危険ドラッグ問題は、一体どうしちゃってんだろか。

ここんとこ、急激に目立つ気がする。

おかしくなった人間の姿を、「危険」程度だからか、映像で見れる。

とても、キョワイ!参加せざるを得ない


アルコール問題で、自分や家族が悩む人は、結構いる。

アルコールだけが悪いのではない。

依存症にまでなれば、もうやめるしかないのだろうけど、

その前に、興味深い話がある。


例えばアルコールを飲むと、だんだん怒り始めたり、キレだしたり(同じか)、

そんな手に負えないようなもう一人の自分が出て来る事に、当然「薬物」だからしょうがない、もあるだろうけど、

最近一冊の本、「『ニューアース』byエックハルト・トール」に出会い、そこに書かれたものに驚いた。


人間の潜在的に持つ、意識・記憶にネガティブな部分があり、それが、その時その時は辛抱して違う意識にと変貌させ誤魔化して来たのだが、当然まだ全然残っていて、現在隙有れば爆発する機会を伺っている、意識を、「ペインボディ」と、彼はそう呼ぶ。


誰もが完璧な子供時代を過ごしたわけじゃないと思うが、何処かしら何故か自分なりに歪んで、無理して、傷付いて来た事、が、特にお酒の力を借りて、「本来の自」を無視し現れるという。

本来の自分とは、そんな薬物に左右されない自分だ。


いつもは優しい人なのに、どうしてこんなになるのか、、、と、家族は悩む。

イコール酒のせい、と言うが、そうだろうか、全てはそうだろうか、とか。


その当人だっておそらく心底では、家族以上に悩んでいる。

それは、単純にアルコール依存症という説明に尽きるだけのものだけとは限らないと自分は思うので、トールの、この彼の真理を抜粋したいです。

二重人格ともちょっと違うんだけど、私を忘れないでよ!!という、過去みたいな奥の自分の記憶、な感じが、本人の意思に関係なく出て来ると。

特に、アルコールを摂ると、出易いという。

ただ、それはいわゆる憑依とかとは違い、間違えなく自分の一部。

エゴ、とも言う。



ちゃんと、解決法がある。

そういう時、そんな自分(ペインボディ)を客観的に見つめる事が、とても重要だそうだ。

PB(略したりして汗)は、私(本来の)に、気付かれませんように気付かれませんように、と常に思っているそうだ。

が、こういう自分が居るんだな、昔に傷ついたんだ、辛かったね、そういう目で見つめてみる、客観的に。

そうすると、そのペインボディは、「意識」へと変わるそうだ。

暴れん坊だが紛れもない自分だし、可哀想な存在なのだ、で、

次に意識から、「光」に変わるんだって。

「光」に変えたいまんがな~~~mai-11


しかしそれをする主体は、あくまでも「本人」だから、悩む家族は何も出来ない。

出来る事は、自分は常に自分で居る事。。しかないそうだ。

自分が自分で居る、いい機会とは思えないか…?

見放すとも違う、見ぬふりに近いが又違う。

試練ではあるだろう、けど…


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