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中東争乱。日本は湾岸諸国と距離置くべき

プロパンブタン情報20151118

中東争乱。日本は湾岸諸国と距離置くべき
IS・テロ・内戦・難民―渥美堅持氏に情勢聞く


 IS(イスラム国)シリアやイエメンの内戦、シリアからの大量難民、エジプト・シナイ半島でのロシア旅客機墜落など地政学的リスクが絶えない中東。石油の需給関係からは先の読めない中東地域の火種の背景と今後について、昭和経済研究所の渥美堅持アラブ調査室長(東京国際大学名誉教授)に聞いた。渥美室長は今の中東が「争乱の時代」にあるとの認識を示したうえで「日本は争乱に巻き込まれないために 引き続き中東湾岸諸国との距離を置くべき」という。要旨は次の通り。

◎「アサド悪人説」では分からない中東世界

 今の中東は争乱の時代といってよい。良いも悪いも米ソの東西冷戦時代にあった力による秩序が崩壊して以降さまざまな価値観がぶつかり合う時代に突入し、シリア、イラク、イエメンの先行きがどうなっていくのか判然としない。問題なのはメデイアや専門家が中東で起こる出来事に予めイメージを刷り込んでいるためにそれが混乱を助長していることだ。中東世界は「アラプの春」「アサド(シリア大統)悪人説」のような表現では裏にある複雑な背景を理解できない。アサド大統領率いるバース党政権は少数部族により編成されている。その部族民と少数派のキリスト教系住民はその庇護の下で難なく暮らしている。半面アラブ系住民は難民となってコーロッパへと流出している。仮に バース党から反体制派に政権が移れば、シリア国内の混乱は拡大し、やがてシリア分割の道しかない。有志連合やロシアがISを攻撃すればするほど、ISは拡散して危険も拡散することになる。「アラブの春」は「プラハの春」と比してメディアで多用されるが 政教分離を目的に若者たちが向かった民主化運動は 哲学も組織もないままに国家建設を称えたために失敗し、結局、軍が抑えることになった。 ISをメディアが呼ぶテロ組機と決め付けることも危険だ。 ISはシリアのアラブ系部族と連携し、共存関係にある。何より、lSにはイスラム国建設という明確な政治目的がある。

◎「部族」「イスラムJ「国家」をさまよう中東との付き合い方

 中東はアラブ民族が主流を成す地域だが、今、アイデンティティーの変遷の只中にいる。それは①部族②イスラム③国家―三つの価値観のうち どれに治まろうとしているのかである。中東アラブ世界には三つの価値観が入れ普わり立ち代わりする歴史のパターンがあり 今日のそれは「部族主義」が台頭している時代といってよい。従って 中東が安定化するには相当時間を要する。日本が心配しなければならないのは湾岸情勢である。一見して近代化、工業化した国々が存在するものの、根にあるのは血のつながり。サウジアラビアのサルマン新国王は政権を血の結束で固めており 部族主義の自覚を促している。サウジアラビアの建国は、法学者ワッバーブが称えるイスラム原理主義運動をサウド家が支援することによって成功した。サウジにとってISは、建国の歴史をよみがえらせるものであり、その動きを最大限に警戒しているはずだ。なぜなら、サウジはオイルマネーによってイスラム世界の盟主の地立を確立したものの、時代とともにイスラム理論は色褪せ、その不満が国内に噴出しているからだ。他の湾岸諸国も石油収入が落ち込み、王宮内には窮屈な空気が漂っている。イエメン内戦 イラク国境防衛に伴う湾岸諸国の国防資は巨額に上り、その穴埋め問題を含め、サウジを始め湾岸諸国は来年最も世界の中で注目される存在になるだろう。日本が湾岸諸国に依存しすぎると、進出企業が抜け出せなくなり、政府も関与せざるを得なくなるから 邦人死者を出したアルジェリア事件が再発する危険性も高くなる。引き続き日本は湾岸諸国との距離を置くべきだ。また 中東以外、日本においても過激なイスラム的な環境が作られる土壌は十分にある。そのパターンは、引きこもりや鬱病に罹った者が精神の浄化を求めてイスラム教徒となり、ISのような破壊主義的思想に触れてテロリストになっていく。イスラム教徒になるには洗礼や証明書など不要で「アラー以外に神はなし」と自己宣言すればいい。9・11米国同時多発テロは、狂信的なウサマ・ビンラーディン率いるアルカーイダによる復讐劇であったが、そのテロはトップダウン型であり、十数年かけて用意周到に準備された。対してISのテロはチェーンストア型である。命令がなくとも、個々がISを名乗ってある場所で自爆テロなど派手なパフォーマンスを実行する。すると同様の手口が自然と世界中に拡散していく。自発型テロといってもよい。シナイ半島で起こったロシア旅客機墜落事件について、ロシアもエジプトも未だテロ説を唱えていないが、エジプトの治安能力の低きを露皇したものであり、航空機の乗り入れを各国が相次いで停止したのは、再発の危険が極めて高いことを示している。


