最愛のヘムヘムが逝ってしまって、あっと言う間に10日が過ぎてしまいました。 

夕闇が訪れるころあたりから、切なさが募ってきます・・。

眠くなるのを待ちながら、本を読んでいますが、

内容がいまひとつ頭に入らない・・。

やっとウトウトして、なんとか朝になり、目覚めると、

あ~~・・、と思ってしまいます。

 

 

家にいるのが辛いので散歩に出かけるのですが、

散歩に出ても、今度はパートナーと一緒に歩いたところに来ると、

さらに苦しくなり、帰ろうと思ってもだれもいない部屋を思うと、

にっちもさっちも行かなくなってしまいます。

 

”魂”が立ち往生しています・・。

2015年から3年連続で、次々に愛するものたちを喪失しています。

かなりタフな方ですが、今回のヘムヘムが逝ってしまったことはかなりのダメージです。

あちらの世界を信じていますし、彼女は幸せであるとも信じています。

が、残された者にとって愛する存在の形がなくなり、まったく五感に感じられなくなることは、とてもとても寂しく、辛いことです。

 

 

アガサ・クリスティの小説ではありませんが、

”そして誰もいなくなった”部屋にいると、心が寂寞感でいっぱいになってしまいます。

哀しみに胸が張り裂けるという形容は、本当です。

 

哀しいし、寂しいし、辛いし、切ないし、弱っているな~~、と思いますが、

たくさんの方々が、本当によくして下さるので、なんとか持ちこたえられています。

そして、3年の長きに渡り、愛するものたちの死を通して、

私がマスターするべきことは、なんなのだろうか?と思える冷静な自分も同時に存在しています。

その冷静なもうひとりの私がこれらの感情を敢えて観察しています。

確かにとんでもない寂しさの極みなのですが、決して自分を不幸だとは思わないのです。

むしろ、哀しみのどん底の中にあって幸福を感じているという、

なんとも矛盾した不可思議な感じなのです。

 

 

あふや母、パートナー、そしてヘムヘムが教えてくれたことは、

人はやはりひとりでは生きていけない。

ご縁のある方々と共に歓び、共に悲しみ、共に痛みを感じ合い、

共に労りあい、すべての人が愛に溢れて生きていけることが、

最高の幸せなのだ、と改めて心の底から思い至りました。

 

ずいぶん長きに渡って、ずっと毎朝のアファーメーションで

”どのようなときも、人の歓びを自分の歓びとし、人の哀しみを歓びに変え、

人の怒りを和らげ、人の痛みを理解出来る愛深い私でありますように”と

唱え続けていましたが、

ここ3年も続けて、心の傷の癒える間もなく過酷な体験をさせられてきたことは、

それを本心から実践できるようになることを、

促されてきたのだと思います。

 

 

ヘムヘムが亡くなった日からずっと毎日、

いろんな方々がエッセンスの鑑定にいらして下さっています。

”え~~!、まったく知らずに・・、大丈夫ですか?”と気遣って下さいます。

”大丈夫ではないのですが、大丈夫です”と、ひとしきりヘムヘムの思い出に

涙させてもらい、スイッチを切り替えて鑑定を始めます。

以前からワンコが亡くなったときも、

なぜか急にエッセンスの鑑定が忙しくなるというパターンが続きました。

まさにアファーメーション通りのことを、体得させてもらってます。

そして、鑑定させて頂くことによって私も元気を頂けています。

ますます天使の存在をリアルに感じられるのです。

 

 

ある時期から自分の感情には100%素直でいることにしました。

楽しければ楽しみ、哀しければ哀しみ、喜怒哀楽に格好をつけないことにしています。

だから、今も哀しいときは大いに泣き、愚痴をこぼし、叫びたいときは叫んでます。

ヨワヨワな自分を労っています。

気遣って下さる方達に大いに寄りかからせてもらっています。

 

価値観は人それぞれだと思いますが、2017年という年の始めのこの体験は、

今後、共に笑え、共に泣ける同じ波調の真の人間関係が始まったような気がします。

日々の出来事すべてが、今生の貴重な学びです。

私はあなた、あなたは私、繋がるご縁をこれからも大切にして生きていきたいと思います。

 

※”お告げ”を楽しみにして下さっておいでの方々には、申し訳ないのですが、

まだ心身が完全には整っておりませんので、メッセージを受け取ることが出来ません。

今、しばらくお待ち願えればと存じます。