君が愛したモノ
tightrope（タイトロープ）とは、綱渡りの綱や綱渡りそのもののことを指します。
「綱渡りのような人生は嫌だ」という彼に「人生って綱渡りのようなモノかと思うけどな」と言うボクの間にあったゴールは「そして、どうするか」でした。
ご両親は貧乏で喧嘩が絶えず、愛された記憶など無いという彼。
「ご両親に愛された記憶はないんだね・・・君自身がこれまでに愛したモノは何だったのかな？」と問い掛けると、聡明な彼はチッと舌打ちをするような表情を浮かべ、ボクから視線を反らしたのでした。
一頻りの沈黙の後、ため息交じりの小さな声で「人生のどこが綱渡りってことですか？」と彼は尋ねてきたのでした。
綱渡り芸人の方のインタビュー
遠い昔の記憶なのですが、海外で活躍するサーカスの綱渡り芸人の方のインタビューをTVで観たことがありました。
インタビュアーの方が「綱渡りで一番難しいことは何ですか？」と尋ねると「綱の上で静止することだよ」とサーカスの芸人の方は答えられ、「高い場所に張られた細いロープの上を歩くことは怖くないですか？」の問い掛けには「綱渡りは怖いよ。でも怖さから足が止まることが一番危険なことなんだよ。怖さを感じた時に前を向いて一歩前に足を踏み出せるかどうかが綱渡りの芸人として求められることなんだよ」と答えられていたことを覚えています。
そして、綱渡りの曲芸を覚える時には、恐怖に打ち勝つのではなく、恐怖の正体を知り・和らげるために、先ずは命綱を付けてロープの上から下に落ちることなのだと語られてもいました。
「張られた綱に足を掛け、下なんてみたら怖くて足が竦み動きが止まっちゃう。だから辿り着く先のゴールだけを目指して前を見て一歩づつ足を出すんだよ」と、真っ白い歯で笑いながらインタビュアーの方に語られていたのでした。
彼からの質問の直接的な答えではなく、ボク自身の記憶にあったこんな話しをすると、「自分から好んで綱渡りをするようなバカな奴はいないでしょ」と嘯くように彼は言ったのでした。
そこからの景色と歩み
タイトロープの中継点とは、目標や夢の到達点なのかと思います。
そこに向けて歩み続ける時に不意に風が吹いて足を踏み外し、ロープの左右どちらかに堕ちるかで生死を分けることも、幸福・不幸を分けることもあるのかも知れません。
足を踏み外しても運良く助かることが出来れば、何らかの前進をしておりそこに見えて来る景色は違う筈で、そこからまた次の目標や夢を描けば、足元にはまたロープが自然に生まれてくるものなのだと思います。
ロープの幅と強さは、十人十色の違いはあっても、自分が誕生した時からあるものだとは思いますが、目的の先にまでそれは続いているものではなく、自分自身で描き・適えなければ途中で消えてなくなるものなのかも知れません。
自分の歩みは自分だけのもの・・・生かされていること・活かされていることを知らぬ間は、他人が支えてくれているロープに気付くはずもなく、それを「若さ」というのかも知れませんし、年老いて目標や夢を忘れれば、中継点に辿り着くことも這う這うの体となるのかも知れません。
そして、何度も失敗と成功を繰り返しながら、より確かに前を見続け・恐怖に打ち勝ち前に歩を進められるようになるのかも知れません。
それでも明日どんな風が吹くのかは誰にも分からず、しかも誰にも平等に明日は訪れるのだとも思います。
そこに向けて今をどう生きるのか・・・綱を渡り切ることの連続こそが人生の姿のようにも思える自分がいます。
人生など偶然の連続で出来上がっているもので、時に悪戯に吹く風も、バランスを失った心身を支えてくれる役割もをすることもあり、タイトロープなど誰にもその姿は見ることは出来ず、目標や夢への想いを積み重ね・描き続けた者だけに確かな感触を残してくれるものなのかも知れません。
彼の旅路
毎年、この季節になるとクリスマスカードより早く一枚の葉書が送られてきます。
そして、いつものことながらそこには「まだまだです」と綴られているのでした。
「ご両親に愛された記憶はない」と言った彼は、ご両親を天に見送ることになり、自分の子供を授かってから「愛されていた」ことの実感をしたと話してくれました。
そして、「愛されていたことへの感謝の念は生まれたけど、やっぱりまだ許せないこともある」とも教えてくれました。
ご両親のお墓参りの後に送ってくれる葉書には、自分がご両親に望んでいた愛情の姿を自分の子供に実践出来てるのかの答えとして綴られているもので「まだまだ」と綴られた文字を見る都度、彼の人生のタイトロープは幾重にも編み込まれた強いものになっているのだと感じ続けるのでした。
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