中国、一人っ子政策、廃止!

中国民衆の風刺精神は健全です。

先週開かれた中国共産党の重要会議、第18期中央委員会第5回総会(5中総会)は一人っ子政策の廃止を決めました。就労人口の減少を恐れたからです。早速、中国から笑い話が届きました。意訳してお届けします。

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ブタの月給は五千元です。20万元で家を建てようと考えました。ところがオオカミはそれを許さず、無許可で建てるのは違法建築だと言いました。スッポンには許しました。というのはスッポンは工事に先立ってオオカミに20万元の賄賂を贈って開発権を取得し、オオカミから50万元で土地を買っていたからです。そして10万元でブタ小屋を建てました。そしてこの小屋を200万元で売るぞ、とブタに言いました。ブタは金がなかったのでネズミから200万元を借りました。20年ローンで元利合計300万元返済の条件でした。ブタは家族全員で働きネズミに借金を払いました。オオカミ、スッポン、ネズミは全員儲けました。ブタだけが損をして子供を育てることもままなりませんでした。このようにしてだんだんブタが減ってきました。このままでは食べる肉に事欠くとオオカミは気づきました。そこで、ブタに向かってもう一匹子供を産んでよろしい、と宣言しました、とさ。

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猪月薪5千,打算用20万建一个窝,狼不允许,说私自建就是违章建筑,只允许向王八买。王八是搞工程的,先用20万贿赂狼取得开发权,再用50万元向狼买这块地,花10万元把猪圈盖好,向猪要价200万元。鼠借200万元给猪,连本带利300万,20年还清,猪全家二十年给鼠打工。狼、鼠、王八都挣了钱,只有猪亏,连崽子也不敢生了。猪越来越少,狼觉得这样下去大家没肉吃,于是宣布猪可以再生一个。

中国で、ついにこんな意見が

中国で、ついにこんな意見が公然と出てくるようになりました。

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http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5468?page=2
WEDG Infinity

チャイナ・ウォッチャーの視点
中国共産党の「信仰の危機」
2015年10月13日(Tue)  西本紫乃 (北海道大学公共政策大学院専任講師)

9月22日から28日まで、習近平国家主席は米国を公式訪問した。習近平政権がスタートしてから、国家主席が国賓待遇で訪米するのは今回が初めてであり、それだけに今回の習近平訪米を歴史的な訪問として演出するため、中国側は事前準備に全力を尽くしたようだ。
 実際にはサイバーセキュリティや軍事、人権と両国が相容れない問題とそれぞれの思惑があり、中国が思い描いていたほど華々しい訪米とはならなかったのだが、中国国内では今回の習近平主席の訪米の最大の成果は「米中が新型大国関係の構築に互いに努力することで同意した」ことだとか、国連総会での途上国の立場を尊重した習近平主席の演説は「満場からの喝采」を受けた、といった誇大さが目立つ報道ぶりだった。

