3月11日にこんなことを書いた。
・・・・
浜のミサンガ環。
2012年8月に購入して以来4年半、わたしの左足にある。別に何か願い事があってつけているわけではないので、できるだけ長く切れないでいてほしいと思っている。
それにしてもこのミサンガ、強い。いいかげん年数が経った近ごろでは、ほとんど毎日のようにその強さに感心している。さすが漁網でつくったものだけはある。
切れたら寂しくなるだろうな。
と思い、そのときのためにストックを、と探し求めてみたが、2013年12月で販売を終え、今はどこにも売ってない(総販売数169,237セットを販売し、約1億2千万円が女性たちの収入になったらしい)。
さて、どうしたものか。
・・・・
きのう、そのミサンガが切れた。
気づいたのはわが女房殿である。
「ミサンガ、切れてない?」
と問う彼女に、「アホやなあ、足に身につけたもんがなくなったら、わかるにきまっちゅうやんか」とバカにしながらズボンの裾をたくし上げてみると、
「ホンマや、ない」
バカはこっちだった。
さかのぼること2日前。
別のミサンガが届いていた。
三陸釜石からの贈与だ。
「さてどうしたものか」というわたしの発信を受けて、たいせつなストックのひとつを送ってくれたのだ。
そしてそのわずか2日後に、わたしのミサンガが切れた。
偶然ではあろう。そして偶然に起こる事象は、人それぞれが何がしかの想いを付与することで、偶然ではない何かしら特別なものとなるに過ぎない。少なくともわたしは、日常起きることがらについては努めてそう思うようにしている。
と、ここまで書いて、おのれのヒネクレ度に苦笑い。
いやいやカッコつけず、有り体に白状することにしよう。
いやあ~、びっくりした。
思わず胸の奥からこみ上げてきたものを抑えるために唇を閉じ、それまで口をあけっぱなしだったことに気づいた。
それほどに驚いた。
偶然ではあろう。
だが単なる偶然ではない。
出会いと「つながり」がなければあり得ない偶然だ。
そいつに想いを付与して物語を紡ぐ。
それの何が悪い。
どこが悪い。
とかナントカ独りごちつつ、切れたのにも気づかないボケたオジさんではあるが、届けてくれた人の想いはしかと受けとめ、新しいミサンガ装着完了。
以上、「浜のミサンガ環」2017年春、思いもよらない続編である。
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