福岡市にて、危機管理・リスクマネジメントの講演で滞在中。瀟洒なホテルで落ち着いて思索し過ごせる。 | こうしんの著作権,コンプライアンス日記

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「中川総合法務オフィス」代表 こうしん のアメーバ日記です。
急死した亡母への慙愧…
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◆危機管理、リスクマネジメント研修の講師で福岡市に滞在中。大名地区という地区の瀟洒なホテルに投宿。静かで空間に余裕がある。無駄がない。なかなかやるな。そこで例によって、思索に耽る。

 

◆このところずっと倫理に上下があるのか、倫理と倫理のぶつかり合いは現実として決断しなければいけない人間には避けて通れない通過儀礼なのか、自己の倫理に欠落部分若しくは弱い部分があるのではないか、人に倫理を勧めるのは自己の倫理が確立していない人間にとっては反倫理的でないか思惟に囚われる。

 

◆倫理と倫理の弁証法的な解決があるのではないかと気になって寝ているときも恐らく考え続けている。このような話は父の生前時は、父は教養人であったのでヒントを教えてもらっていたのだがそれも今は残念なことに叶わない。父だけでなく、母や祖父も含めて、自分の生まれた家は大変な家であったのだと思う。

 

◆社会から自然発生的に生まれてくる道徳と違って倫理は探求するべきものであろう。倫理は提示されるものであろう。苦悶を経ていない倫理は言葉の端端に微妙なニュアンスのコンテクストの違いが分かって、分かる人はそれが受け売りに過ぎないと見抜くであろう。人生経験のない人の言葉は同じ言葉でも嘘だ。

 

◆人が一生で経験できることはも殊に微々たるもであって、漱石が言うように「その言葉が経験に裏打ちされていないときは信じるな」と言っていたのがこの年になるとよくわかる。私の一生も、切り替えをすることによって辛うじて親の恩に報いる有意義性が出たのであろうかと思う。きっかけの妻に深く心から感謝したい。

 

◆誰でも幼少期はあの幻の「アトランティス大陸」なのであろう。私もそうだ。今は消えたあの素晴らしい文明の栄えた幻の「アトランティス大陸」こそは人の心に永遠に宿るものなのであろう。だから大人になって死に直面しても生きていけるのであろう。これも私もそうだ。啄木と同じ、思い出の川、思い出の山なのだ。

 

◆その思い出の山と川を記憶に持っていることは間違いなく、あの世に行くときに金や財産は持っていけない、この物質は持っていけないが、記憶や魂はあの世に一緒に行くのではないかと微かに信じているところがある。仏教以前の信仰以前の素朴な日本人的な思考であろう。ニヒリズムよ笑うなよな。

 

◆私が今やっている仕事である組織の内部統制・コンプライアンスの仕事や相続等の民事法務の仕事は、おそらく私が郷里での中学生の頃、進学校に行って下宿していた高校生の時にやりたいと持っていた仕事に近いであろう。でも、国会議員や社会的なリーダーなどの仕事はやっていない。それは次の仕事だ。