「紅二代」が共産党に騙されたと咬みつく

 さて、中国の新聞やニュース報道で自国の大国ぶりを示す習近平主席の訪米の話題一色となっていた9月下旬、中国国内では中国共産党の「信仰の危機」についての話題が人々の耳目を集めていた。
 中国では宗教について自由な信仰が認められている。しかし、そこには但し書きが付く。自由に信仰して良いのは中国共産党が認可した宗教団体であることが前提だ。「宗教<党」である中国における「信仰」とはキリスト教やイスラム教といった宗教一般における信仰という意味の他に、より核心的な意味として中国共産党の政治思想に対する「信仰」、つまりそれを絶対のものとして信じて疑わない心、といった意味でも使われる。
 習近平国家主席が大国のリーダーとして外交の舞台に立っていた頃、中国国内では中国共産党の掲げる共産主義の理想に対する疑義がもちあがっていた。 事の発端は9月21日午前、中国版ツイッターと呼ばれる「微博」の中国共産党の若手エリートを養成する組織、中国共産党青年団(共青団)の中央のアカウントが、共産党員たちの共産主義思想に対する「信仰」の重要性を説いた記事を紹介したことに始まる。

 この共青団のツイートに対して、大手不動産開発会社の元会長の任志強が「我々は共産主義の次世代の担い手だ」というスローガンに十数年騙されてきたと咬みついたのだ。

 任志強の父親は商務部の副部長(中央官庁の副大臣に相当)を歴任した任泉生で、任志強は共産党の老幹部の子弟のいわゆる「紅二代」である。任志強自身も共産党員で北京市の政治協商委員の肩書きももっている。共産党にとって身内であるはずの任志強が吐き出した党の思想への反発であり、すわ「信仰の危機」だ、と中国のネット上で注目を集め、任志強のつぶやきは瞬く間に拡散した。

 大きな反響を受けて、任志強は同日夜に「我々は共産主義の次世代の担い手か?」と題するコラムを「微博」で公開した。そのコラムで任志強は次のように私見を述べている。
(改革開放後)無産階級によって革命で打倒されるべきだとされた資産階級が中国の発展の原動力となったではないか。民間企業の公有化によって計画経済は破綻し、計画経済政策は完全に失敗だったと宣言された。戦いにおいて負け知らずだったはずの毛沢東思想も数千万人の餓死者を出し、文革でも冤罪でどれほどの人が亡くなったかわからない。ひょっとすると建国後の誤った政策で死亡した人の方が戦死者よりも多いかもしれない。しかし、改革開放が中国人を飢えや寒さから完全に解放したのだ。
<中略>
 私も共産主義が実現することを望んでいる。しかし、どのような道を辿ればそこに至るのか? マルクスは共産主義は一国家では実現しないと言った。(共産主義は)世界の普遍的な価値観と認識を共にすべきものであり、洋の東西を問うことなく、敵も味方もない。少なくとも今のところ(中国に)この前提はない。歴史は私たちに教えてくれる。暴力革命でもダメで、公有制の経済でもダメで、計画経済でもダメだった。民主や法治がなければなおさらダメだ!
<中略>
 我々は遠大な理想の中ではなく、現実の中で生きていかなければならない。目の前の制度設計の問題をしっかりと解決すること、中国の国民が民主と自由を享受できる制度を信頼すること、家庭の収入を安定させること、法律によって国民の生命と財産の安全を保障すること、中国人を世界共通の価値観を馴染ませること、こうしたことをまず先にやらなければならない。それらをやらずに如何にして共産主義が実現できるというのか?

 共産党の過去の政策の過ちを痛烈に批判し、欧米の価値観を拒否する現政権の姿勢に反発する任志強の文章は、現在の中国の言論環境にあっては非常に過激だ。国民の多くが感じているが敢えて口にしないことを大胆に主張した任志強の意見に多くの人が共鳴した。共青団側は当初は任志強の主張に対して「人は理想がなければ魚の干物と同じだ」と軽く受け流していたが、任志強の意見がネット上で急速に拡散するのを目の当たりにして、共青団側も看過できなくなってきた。

国慶節に公開された問題提起
「新国家かそれとも新政権か?」

 23日朝、共青団の広報・プロパガンダ部門の責任者、景臨が「任志強氏との討論」と題するコラムを発表し、共青団の団員が任志強の主張に対して冷静に対応するように呼びかけた。

