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さて、でっかいどう方面から、とあるメールを頂きました。

「ゴリさんファン」の男子だそうで。

「チッ、野郎かよ。」って思ったわけですが、「男ですいません」って書いてあったので、まあ許すw

でね、先日の無料メール相談に絡めて、「相談」というか、「考えを聞いてみたいことがある」と。

しかも、「無料期間が過ぎているので、料金はお支払いします。」っていう旨の文言もあったので、メールの文面も丁寧だし、そこまでちゃんとした誠意のある人だったらね、応えたくなりますよね。

前回と今回、無料のメール相談をやりましたが、どうしても無料でやると「は?」っていう対応をする人が多くなります。有料でやっているときよりも明らかに多い。というか、有料の場合はほとんどない。なんでだろうね。不思議なこと。

ま、そんなことはさておき、その彼の聞きたいことが、

「佐藤さんが思う“男の器”について、“器の大きい人”とはどういう人間なんですか?」

っていうものでした。

それに加えて、「男として、人としての佐藤さんの考えを、いちファンとして知りたかったです。」というジジ殺しな言葉も付け加えられていたため、ジジイは今回殺された次第ですw

なかなか、おもろいテーマじゃないですか。

「男の器」とは何か?



まずね、基本的に私は「男らしさ」とか、「女らしさ」とかっていう価値はつけないようにしています。

それって、どうしても文化的・時代的な価値観に左右されて、「素の人間性」ってものを否定し、偽らせることが多いから。

誰もが皆、「自分らしく」あれば良いと思うわけです。それが男だったら「男らしく」なるし、女だったら「女らしく」なるんじゃないですか?つうか、「らしさ」ってのは、誰かの価値観なので、ほとんどの場合どうでも良い。

なので、「人間の器」として考えてみたいと思います。

ま、私も「男らしく」っていう価値観で育てられた人間だし、そういうのを大事にしてしまっている部分は多々あるので、それを踏まえた上でね。


彼も、「思いやりが大事なんじゃないのか・・・。」ってことを書いてくれてましたが、私もメールを読みながら、「思いやりかなあ・・・。」ってことを思ってました。

「思いやり」を持てること。

でもさ、「思いやり」のない人なんてほとんどいないじゃないですか。

多かれ少なかれ、ほとんどの人が「思いやり」を持っている。

って時に、「あの人は、ほんと器のでかい男だよなあ。」って思えるレベルの人って、どういう心持ちの人なのか、どういう人なのか、ってことを考えてね、「自分の持っている価値・世間で大事にされているであろう価値」をひっくり返せる、というか、時に無化してしまえる人かなあ、ってことを思ったわけです。

思いやりを通すために。愛を貫くために。

どういうことかと言いますと、多くの人にとって大事なものって、カネとか、時間とか、財産とか、健康とか、生命とかじゃないですか。

そういうのって、優先順位が高いわけです。自分の人生において。

100円、200円が惜しい時もあるし、具合が悪いから人に会いたくない時もある。命は誰でも惜しいですから、「痛いことなんて絶対にイヤ!」ってのが当然でしょう。

でもね、そういう自分の人生において優先順位の高い大事なものを、「思いやり」や「愛」の為に平気で差し出せる人ってのはいるわけです。

「惜しくて惜しくてしょうがないけれど、意を決して・・・・・。」って感じではなくて、サラッと当たり前に差し出す。

自分の愛や思いやりを伝えるために。


「これをやっておけば、後々、倍になって返ってくるだろう。」的な打算的な恩着せがましい思いではありません。

初詣に行って500万円を賽銭箱に投げて、さらなる商売繁盛を願うおっさんとかは、全然、男の器のでかさを感じない。

だって、そもそも、交換条件としてカネを出しているだけだからね。「これだけ出すから、もっと返してね。」っていう。それって価値をひっくり返してないでしょ。価値を無化してない。「カネ」が大事だから、もっと欲しいが為に浄財って形で出しているだけで、形的には「投資」と同じですよ。そこに思いやりも愛もないしね。

どんな例を出そうかな、って思ったんですが。

1つ、私の好きな話。

綱渡りの名人がいたそうなんですね。ビルとビルの間にロープを張って、そこを歩いて行く、って感じの名人。

そんな名人が、あるとき、ナイアガラの滝にロープをかけて、そこで綱渡りをするっていうチャレンジをしたそうで。

当日、多くの観衆が詰めかけ、彼のチャレンジを見守っている。

そこで、彼は観衆に言うわけです。

「私が無事に成功することを信じてくれますか?」

観衆は、皆、盛大に同意する。

「私が誰かを背負って、このロープを渡るというチャレンジの成功を信じてくれますか?」

観衆は、皆、盛大に同意する。

「では、私の背中に乗ってくれる人はいますか?」

という問いに観衆は沈黙したそうですが、そこでただ1人、彼の親友が手をあげて、背中に乗ったという話。

背中に乗ったその友達は、身の安全とか、「自分が死んだ場合に残された家族はどうなるのか・・・」とかっていう不安とか、そういう自分にとって大事な価値観をひっくり返しているでしょ。無化している。

思いやりの為に。この場合は、友人への信頼のために。


そういうね、覚悟というか、肚を持てる人かなあ、ってことを思います。

愛や思いやりの為に、どれだけやせ我慢が出来るか。

まあ、やせ我慢に悲愴感が漂っちゃうと、微妙なんですけどねw

笑顔でサラッと自分の大事な価値をさらけ出せる感じかなあ。


そんな人になりたいもんだw



中々難しいテーマで、今日の内容に「これだ!」っていう確信的なものを持てているわけではないので、折を見てまた考えてみたいと思います。

でも、考えるのはとても楽しいテーマでした。

それと、「メール相談」の時に使っていたメルアドは普段はあまり開きませんので、セッションのご応募や、「ゴリさんが好きすぎてつらい。」とかっていうメールを送りたい女子の皆様におかれましては、

satotadahiro.tokyo@gmail.com

こちらのメルアドにお願いいたします。

まあ、しょうがない。野郎もオッケーだw







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今年は日中の時間にセッションを受けるのはこれで最後になりますので、どうぞ、お早めに♪ 申し込みがいっぱいになり次第、受付を終了します。【11月29日(土)、日中のセッションを受付中♪】




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