今日は、8日(日)におこなわれた秋季大祭本祭についてお伝えしますが、当社の大祭は以下のとおり年6回あって日が決められています。

 

1、 3月 5日    田祭(豊作を祈る祈年祭)

2、 4月11日    例祭(春季大祭)

3、 6月15日    波自加彌大祭(生姜まつり)

4、 8月15日    河原市用水水道祭(講社大祭)

5、10月体育の日前の土~日 

             秋季大祭(神輿渡御・獅子舞)

6、11月23日     新嘗祭(新穀感謝祭)

 

 

この中で、秋季大祭のみが体育の日の前の土曜~日曜となっていますが、本来当社の秋祭は9月1日・2日・3日でした。


このことは、戦後早場米が耕作されるようになって稲刈りのピークが変わったのと、東京オリンピック以降の昭和41年に国民の祝日となった10月10日の体育の日に起因します。

戦後の高度成長とともに農家のサラリーマン化というか兼業農家が増えて、神輿の渡御や獅子舞に多くの人員を確保するのにはどうしても日・祝日の開催ということになって、収穫が終わって一息ついた10月の体育の日に変更になりました。

 

しかし、ハッピーマンデーなる悪法が施行されて以降、1月15日「成人の日」の左義長や、9月15日「敬老の日」の八幡祭り(秋季祭)など、全国の神社でこの悪法により大混乱が生じました。当社の秋季大祭も、体育の日直前の10月土・日と変更されましたが、毎年祭礼日が変わるのは遣る瀬無い思いです。

 

3年後の東京五輪を期に体育の日をまた固定して欲しいものです。

 

 

さて、秋季祭本祭を迎えた8日は、早朝5時より御本社で祭典準備を行ないました。

 

 

引き続き、お旅所となる遙拝所で発輿祭(はつよさい)を斎行し、午前7時半に御神輿が出立しましたが、御神輿の供奉(ぐぶ)の方は権禰宜のI田さんと、やはり権禰宜で息子の嫁のIちゃん、それに神役のFさんにお任せし、私は兼務神社へと急ぎました。

 

 

金沢市北森本町・川崎神社で、午前7時より獅子のお祓いをおこないました。

 

 

その後、境内で獅子舞の奉納演舞です。

 

 

次に、急いで向かった先は金沢市岸川町・八幡神社の秋季祭です。

 

午前8時より秋祭の祭典を奉仕し、引き続き獅子のお祓いの後、境内で獅子舞が奉納されました。

 

 

この後、大急ぎで神輿渡御の列に合流し、権禰宜2名には少し休憩をしてもらいました。

 

 

当社の渡御(とぎょ)は、定められた巡行ルートに従って氏子の各所にお留めし、各家々が初穂を捧げ、神職が祝詞を奏し、巫女舞を行ないます。

 

 

そして、このように巫女が鈴祓いをします。

 

 

時間となったので渡御の列を離れ、また北森本町の川崎神社に向かいました。

 

午前10時より神役のFさんと共に秋季祭を奉仕いたしました。

 

 

午前11時半にお旅所に戻り昼食タイムです。

 

役員や神輿奉仕の方々とビールを呑みながら、芝寿しの折弁当と女房手づくりのメッタ汁をいただきました。

 

ですが、50人分のメッタ汁を作るのは大変で、大鍋で2鍋となりました。

 

 

12時20分、午後の出発時間となりました。

 

お旅所前には獅子舞の若い衆が続々と集まって参りました。

 

 

当社の神主犬・宗二郎も秋祭奉仕に参加です!。

 

 

中学2年の巫女さんと宗二郎でござみす。

 

 

獅子舞の棒振り役の子供達ですが、高校・中学・小学生の男の子たちがズラーとたくさん並んでいます。

 

市内の他所の町会では棒振りを演じる子供達が集まらず、女剣士を取り入れているところもありますが、ウチはまだまだ安泰です。

 

そもそも昔は、獅子舞は長男しか参加が許されませんでした。

 

 

午後から出発です。

 

お天気に恵まれて汗ばむくらいの気温でした。

 

 

御神輿は、先導役が忌笹(女笹)で清めながら巡幸いたします。

20年ほど前までは、この先払いをする人は裃(かみしも)を着用していたものです。

 

 

神幸祭であるので獅子舞も供奉(ぐぶ)します。

 

今年も、新しい住宅団地から5名の方が御神輿の奉担(ほうきょ)にご参加をいただき、大助かりでした。m(_ _ )m

 

 

御神輿でのご祈祷は、まず神役さんが祓詞(はらえことば)を奏して修祓(しゅばつ)をおこない…。

 

 

次いで、宮司の私が祝詞を奏上するのですが、時たま権禰宜のIちゃんに斎主を代わってもらいました。

 

 

これは、棒と竹刀による若者2名の相棒ですが、青年の演武は迫力があります!。

 

私も子供の頃は、獅子舞に参加する同級生がうらやましかったものですが、神社の跡取りに許されるものではありませんでした。

 

まして、父が私の小5の時に36歳で急逝したので、子供の頃からずっと装束を着て神輿のお供をしてきました。

 

 

このように、氏子の方よりお初穂料とお初穂米を捧げていただくのですが、中にはお神酒を献じられる方もおられます。

 

これは、イタリア料理店よりの献酒ですが、新潟の地酒だったので、お祓いの後お下げして、すぐさまみんなで聞し召し(きこしめし)ましたが、辛口でとてもおいしゅうございました~♪。

 

 

この家では、長男の内孫が誕生したとのことで、喜びもひとしおでした。

 

 

午後3時、新しい住宅団地にやって参りました。

 

 

ここで、権禰宜のI田さんと共に、午後2時からの金沢市梅田町・菅原神社の秋祭奉仕を終えた神役のKさんが合流しました。

 

ここまで順調に来ていて、むしろ予定時間より早いくらいです。

 

このあと、花園八幡町の旧集落を巡幸しました。

 

 

入り宮(還幸)は午後5時前とまりましたが、こんなに早いのは10年ぶりです。

 

まだ辺りは明るいです。

 

 

で、画像は昨年と一昨年のものですが、2年連続雨にたたられ、宮上がりは6時過ぎとなり真っ暗でした。

 

能登、特に奥能登はキリコ(切籠)祭りで有名ですが、たいてい午後に出発し、神輿の御明かしとなるキリコ(切子灯籠)を灯しながらの還御は深夜におよびます。

 

ですが、北加賀の人間はせっかちなのか、後に続く直会(なおらい)を楽しみにしてか、夕刻までには終わるようにします。

 

 

御神輿に連れだって、続々と長い参道石段を駆け上がって行きました。

 

 

還御の神事をおこなった後…。

 

 

境内で最後の獅子舞が奉納されましたが、去年より1時間半も早く終えることができました。

 

 

夜、美人コンパニオンを招いての直会が遅くまで催されたのでした~♪。

 

 

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