 世論の盛り上がりと共青団側の動きを受け、同日夜、任志強は第2のコラム「全世界の無産階級は連帯したか?」を公開し、さらに舌鋒鋭く共青団を批判した。その文章では共産主義とは国際主義でもあり、中国だけで成し遂げられるものではないので、世界と価値観を共有することが重要だと述べ、

 「共青団の文章には共産主義の目標について甚だしい誤りがある。共産主義を“一つの民族、一つの国家、一つの政党”が胸に秘めた大きな目標だといっているが、これは歴史を否定するような無知だ」と切って捨てている。

 その上で「マルクス主義と中国の伝統と結びつけて“中国の特色ある社会主義”打ち立てるのは結構だが、その中身の多くは“中国の夢”であって共産主義ではない!」と、共青団の語る共産主義の実現という大きな目標と、習近平主席の国民向けスローガンである“中国の夢”との理念を同一におくことの誤謬を厳しく指摘している。

 国民の国家への求心力を高めるために現政権が「大きな物語」として掲げている“中国の夢”を批判する任志強の第2コラムは、さすがに今の中国の言論環境においてはレッドラインを踏み越えるものだ。24日、党内の指導者から任志強本人に直接、公開した文章を削除するように指示があったが、任志強は削除せよとの連絡を受けた事実も「微博」で晒したのだった。

 その日の夜、共青団側も「立ち上がれ理想主義-任志強たちへの一通の公開書簡」と題する文章を公開して任志強の文章の詳細な部分を取り上げそれらの過ちを指摘した。

 共青団側と任志強の泥仕合になってきたこのあたりで、そろそろ論争も終わるかと思われていたが、中華人民共和国の建国記念日にあたる国慶節の10月1日、任志強は「新国家かそれとも新政権か?」と題する第3のコラムを発表した。この文章で任志強は国家と政権を同一視することの矛盾を突き、1949年1月1日に毛沢東が天安門で宣言したのは新政府の成立であって国家の成立ではない。したがって国慶節は政府が誕生した誕生日であって、国の誕生日ではないということをすべての中国人は認識すべきだ、と訴えている。

 国慶節のその日にタイムリーに公開されたこともあり、「新国家かそれとも新政権か?」はわずか数時間のあいだに10万人以上が閲覧したが、この文章も翌日までにはネット上から削除されてしまった。

 一連の文章の中で、任志強自身は共産主義の実現という理想自体を否定しているわけではない。任志強の主要な論点は、欧米の価値観の流入を警戒するのではなく、普遍的な価値観も受け入れつつ理想としての共産主義を実現すべきであり、習近平が掲げる“中国の夢”は共産党が本来目指すべき共産主義の実現という理想とは相いれないものだ、というところにある。
 2012年の習近平政権スタート時に、中国にとって外交、内政とも大きく分けて「開く」方と「閉じる」方の2つの道の選択ができたと思う。外交については、経済大国となった中国に対して各国からの中国脅威論を刺激しないよう国際社会と協調する「開く」方の道もあったが、習近平政権はこの道は選ばなかった。内政については社会が発展し利害が多様化する状況下で、共産党の権力の幅を小さくし相対的に自由と民主の幅を広くしていくという「開く」方の道があったがそちらの道は選ばなかった。

 政権発足から今日までの3年間、習近平政権は対外的には大国としてのプレゼンスを高め発言権を獲得すること、国内的には強権的な腐敗の一掃と思想や言論の統制の強化を図り、「開く」戦略より「閉じる」戦略を選択してきた。その結果、今日生じているのは、伝統中国と共産党が統治する中華人民共和国を重ねあわせるという「自高自大」であり、エスニック・アイデンティティ(民族主義)にナショナル・アイデンティティ(愛国主義)をかぶせることで国民の民族への愛着を利用した愛国心の発揚である。

 任志強が投げかけた「信仰」に対する疑問は、習近平政権が「閉じる」方の道を進んできた結果、中国共産党が本来目指していたはずの目標と、政権の方向性のズレを鋭く抉り出している。

 今回の「信仰の危機」に対して、共産党はネット上から情報を削除してその声をかき消すことで強制終了させたが、「閉じる」ことで生じている「信仰」へのゆらぎは、閉じれば閉じるほどますます大きくなるのではないだろうか。

