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カテゴリ:日々のだいじ
「まち×アートセンター さっぽろ」の愛称『OYOYO』 4丁目プラザとピヴォの間、西に伸びる一方通行の仲道。 この通りの通称を「オヨヨ通り」というのをご存知でしょうか? 実は私、この通りに毎日出勤しています。 1970年代、この通りはイケテル若者が闊歩する面白い通りでした。 命名は亜璃西社代表を務めるエッセイストの和田由美さん。 当時流行っていた桂三枝(現・文枝)さんの生んだ(?)流行語「およよ」からとったそうです。 (オヨヨシリーズ作者小林信彦さんのファンだったからという説もあります) 「およよ」という響きが面白かったんでしょうね。 今では、駐車場ばかりが目に付くこの界隈が、かつて若者天国(死語が目に付くと思いますが 気にしないでね)だったなんて知らない人のほうが多くなっているのではないでしょうか。 若者文化が色濃く根付いていた「オヨヨ通り」がこのように変貌したのは 1980年代に入ってから。 ここは小さなお店がひしめく札幌でも珍しいエリアでしたが、立ち退きの嵐が吹き荒れ 「東映仲町」「喫茶店銀座」と呼ばれた5丁目界隈から人気店が次々と姿を消しました。 2003年「東映仲町」の名の由来となった映画館・東映が閉館。 駐車場のまま現在に至っておりましたが、今はなにやら工事中。 そういえばノルベサに移転した「札幌シーマーケット」が入っていたレンガの建物も 幌がかかっていますね。 どうやらまたこのあたりは大きく変わろうとしているようです。 そんな動きもあるにはあるのですが、目ざとい人は違う動きもちゃんと感じているのでは ないでしょうか。 「天ぷら・蝦天分店」でお馴染みの建物にはおしゃれなお店が続々とオープンしています。 愛すべき第二三谷ビルは大きな存在。なんと1963年竣工です。 雑貨『Pasque island』とイタリアンレストラン「カプッチョ ナチュラーレ」からの眺め・・・・ いいでしょ。 「あそこに行けば、何か面白いことや人が集まっている」1970年代多くのの若者が そう思って足を運んだ「オヨヨ通り」から命名した「OYOYO MACHI × ART CENTER SAPPORO」。 第二三谷ビルの6階が基地。 オープンテラスから「オヨヨ通り」を見下ろすことが出来ます。 いつも目にしているはずなのに、なくなった時に「そこに何があったか」 思い出せないことがあります。 その反対になくなってからも、いつまでも目に焼きついているものもあります。 時代の流れで変わり行くことは仕方がないこと。 しかし、変わらない良さも確かに存在します。 8月28日「赤レンガテラス」にて 横須賀に帰る友人を札幌駅まで見送った帰りにすごい人だかりに遭遇しました。 「赤レンガテラス」のオープニングセレモニーが始まる30分くらい前のことです。 新しもの好きの札幌人らしい光景でした。 わたし、ピカピカの「赤レンガテラス」より築50年が過ぎた第二三谷ビルの6階テラスの方が やっぱり好きなんです。 100年住宅を目指す「逍遙館」の代表らしいと思いませんか? |逍遙館倶楽部代表| 「逍遙館」のカードはこちら! 100年住宅「逍遙館」のブログを読ん頂きありがとうございます。 入居を考えられているみなさん、こちらをどうぞ! → 逍遙館公式サイト ブログランキングに参加しています。 マークをポチッとお願いいたします! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年09月05日 22時04分36秒
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