小さな可愛い師匠 | Moratoriumer´

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今日も波に揺られて海を漂う。

末っ子で育った私。

幼い頃は兄や姉

そしてその友達と遊んでもらっていた私は

年下の子と関わる機会などなく

どう接したら良いかが分からず

いつしか小さい子は苦手なんだと思っていました。

ずー・・・っとそう思っていました。

でも

歳を重ねるにつれて

環境というものは自然と変わるもので

数年前に家族のような従姉が赤ちゃんを産み

そして間もなくして姪っ子が誕生しました。

初めての赤ちゃん。

抱き方を始め

おむつの替え方やお風呂の入れ方を教えてもらって

見よう見真似であやし方や遊び方

コミュニケーションの取り方を学んで

こども園のお迎えに引率したり

検診にご一緒させてもらったり

運動会を見に行かせてもらったり。

首が座るようになって

ハイハイやたっちができるようになって

言葉を発せられるようになって

嫌なことは嫌と意思表示できるようになって

その一つひとつの成長を

そばで感じ

驚きと喜びを共にさせてもらっています。

と同時に

なかなか目にすることのなかった

言葉では表現しきれない親の苦労も学んでいます。

赤ちゃんも今や立派なお子様となりました。

こちらがこうして欲しいと動くほど

上手くはいかず

その子のしたいことや

発した言葉や思いを

できる限り尊重していると

笑顔になり

それを見てこちらも笑顔になって

ハッピーな雰囲気が生まれます。

だから

この子たちと関わり

接していると

自分の私欲や身勝手さに気づきます。

赤ちゃんの頃は天使。

幼児となった今は私の先生です。

もちろんそんな風に関われるのは

親ではない立場だからだということも感じています。

だからこそ

私は私の立場で関わっていけたらと思うのです。

家族や

子どもについて考えるようになった昨今。

私なりに思ったのは

家族を守るのは親。

家族を支えるのは子。

なんじゃないかと。

とにかく

この子たちと関わっている私は

自分が好きな自分で

自分が好きな自分でいられるのです。

純粋さの伝染といったところでしょうか。

だから

子どもは苦手だと思ってた自分はどこかへ行って

むしろ

子どもが好きなんだと今は思っています。

毎日

毎瞬

学ぶことばかりです。

こういう性ですから

自分の子どもというのは

素直なところリアリティがないけれど

こうして間接的にでも関わらせてもらうことで

多くのことを発見し

自分を見つめ

愛というものを学ぶ機会を頂いています。

些細なことに喜びや幸せを感じ

笑顔溢れる日々。

手の柔らかさや

ほっぺの気持ち良さや

笑顔の温かさや

自分を大切にしながら周りも気にするその心。

誰もが持っていた

あるいは誰もがきっと持っている天性。

丈夫になった手で抱き

顔を摺り寄せて笑い

心を通わせる日々は

私にとって本当に幸せです。

欲を許してもらえるなら

そんな子たちを支えたいと思うのです。

私も気づけば28歳。

少し大人になりました。
 

 

見守っていきたいな、と。↓
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