あれ? 
小倉って言えばたしか・・・


一里塚も小倉ってありましたよ

まさか
あの小山がそうだったりして ( ´艸`)



まさかですよね (;^_^A


と思って振り向いてみると・・・
№9の ”小倉一里塚” でした ( ̄□ ̄;)!!


杉並木の隙間から
駅らしきものが見えてきますよ (;´∀`) もう帰っちゃおっかな


どうやらJR文挟(ふばさみ)駅ですね、足が痛いし
どうしようかと思いましたけど・・・ もう少し頑張ろう ┏| ̄^ ̄* |┛


周囲には民家はほとんどなかったんですけど
駅があるって言うことは集落が近いって言うことですね (;^_^A 見えなかっただけかも

駅を過ぎると民家もチラホラと見え始め

オヤッと思ったら
お地蔵さん・・・ (;^_^A しかも坐像だ


飲み物も切れていたので、自販機を見つけてやっとアップルティーにありつく

ついでに
喉も乾いて、空腹感もあったのでネクターを一気飲み (^^ゞ


軽く何か食べたかったんですけど
膵炎で安心して食べられそうなものはなさそうだったので断念

少し走ると街道沿いに家が並びはじめ
駅名にもなっている6番目の ”文挟宿” ですね


暗がりだったのでよく分かりませんでしたけど
この写真を撮った少し手前の ”田辺商店” が問屋場跡

なんと看板に
問屋と書かれているとか (;^_^A

さらに50m手前のJAかみつが落合支店は
旅籠屋の ”きくや音八跡” で脇本陣を兼ねていたそうです

さぁさぁ
日没も近い、先を急ぎましょう


まだ空は少し明るいですけど
対向車はライトを点け始めていますね


こちらも夜間走行の準備

ちょっと怖いのできちんと
テールランプも点滅させておきます (`・ω・´)


普段は点灯も点滅もさせていませんけど
反射板を兼ねたテールランプなんですよね

補助的な点滅灯は以前から使っていますけど
これね ↓ キャットアイ製のの ”SL-LD210-R SOLAR” です

ソーラーでフルオートですから楽ちん α(・_・)

こんな点滅なんですね ↓


暗い山道でも信頼はしていますけど
さすがにこれだけ交通量も多く狭い道では

早く発見してもらって
回避行動を起こしてもらわないと危ない

同じくキャットアイ製の ”TL-LD570-R” はJIS規格や
海外の基準も満たしているワイドタイプの反射板に点灯・点滅灯を兼ねているんですよね

ドライバーにとってうっとうしいのは分かりますけど
『こんなトコに居たのかよ』 なんて驚かれるよりは

早く発見してもらった方がお互いのため
写真では点灯に見えますけど、こちらのロングライフモードの点滅で使っています


こう言った危険な道路では
ここ一番の安心ですよね ( ̄▽ ̄)=3っ

ちょっと小さめな杉並木・・・


おちゃめな名のレストランですね (;^_^A 横暴ではないと思いますよ


小さめな杉並木に入ると
なんか標柱があるみたい Σ(・ω・ノ)ノ!


横の祠の標柱かと思いましたけど・・・


№10の ”板橋一里塚” ですよ Σ(・ω・ノ)ノ!


一里塚を過ぎるとまもなく7番目の ”板橋宿” になります
写真では分かりにくいですけど案内標識の向こう側の畑が本陣跡の大貫家跡地です


板橋宿が壬生道にとっても例幣使街道にとっても最後の宿場
残り7kmほどですけどこれからが難所の山道になりますよ


標識に従って十字路の先を左に曲がると
いよいよ山道らしくなってきたぞ (;^_^A


直進するとバイパスなので車はたいてい直進していく
昔はそこそこの交通量だったのだろうけど

ちょっと・・・
寂しくなってくる (´・ω・`)

