度々申し上げておりますように、当ブログは、俺にとっての

単なる公開日記

でございます。

一方、こちらの画像をご覧下さい。

人気の記事

これは、livedoorプロフィールの管理画面から確認できる、ブログに頂いた『拍手』の数を、厭らしくも勘定している一画で、画像にある「人気の記事」というのは、要するに

たくさんの『拍手』を頂戴した記事のランキング

となっているワケです。

10もの『拍手』を寄せて頂いた、

普通のブログに戻ります。

は初めての人工透析に伴う入院が終わる頃(2011年02月06日)に書かれた記事で、これがランキングでいえば1位となっており、

続く2位は2011年3月11日の東日本大震災の直後(同年3月13日)に書かれた

報道に付いて。(『拍手』の数は9)

更に第3位は腹膜透析の時間的な不便に付いて書いた2011年02月07日の

30分では済まない。(『拍手』の数は8)

と続いています。

不思議なことに、何故か1位から3位までを

2011年の2月と3月という極めて短い期間に書かれた記事

が独占しており、5年も前の記事に"質"という意味で負けているのかと思うと、いささか悔しいような、過去の自分に対して妙な敗北感を抱いたりするようなトコロもあるのですが、もしかすれば、

当ブログの新しい記事を読むなり、その記事内容の善し悪しに関わらず、必ず『拍手』を下さる優しい方

が当時は(場合によっては複数人)いらっしゃって、その温情の結果であったと考えると、それもそれで、なくもないことに思えて参ります。

一方で、つい先日の、自作(?)の手帳カバーに関して記した記事に対しても、畏れ多いことに7もの『拍手』を(現時点で)頂いており、大変な栄誉と嬉しんでいる次第です。

そんな状況にあって、ここのトコロ、一つの記事に複数(2〜4)の『拍手』を頂けますことをアタリマエと感じてしまっている自分がいたりもし、少々謙虚さに欠けるというか、おこがましいというか、余り良くない傾向だな、と…。

ドーシヨーモナイ記事を上げておきながら、いざ拍手がない…いや、少ない…とあらば、『何でだよ!』と心中で不貞腐れるような部分までもが確かにあって、目も当てられません。

こんなことにブログで触れることも恥ずかしく、また、表現の未熟さから、受け取り様によっては、まるで

『拍手』がありがた迷惑

であるかのような書き方になってしまい、或いは

何だよ。そんなふうに感じてんならもう『拍手』なんかすんのやーめた

みたいなことを思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

もちろん、俺にとって『拍手』は非常にありがたく、強く励まされる存在であり、それを

ありがた迷惑である

とは微塵も思っておらず、ただ、それを

もらえてアタリマエであるかの如く思いつつある自分

が、浅ましく、幼稚で、図々しい人間だなぁ、と。

つまるトコロ、全て、一から十まで俺自身の問題なワケであります。

アクセス数が少なければ少ないで「せめてアクセスが伸びればなぁ」と嘆き、

アクセス数が伸びれば今度は「ランキングが上がらないかなぁ」と高望みをし、

しまいには「もっと『拍手』が欲しいなぁ」と欲を張る。

表向きは、

ここはおじさんの単なる公開日記です

なんて、一種の逃げ

(良いよ。評価なんかされなくなって。タダの日記だもん。アクセス数が伸び悩むのだってアタリマエさ。誰がおじさんの日記なんて読みたがるものかい)

を打っておきながら、正直なトコロで、他人様の目を大いに気にしている。

そんな弱腰で、意気地のない自分に気付いてしまったら、何だか嫌になっちゃって。

それがどうにもアタマから離れず、なるべく正直に、思うままに書かせて頂きました。

もしかしたら誤解を与えるような書き方になってしまったかも知れないけれど。

繰り返しになりますが、

全ては俺の問題。

『拍手』を寄せて下さることに関しては感謝の念以外にございませんし、ありがた迷惑だなんてことはコレッポッチも思っておりません。

むしろたくさん欲しいぐらいで(笑)

俺自身として、もっとたくさんの『拍手』を頂けるような記事が書けるように頑張りますし、同時に、

晴れてたくさんの『拍手』を頂いた際には妙な邪推をすることもなく素直に喜べるような自信も身に付けたいと思っております。

そんな生熟れで子供じみたおじさんが書くブログなれど、今後ともよしなにお願いできれば幸いです。

よろしくなんだよm(_ _)m