するために1.5mの盛土をして、その上に当時のムラを復元しています。大塚遺跡では85軒の竪穴式住居が発見され、7棟の竪穴式住居と1棟の高床式倉庫が復元されています。歳勝土遺跡では25基の方形周溝墓が発見され、5基が復元されています。

 

 公園の入り口には、大塚・歳勝土遺跡公園と刻まれた石が・・・ ↓ 高秀市長の名前も入っています。

 

    さらに、遺跡公園の歴史を記した掲示板が・・・ ↓ 奥の掲示板では、漫画でも表現しています。

    

       大塚遺跡にやって来ました・・・ ↓ こちらが復元された竪穴式住居です。

       

          竪穴式住居の脇には・・・ ↓ 復元された高床式倉庫です。

          

こちらは、発掘・調査時の竪穴式住居を再現・・・ ↓ 近所の子供が米の脱穀をしている様です。

 竪穴式住居の中を覗いてみると・・・ ↓ 土器が並んでいたりします。

 

    さらに、中にも入れるんですよ・・・ ↓ 暗いので足元に注意してください。

    

       位置関係も当時のままなんでしょうね・・・ ↓ 当時のムラの様子が良く分かります。

       

          続いて歳勝土遺跡です・・・ ↓ 墓地の内部を再現、真ん中に木製の棺桶が見えます。

          

墓地の外見はこんな感じ、四方に溝が掘られています・・・ ↓ そんな、大塚・歳勝土遺跡公園でした。

 

横浜に稲作がやってきた!?〓fab44〓大塚・歳勝土遺跡公園編