角のところに何かの石碑と思えば
茂みで半分隠れていますけど ”勝善神” ですね


”甲州街道⇒脇往還周遊編” では ”三州街道” もご紹介していますけど
三州街道は ”中馬街道” とも言われて馬の安全や供養のために馬頭観音がとても多かったですよね

東北地方では仏教に出てくる
馬の神様 ”勝善神” をよく祀っているんですね

”蒼前さま” とか ”勝善” あるいは ”相染” なんて書かれたりもしますね

500mほど進むとゆるく右にカーブして
どうやら長~い直線らしい

勝善神を過ぎると急に上りがキツくなる
足(ヒザ)が痛むのでAngriff 改を押して歩くしかない (´・ω・`)

点にしか見えませんけど
まずはあの信号まで行こうと頑張りますけど一向に近づかない・・・ (´・ω・`)


青信号の下に小さな点が光っていますけど
つい1分くらい前に追い越していった自動車のテールランプだ

40秒程だったので
50km/hとして550mくらいかな

その間こちらは4km/hで進んでいるので
50mは追いかけている計算になりますよね

となると・・・
800m以上の真っ直ぐな直線だ ( ̄□ ̄;)!!

板橋宿を出て右に曲がってからは
ほとんど車も通らない

こんな時、メインライトにしている ”OWLEYEハイブリット3W” は
走行ラインをしっかりと照らしてくれて安心なんですけど

月も木立に隠れる山道では
周囲が狭くて心許ない・・・ (´・ω・`)

ところがっ!
最近仲間入りしたハンディライトがメチャ強力なので心強い (`・ω・´) 明るいでしょっ


原付のヘッドライトを円形にしたくらいの明るさで最大40時間
(High4.5時間、Mid8時間、Low40時間、Flash12時間)も照らしてくれるのはありがたい

フル発光で杉並木を照れしてみると・・・


杉の木がデカ過ぎて
よく分かりませんね (;^_^A

路面を上向きに持ち上げて照らしてみると


これでもカーブまで50mほどあるんですよ α(・_・)

ね、
こんな明るい相棒が居ますから心強い (`・ω・´)

けっして
寂しくなんてないんですよ・・・

けっしてね

寂しく

なん



・・・ (´・ω・`) 心細いだけ

・・・

あわわわ
なんか鳴いてるぅ~ ((((;;OдO;lll))))

あぁ! 梟(ふくろう)だ ( ̄▽ ̄)=3っ

しかし・・・

なんか無条件に楽しいような
バカらしいような歌でも歌いながら・・・

あっ! あるじゃないか
この歌が O(≧▽≦)O


♬ Darling ラムネを買って来て o(^▽^)o
♪一人で飲みましょう僕の遅道ぃ~
♫月が見えないけどぉ~ (;^_^A 違うか?

あれっ! なんか説明板があるぞ Σ(・ω・ノ)ノ!


どうやら ”地震坂” と言うらしい

終戦から4年後の
昭和24年(1949年)12月26日8時17分に発生した

内陸直下型地震の ”今市地震” で杉並木が地すべりして
ここに移動してしまったと言うんですね

元の杉並木は、ここより少し東側の台地の上を通っていたんだそうです

言われてみれば
少し不自然なカーブをしているんですよね


せっかくですからGoogle Mapsのストリートビューで
昼間の様子を見ていただきましょうかね

ゆる~く大きな左カーブの
左に一段高く杉並木がありますけど画像中央から先が地震坂です


右側全体がズルっと移動した跡が何となく不自然な感じでしょう


工事の案内かと思いましたけど
この先で道路が分離しているらしいですね


と、言うことは
今回の難所 ”十石坂(じっこくさか)” が近づいたみたいですね (`・ω・´)

ん! あそこで分離しているみたいですから
ここが十石坂みたいですね


十石坂って言うのは

昔、東照宮に石の大鳥居奉納のため九州福岡の藩主 ”黒田長政” が
石の大鳥居を運ぶのに難儀し

村人までかり集めようやく巨石を引き上げることができたんだそうですけど

これに要した人夫の食料米が十石(じゅっこく)にも達したことで
十石坂(じっこくざか)と呼ばれるようになったんだそうです α(・_・)

