義母が仲良くしていた親族から大江ノ郷自然牧場のお歳暮が届いた。中には鳥取の大自然で生まれた下記の3つが入っていた。
☆大江ノ郷タルト
☆プレーンとぶどう食パン
☆天美卵
その親族は愛知に住む元社長夫人であるが、自然食 (オーガニック)を好む方で厳選された商品を送って頂いたと思う。とてもお薦めな贈り物である。美味しかった。
義母が仲良くしていた親族から大江ノ郷自然牧場のお歳暮が届いた。中には鳥取の大自然で生まれた下記の3つが入っていた。
☆大江ノ郷タルト
☆プレーンとぶどう食パン
☆天美卵
その親族は愛知に住む元社長夫人であるが、自然食 (オーガニック)を好む方で厳選された商品を送って頂いたと思う。とてもお薦めな贈り物である。美味しかった。
義母と姉の義父を2年連続で膵臓ガンで亡くした。2人に共通しているのは、検査結果に伝えられた余命が3ヶ月であることだ。膵臓ガンステージ4は余命3ヶ月が通常なのかもしれない。
姉の義父(80代後半)も宣告されてからは1年以上は生存した。
義母は中央高速八王子インターそばから見える大学病院で何もすることは出来ないと言われ、すぐにセカンドオピニオンで有明ガン研に検診した。告げられたのはすぐに入院してガンを抗がん剤で小さくしてから手術をするだった。
我々親族は神様に救われた想いであった。先生から言われたとおり3ヶ月後には手術可能な程ガン細胞は小さくなり、10時間以上にも及ぶ大手術で膵臓ガン部分は全部摘出された。その時の先生の言葉はこれで5年は大丈夫ですだった。
術後も抗がん剤を続けていたが、6ヶ月をしたところでキツイ薬による手のシビレや体調がすっきりしない事の理由により、先生合意の上で止めてしまった。
これが後になって後悔するのだが、薬を止めた6ヶ月後に腹膜への転移が見つかってしまった。膵臓ガンの転移の場合、先生からも再手術は不可と最初の手術前に説明を受けており、延命治療となってしまった。
本人が一番ツライことではあったが、抗がん剤を続けていれば術後に言われた5年は生きてくれただろう。楽しみにしていた次女の高校吹奏楽部長主役での最後の演奏会、大学訪問、長女・次女の結婚の晴れの姿を見ぬまま逝ってしまった。とても残念であった。
妻の母が亡くなり我が家は喪中である。昨日喪中はがきをネットで申し込んだ。来週までは早割で印刷代が50%以上の割引と、11月中に発送しないと相手にも迷惑をかけるので急いで発注した。
義母が膵臓ガンで余命3ヶ月を宣告されたが、結局それから1年半は生きてくれた。セカンドオピニオンで有明ガン研に転院して摘出手術に成功したおかげである。但し腹膜に転移が見つかりそれからは半年の命であった。
これからは毎日は更新できないが、残していきたい日記は投稿していきたい。
16年乗った車を今年代替した。
川崎ナンバーで排気量3500ccの黒塗りのドイツ車なので、スカGやZが後ろに付いても前のようにあおられる事は一切無い。カットビ系の車は全て走行車線に車線を変更して追い越していく。
前の車は2000ccだったので、夏場のクーラーシーズンの坂道はいくらアクセルを踏んでも思いどおりのスピードは出てこない。3500ccはアクセルを軽く踏んだだけでスピードは維持される。これからも大型車を運転できる限界の年齢まではこのドライブを満喫したい。
ちなみに今日は『魚河岸 丸天 魚河岸店』に行ってきたが、とても満足している。沼津魚市場周辺がこんなに商業化されているとは知らず、ドライブによる発見をした今日であった。今後月に1回はドライブによるグルメ発見の旅を継続したいと思う。
第55代横綱北の湖親方が逝かれた。ご冥福をお祈りしたい。
私は小さい頃相撲を良く見ており、特に地元力士富士桜関と半端なく強かった北の湖関が大好きであった。
何かの縁ではあるが住み着いた元住吉は、北の湖親方の奥様(旧姓石川とみ子さん)の地元である。北の湖親方の結婚式(帝国ホテル)に出席された人から聞いた話では、親方を始め奥様もとても人当りが良く、地元一般人にも関わらず気さくに話をしてくれたそうだ。
奥様は3人兄妹の長女で、実家は地元では有名なパチンコ店とカラオケボックスを経営している。そのパチンコ店は私が一番通っている所であるが、北の湖親方も結婚前後にその店でパチンコを良くしていたそうである。
身体が大きいので、人に気遣って必ず端っこでパチンコを打っていたそうである。今日時間が有れば追悼の意味でも店に行って来ようと思う。