引っ越し移動中、久々に徒然、
荷造り等で思い出と共にやってきたので

使命というと烏滸がましく感じるが、自分の持って生まれた能力を活かして生きる、それによって人の心が動くもの、と考えると意外とみえてくるかも。
それは自分にとってはあまりにも小さい頃からの当たり前すぎること、そして時間をかけても苦になるどころか楽しく気にならない、いつまでもやれてしまうものかもしれないし、存在そのものを発揮し、〜なるとか、そういうこととも限らず、日常に溢れた些細なことかもしれない。

話は反れるが、私は子供の頃、芸術性の感性と、誰とでも隔たりなく接するところに特に驚かれていた。
小さな子供のやりとりのレベルのいじめなども、そこには反応せず、クラスで1人になっている子にも話しかけ、そういう子に後で、親御さんから母が感謝され、陽子なんかしてあげたん?って聞かれても、え?何もしてない、と普通のこと過ぎて覚えていない様な子だった。
確かに、みんなに対して酷いイジメを順番にしていた子が最終的に1人になり、先生に手招きされ、その子を前田と班を一緒にと...頼まれたこともあり、その頃からは自分みたいな感覚は、みんながみんなとは限らないんだ....と気がつき始めた。

ニューヨークの野外ライブで踊っていた時、子供達がやってきたので、一緒に踊っていたら気がついたら他の子供達もやってきて沢山の子達と輪になって踊っていた。名前なんていうの?って言われ、名前を言うとみんなも名前を教えてくれた。中には私の前にこれ出来る?ってアピールしてくれる子もいて笑。
おそらくお互い社会の年齢関係なく、ただ仲間意識で一緒に楽しく踊っていたから、同じバイブスの子がいると、子供達にも直ぐ伝わったんやろうね。

つい最近、メルボルンでも何度か踊り場で「実は私、最初にここに来た時に、あなたが太陽みたいに凄い楽しそうにハッピーオーラで、沢山のレイヤーを創りながら場を瞬時に変えるように舞っていて、凄く印象的だったの。会えて嬉しい」と、話しかけてくれ、手を握って挨拶したらエネルギー交流がお互いに凄かったので、「ヒーラーさんか、エネルギーワークしてる?」と聞くと、「うん、ヒーラー。あなたもでしょ」と言われた。

CIでは、ずっとわたしに光線を送ってくる見学中の女性がいたので、流れを壊さず彼女へコンタクトに行くと、終わった後、凄い笑顔で「あなたが、あんまりにも楽しそうに笑顔で踊っているから、一緒に踊って欲しかったの。来てくれて嬉しかった。」と、ヨーロッパからのビジターさんと、ハグ。感謝された。

過去、現在と自分の体験談を巡りながらもこの様に、案外使命って、凄く大それたことや、〜をするとか、〜になるとかではなく、自分にとっては、凄く自然なことで、それが喜ばれ、また自然過ぎて能力とは思っていないことだったりする。
自分が楽しくて、嬉しくてやっているだけだから。
それでいいんだな。
それで世界は回るんだなぁ。
親や友人が
「あなたはあなたらしくいればそれでいい」って言うのも本当にそうなんだな。
必要な時に必要なものや出会いがやってきて、用意されていて。
困った時は助けられ、おかげさんであるように、出来ることは、出来る時に出来る様に、また気持ちよく差し出せる様に。






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新しい引っ越し先は風通しがよく、緑が多く、静かで、なかなかよいです。