性別や人種など、いまさまざまな差別について社会的な関心が高まっています。それ自体はいいことだと思います。しかしどこからが差別でどこからが差別ではないといえるのか、線引きは非常に難しい。場合によってはその線引きを巡って、本来争う対象ではない人同士が対立してしまうこともあるようです。

 

そこで今回は、人間であれば誰もが無意識のうちにもってしまっているバイアスの恐ろしさについて、触れてみたいと思います。

 

たとえばフェイスブックのCOOのシェリル・サンドバーグは著書『LEAN IN』で次のような性的なバイアスを指摘しています。

 

コロンビア大学ビジネススクールのフランク・フリン教授とニューヨーク大学のキャメロン・アンダーソン教授が2003年に行った実験の結果。

 

実在する女性ベンチャー・キャピタリストのハイディ・ロイゼンの「強烈な個性の持ち主で……ハイテク分野の著名な経営者にも顔が広かった。こうした幅広い人脈を活用して成功した」という物語を、2つのグループの学生に読ませた。ただし片方のグループには「ハイディ」の名前を「ハワード」という男性名に変えて読ませた。

 

ところが学生たちは、ハイディとハワードの能力に対して同じように敬意を払ったにもかかわらず、ハワードのほうを好ましい同僚と見なしたのである。ハイディのほうは自己主張が激しく自分勝手で「一緒に働きたくない」「自分が経営者だったら採用しない」人物と見なされた。

(中略)

つまり、成功と好感度は男性の場合には正比例し、女性の場合には反比例するということだ。成功した男は男からも女からも好かれるが、成功した女は男からも女からもあまり好かれない。

 

私は先日、フェイスブックの日本オフィスに行きました。フェイスブックはそのサービスそのものが多様性を前提にしています。SNSは多様性への理解を深めるツールにもなれば、対立を深める武器にもなります。そのサービスを提供する社員がダイバーシティを理解していなければ、まずいだろいうということで、フェイスブックではダイバーシティについての研修を全社員に義務づけています。

 

たとえば仕事の結果に対して、上司が部下に、まったく同じ言葉でフィードバックをしても、女性の上司のほうが、言い方がキツいと思われてしまう傾向が多い。これは多くの人がもともと「男性は厳しい」「女性は優しい」というイメージをもっていることの裏返しだと考えられます。厳しいと思われている男性がちょっときつい言葉を言ってもそれほどショックではないのに、優しいはずの女性が同じ言葉を言うと余計にキツく感じるという構造です。

 

また、身体にハンディキャップのある社員や子育て中の女性は出張には行きたがらないだろうという思い込みが、社員のキャリア形成を阻害することがあるという警告もなされています。良かれと思って下した判断が、あくまでも自分の立場から見た、自分の価値観でしかなかったという構造です。

 

いずれも決して悪気があってやっていることではありません。むしろ良かれと思ってしていることが逆に差別に当たることもあるのです。

 

そのほかフェイスブックの研修の中で触れられていた興味深い研究結果を抜粋して紹介します。

 

・履歴書ベースでは、男性的な名前だと雇われる確率が79%なのに女性的な名前だとそれが49%に下がる。

これはパフォーマンス・バイアスと呼ばれるバイアスの一種です。

 

・男性の成功は実力と認められやすいが、女性の成功は他人の援助、幸運、ハードワークのおかげだとされやすい

・男女で同じ仕事をしていても男性のほうが貢献度が高く評価され、女性は失敗を責められやすい

これはパフォーマンス・アトリビューション・バイアスと呼ばれるバイアスの一種です。

 

・女性は能力が高いと嫌われる

・女性的な面を示す場合のみ、女性のリーダーが効果的だと見られる

これは、コンピタンス/ライカビリティ・トレードオフ・バイアスと呼ばれるバイアスの一種です。

 

・PTAに加入している母親は79%も雇われにくい。50%昇進しにくい。11000ドルも給料が下がる。

これはマターナル・バイアスと呼ばれるバイアスの一種です。

 

さらに、実力主義だと思っている人物や組織ほど成果を出せないという調査結果もあるそうです。バイアスに気付けていないとそれに対して何もできないからです。

 

バイアスは誰でももっています。必ずしも悪いことではなく、社会生活を営む上で便利な面もあります。しかし自分のバイアスが誰かの成功の機会を奪っていたり、誰かを傷つけていたりするとしたら、すぐに改めなければいけません。

そのためには自分のバイアスに気付けるようにならなければいけません。そのためには、自分の「常識」をときどき疑ってみる必要があります。特に人間関係や組織の中でなんらかの葛藤を感じたときには、相手を責めるのではなく、まず自分の中に非理性的な信念がないかを疑ってみることが大切だと言えます。

 

また、他人がバイアスにとらわれていることに気付いたときには、特に直接の被害者としてではなく第三者的な立場からそれに気付いたときには、それを大衆の前でさらして批難するのではなく、そっと気付かせてあげる思いやりが大切だと思います。バイアスは誰もがもっているものです。お互いのバイアスを批難し合ったら、殺伐とした世の中になってしまうでしょう。そうやって相互に「見えていない部分」を補え合えば、世の中はいまよりちょっと良くなるかもしれません。

 

※FM放送JFN系列「OH! HAPPY MORNING」にて2018年1月18日放送の内容の書き起こしです。