私がこのブログを始めたのが、2009年の6月ですから、もう8年を越えました。

 

 あの頃は…乱立する郊外型スーパーの値下げ合戦が激しく、さらに2008年に起きたリーマンショックが低価格競争の火に油を注ぎました。

 

 あの頃は…もやしは製造設備が整っていて、形も緑豆太もやしが基本で、あとは安ければ安いほど「良し」とされていました。

 

そして当時は正しかったもやしが、今では生産者が

 

「もう、もやしだけじゃ経営が成り立たない」

 

というまでになってしまいました。

 

 「正しさ」というのは変わっていくというのを実感しました。

 

一方、取引先から「こんなのはもやしじゃない」と否定されていた飯塚商店のもやしは逆風に吹き飛ばされそうになりながらも、自らのもやしの「正しさ」を信じてしがみついてきましたが、ここへ来て地元深谷市を中心に価格も含めてかなり認められてきました。

 

もやしの納品に行くと、お客様から

 

「テレビでやってたやつよね?」

 

「これってどうやって食べると美味しいの?」

 

と良く聞かれます。お客様の誰もが興味を示し、価格のことなど誰も言いません。そして

 

「美味しかったよ~」

 

と、お礼の言葉を送ってくれます。これ本当ですよ(笑)。

 

 私は生産者なのでもちろん、私どものもやしは「美味い」と信じていますが、「美味い」は正しさとは言えません。先に話した通り「正しさ」は時代によって変わりますし、それぞれの心にあるものですから。しかし、時代を問わず個人差もない正しさがもやしにはあります。それこそが『発芽の生命力』です。どんな加工技術をもってしてもこの発芽の生命力は造りだせないでしょう。

 

 私どものもやしのファンになってくれた方はおそらく味だけでなく、そのあたりの正しさを感じ取ってくれるのだと思います。

 

 もやしは生命力の野菜、もやしを食べるというのは、その生命力を戴くということ。

 

 時代や人の価値観が変わってきても、もやし生産者としてはそこは外してはいけないものです。儲からなきゃ意味がない、というのはもうこの方向で進んできた私には通用しません。強い生命力が売れないようでは、それは私の伝え方が悪いだけです。もやしのせいじゃないんです。