甘さ&厳しさ
他人に厳しく、自分に甘い人は「輩」と呼ばれます。
他人に甘く、自分に厳しい人は「M性?」と裏側で呼ばれるような気もしますが、押しなべて「良い人」となるのでしょうか。
人の先頭に立って物事を行い、模範を示すことを「率先垂範」と言いますが、出来てる方が自分と同じように「形も・心も」仕上げて貰うことへの他人に教え(育成)とはとても難しいもので、目的の完成を目指すだけなら自分でやった方が早い場面も多くあります。
その意味では、日本の昔気質な職人気質でもある「盗んで学び身につける・丁稚奉公」のようなことも、形のみならず心を受け継ぐ意味においては一定の効果はあるとも思います。
これが組織となるとそうも悠長なことを言ってもいられず「形」の完成を先ずは目指しての教育・育成の実施となり、「心」は後付若しくは自己責任で身に付けろ・・・と、暗に求められることも少なくありません。
相手に求めるモノの先に理解に通ずる愛情が感じ取れれば人は心から頷き、厳しさが教えとなり得ていきますし、甘やかしのなかで育まれるプラスのものを想うと、これはなかなか難しいものがあるように思えてしまいます。
優しさ(甘さも含めて)と厳しさが、別々のパラレルに存在するのではなく表裏一体の如くとして、伝える側の心と形がひとつになっていることが最善なのかも知れません。
それから思えば、「他人に厳しく、自分に甘い人」も「他人に甘く、自分に厳しい人」もどちらも・・・であり、自他のバランスに欠けているともいえるのかも知れません。
それでも「他人に甘く、自分に厳しい人」が基本なのでしょうが、レベルの弁えが大切ってことなんですかね・・・
優しさの使い方
( including yourself )
みんなに優しく!
( 自分にもね! )
ここは一発・優しさ発揮でご寛容に・・・ふぅぅ(涙)
厳しさも優しさも表裏一体
白黒・○×・OK/NGのように2極の判断に通ずる「是非」と、それに伴う「レベル」の二つの判断というものがあります。
是非に対する判断で優しく・甘く対応することはナンセンスながら、レベルにおける判断は調整のしようがあるというものです。
自分のタイプが、先述のどちらなのかに基づき、「是非」と「レベル」の二つの判断に対する言動を見つめることにより、また違う世界が広がるのではないかと思います。
まぁ・・・簡単な話し・・・厳しくは誰だって出来ることであり、優しく対応することのなかで目的を達成することの難しさから逃げぬことが肝心なんですかね。
厳しさも優しさも表裏一体
ゆえに「優しさ」を自他に忘れず持ち続けていきたいものですね。
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