石(こく)はお米の量(体積)の単位ですけど
他にも俵(ひょう)もありますよね

1合の白米の重量が約150g、10合が1升で約1.5kg
10升が1斗(と)で約15kg

1俵は4斗で約60kgになるんですね

で、1石は兵士1人が1年間に消費するお米の量として
2.5俵(=10斗)になって150kgのお米って言うことになりますから

石の鳥居をこの坂から引き上げるのに
人夫たちに振る舞ったご飯が白米1,500kg

実に兵士1人の10年分を平らげてしまったと言うんですね ( ̄□ ̄;)!!

仮に1人が1升を平らげたとして
実に1,000人分だ ヽ((◎д◎ ))ゝ

現在では坂はもっとゆるく大した坂ではないんですけどね (^^ゞ

一度分離した道が
再び合流して十石坂は通過したみたいですね ( ̄▽ ̄)=3っ


十石坂を越えれば200mほどで
日光道の下をくぐります


日光道から300mほどのところで
もしかしたら一里塚? (;^_^A 標柱だよね


まさしく
№11の ”室瀬一里塚” ですよ o(^▽^)o


全景を
と思いましたけどさすがに暗すぎ (^^ゞ


それにしても
ちょっと一里塚らしくない

塚も小さくて
根元が膨らんだ感じがするだけなんですよね

こちらもストリートビューでご覧頂きましょうか

まずは手前の方からですけど
一里塚らしく見えますか? α(・_・) 中央の2本ね


間近で左(西)塚を見るとそれらしくは見えますけど
塚が低すぎる感じ


右(東)塚は
標柱か案内がなければまったく分かりませんね (´・ω・`)


室瀬一里塚を過ぎれば
ゴールはあと3kmほどだ ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

ん! 街の灯?
と思ったら踏切みたいですね


ここまで右側を通っていたJR日光線が交差して
左側に変わりますけど

ここからゴールは1kmを切ったはず

人里も近くなってちょっと安心しましたけど
昔は人と獣は里と山に分かれて住み分けてきました

里が人のテリトリー
山は獣のテリトリーとしてそれぞれのルールで生活していたんですね

相手のレリトリーでは相手のルールに従わなければ
裁かれるだけです

今でも変わらないところもありますけど

例えばイノシシや猿が人里に入れば捕獲され
最悪は猟銃の的になることもあります

その逆も時に見聞きすることもありますよね

ここはちょうど
里と山の境のような所

明確な境界線はありませんから
お互いがテリトリーを主張することが多くトラブルが起きやすい所です

過去には
何も起きませんでしたけど

怖かったのは ”碓氷峠” のニホンザル (llФwФ`)

時計の仕事で軽井沢の近くに住んでいた頃から
碓氷のサルには気をつけろ

って言われていたんですね (;^_^A もう25年も前

今では高速道路も通って
中山道の碓氷峠を観光客が通ることも少なくなりましたけど

当時は軽井沢に行くには ”特急あさま” か
車なら中山道で碓氷峠か有料(当時)の碓氷バイパスを通るのが一般的

GWなどになれば、観光客で大渋滞し
ノロノロ運転の中でサルを見つけると

『あっ! おサルさんだぁ~』 なんて喜んで
コンビニの袋からお菓子を取り出して与えたりしていたんですよね

いつの間にかそれが当たり前になり
サルからすればそれが通行料のようなもの

袋を見ると
早くよこせと飛びつくようになり

袋からむしり取るので
ケガをさせられることも

碓氷峠で数匹のサルを見かけた時は
目を合わせずに全力で走り抜けました (^^ゞ

そんなことを思い出しながら登りはAngriff 改を押しながら
少ない下りや平地はAngriff 改で走っていると・・・

ガァァァガァァァ・・・
ギュルルル・・・

と、何者かが声をあげている ((((;;OдO;lll))))

