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倭文神社(奈良市)の蛇祭り/体育の日の前日に催行(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第35回)

2017年09月23日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。今週(9/21付)掲載されたのは「蛇(じゃ)祭りの神餞(しんせん)と相撲 奈良市の倭文(しずり)神社」、執筆されたのは姫路から来た優等生こと池内力(いけうち・ちから)さんである(兵庫県姫路市出身・在住)。遠方から、毎週のように奈良を探訪されている。
※トップ写真は倭文神社の「大相撲」(神事相撲)

「倭文神社」という名前の神社は全国にある。倭文は「シズオリ」で、織物の名前だそうだ。なので全国の倭文神社は、織物の神さまをお祀りしている。奈良市西九条町の倭文神社も、天照大神を天の岩戸から誘い出すために文布(あや)を織ったとされる武羽槌雄(たけのはづちお)命(=天羽槌雄神)をお祀りしている。『大和・紀伊寺院神社大事典』の「倭文神社(しずりじんじゃ)」(奈良市西九条町)によると、

西九条(さいくじょう)町の集落南西部に鎮座し、旧村社。武羽槌雄(たけのはづちお)命・経津主(ふつぬし)命・誉田別(ほんだわけ)命を祀る。「大和名所図会」に「此(辰市社)ほとりにあり。俗にひつりのやしろといふ」とみえ、社伝では中臣時風・秀行が勧請したという。倭文と称することについては未詳。

昭和初年に火災に遭ったため記録が残らないが、北大和で祭の派手なのは櫟本(いちのもと 現奈良県天理市)の祭と西九条の祭といわれるほど祭礼は盛んであった。近年まで10月16日の祭礼に先立って頭屋の家にお仮屋を造っていたが、現在では境内に仮社殿を造り、町内でこれを祀る。

仮屋の御供の中にヒトミゴクと称し、檜の曲物に野菜を古式に盛り、里芋に人の顔を描いて海藻をつけたものが供えられるが、男児を人身御供とした伝説が残る。祭礼当日の神饌供奉には暴れたり供物を落したりするのが例で、供物の中にずいきでこしらえた蛇形のものがあり、人身御供を要求した大蛇を竜頭(りゅうとう)寺僧が退治したとか、その蛇を埋めたという蛇塚などがあり、蛇にまつわる説話が多い。竜頭寺は旧神宮寺で境内に寺跡がある。


「男児を人身御供とした」とは穏やかではないが、「人身御供を要求した大蛇を竜頭寺僧が退治した」とあるのでホッとする。では、池内さんの記事全文を紹介する。

倭文(しずり)神社(奈良市西九条町)の蛇(じゃ)祭りは、体育の日の前日の日曜日に行われます。理源大師の大蛇退治に由来するとも言われ、特殊神饌(しんせん)と神事相撲に特徴があります。

蛇祭りは午後2時頃から始まります。特殊神饌「人身御供(ひとみごくう)」は、蛇を模した大たいまつと共に町内を一回りした後、神前に供えられます。人身御供の胴体は藁を束ねたもので、長方形の餅が串で刺されます。その上にヒノキの葉やワカメを重ねた後、里芋の断面に「へのへのもへ」と書いた顔と御幣が突き立てられて完成です。



特殊神饌「人身御供」

その後、拝殿の前に敷かれたむしろの上で、幼児による小相撲、小学生による中相撲、青年による大相撲が行われます。大相撲では、実際の取り組みは行わず、むしろに置いた日本刀の上に日の丸扇を広げ、3度回った後で、扇に向かって耳に挟んだ矢を投げつけます。地元の人たちにより温かい雰囲気のなかで行われるお祭りです。

【メモ】近鉄奈良駅・JR奈良駅より「イオンモール大和郡山」行きバスで「西九条町」下車、北東へ徒歩約4分。今年の蛇祭りは10月8日の予定です。(奈良まほろばソムリエの会 池内力)


なるほど、これは珍しいお祭りである。今年の蛇祭りは10月8日(日)、ぜひお出かけください。池内さん、興味深いお話をありがとうございました!


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