な、な、何の声? (llФwФ`)

ガァァァガァァァ・・・
ヴルルルルルルルル・・・

あわわわわわ ((((;≡д≡;i))))

う、う、歌でも歌おうっと (´;ω;`)

♬ ダダダダダダDarling ラムネも買ってってぇ~ (/TДT)/

聞いたこともない声にうろたえましたけど
どうも ”ムササビ” だろうと、姿は見えませんけど

木の上の方から聞こえるので
分かってきました ( ̄▽ ̄)=3っ

帰宅して YouTube で探してみると
まさにこの声でしたよ ((((;≡д≡;i))))


相手の正体が分かってくると
無意味に怖がる必要もなくなってきますから

やっと安心して進み始めると
案内標識が見えてきました ε-(´∀`*) あと150m


右手には日光街道の車の灯りも見えてくると
街路灯が足元を照らしてくれます O(≧▽≦)O ゴールも見えてる


遅くても20時くらいの電車で帰るつもりでしたけど
すでに過ぎてのゴールです


表の通りになる日光街道を眺めてみると
日光街道を走った時は杉並木の中から出てきましたからあの街灯のところですね O(≧▽≦)O


これは当時、杉並木から出てきたところ
(掲載は2015年4月29日)


少し進んで壬生道(例幣使街道)を写したところ
(掲載は2015年4月29日)


曽良随行日記
一 四月朔日 前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。
 止テハ折々小雨ス。終日曇、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。


どうやら芭蕉一行は朝8時頃に鹿沼を発ち
日光鉢石宿に到着したのが正午ころらしい

ここ追分から鉢石まではちょうど2里くらいですから
逆算すれば10時頃に通過したんでしょうね

当時は午前中の明るい中でしたでしょうけど
夜間も今のように灯りが灯されていたんでしょうかね?


追分地蔵尊の姿を拝ませて頂きました


この地蔵尊は元は弘法大師が日光含満ヶ淵に建立したものが
台風の洪水で大谷川の砂原に埋まっていたそうで、この地に安置したと言われています

近くの人が大石と思い楔を打ち込んだら赤い血が出たという伝説があり
今も背に窪みがあるんだそうですよ

大きな地蔵尊で高さは2m
北関東一の大きさで市の文化財なんですよね α(・_・)

帰路は400mほどの今市駅から

さぁ
今日はこの駅から帰ろう


この日の走行距離は59.58km
起点の喜沢追分での距離数は3.84kmなので

差し引き55.74kmを壬生道の走行距離にしましょうか (;^_^A 駅まではおまけで

本日の走行時間5:35(?) 走行距離59.58km
僕の遅道番外編総合計距離740.93km(含本編3,794.17km)


平均時速10.6km/h 最高時速30.8km/h

これまでの街道等の実走行距離
中山道707.58km・東海道712.01km・
甲州街道308.88km・三州街道(伊那、飯田街道)247.46km・
東海道姫街道75.45km・下田街道77.99km・
足助街道(三州街道と重複)28.41km・
壬生街道(日光西街道)55.74km・

日光街道・奥州街道共通編130.47km(一部地図測定
日光・奥州街道共通/Google My Map (別窓で開きます)

日光街道51.74km(含共通部182.21km一部地図測定
日光街道/Google My Map (別窓で開きます)

奥州街道(奥州道中)159.59km
奥州道中/Google My Map (別窓で開きます)
奥州街道現在の延長距離(日本橋から女石追分)290.06km

番外編 2013年冬の東北333.67km・番外編 日光御成街道67.52km・
番外編 三鉄全線再開記念183.51km・

番外編 芭蕉の足跡 日光⇒那須野編96.65km
番外編 芭蕉の足跡 喜沢追分⇒今市59.58km
おくのほそ道 芭蕉の足跡 (別窓で開きます)

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