いにこんな意見が公然と

中国で、ついにこんな意見が公然と出てくるようになりました。

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http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5468?page=2
WEDG Infinity

チャイナ・ウォッチャーの視点
中国共産党の「信仰の危機」
2015年10月13日(Tue)  西本紫乃 (北海道大学公共政策大学院専任講師)

9月22日から28日まで、習近平国家主席は米国を公式訪問した。習近平政権がスタートしてから、国家主席が国賓待遇で訪米するのは今回が初めてであり、それだけに今回の習近平訪米を歴史的な訪問として演出するため、中国側は事前準備に全力を尽くしたようだ。
 実際にはサイバーセキュリティや軍事、人権と両国が相容れない問題とそれぞれの思惑があり、中国が思い描いていたほど華々しい訪米とはならなかったのだが、中国国内では今回の習近平主席の訪米の最大の成果は「米中が新型大国関係の構築に互いに努力することで同意した」ことだとか、国連総会での途上国の立場を尊重した習近平主席の演説は「満場からの喝采」を受けた、といった誇大さが目立つ報道ぶりだった。

「紅二代」が共産党に騙されたと咬みつく

 さて、中国の新聞やニュース報道で自国の大国ぶりを示す習近平主席の訪米の話題一色となっていた9月下旬、中国国内では中国共産党の「信仰の危機」についての話題が人々の耳目を集めていた。
 中国では宗教について自由な信仰が認められている。しかし、そこには但し書きが付く。自由に信仰して良いのは中国共産党が認可した宗教団体であることが前提だ。「宗教<党」である中国における「信仰」とはキリスト教やイスラム教といった宗教一般における信仰という意味の他に、より核心的な意味として中国共産党の政治思想に対する「信仰」、つまりそれを絶対のものとして信じて疑わない心、といった意味でも使われる。
 習近平国家主席が大国のリーダーとして外交の舞台に立っていた頃、中国国内では中国共産党の掲げる共産主義の理想に対する疑義がもちあがっていた。 事の発端は9月21日午前、中国版ツイッターと呼ばれる「微博」の中国共産党の若手エリートを養成する組織、中国共産党青年団(共青団)の中央のアカウントが、共産党員たちの共産主義思想に対する「信仰」の重要性を説いた記事を紹介したことに始まる。

 この共青団のツイートに対して、大手不動産開発会社の元会長の任志強が「我々は共産主義の次世代の担い手だ」というスローガンに十数年騙されてきたと咬みついたのだ。

 任志強の父親は商務部の副部長(中央官庁の副大臣に相当)を歴任した任泉生で、任志強は共産党の老幹部の子弟のいわゆる「紅二代」である。任志強自身も共産党員で北京市の政治協商委員の肩書きももっている。共産党にとって身内であるはずの任志強が吐き出した党の思想への反発であり、すわ「信仰の危機」だ、と中国のネット上で注目を集め、任志強のつぶやきは瞬く間に拡散した。

 大きな反響を受けて、任志強は同日夜に「我々は共産主義の次世代の担い手か?」と題するコラムを「微博」で公開した。そのコラムで任志強は次のように私見を述べている。
(改革開放後)無産階級によって革命で打倒されるべきだとされた資産階級が中国の発展の原動力となったではないか。民間企業の公有化によって計画経済は破綻し、計画経済政策は完全に失敗だったと宣言された。戦いにおいて負け知らずだったはずの毛沢東思想も数千万人の餓死者を出し、文革でも冤罪でどれほどの人が亡くなったかわからない。ひょっとすると建国後の誤った政策で死亡した人の方が戦死者よりも多いかもしれない。しかし、改革開放が中国人を飢えや寒さから完全に解放したのだ。
<中略>
 私も共産主義が実現することを望んでいる。しかし、どのような道を辿ればそこに至るのか? マルクスは共産主義は一国家では実現しないと言った。(共産主義は)世界の普遍的な価値観と認識を共にすべきものであり、洋の東西を問うことなく、敵も味方もない。少なくとも今のところ(中国に)この前提はない。歴史は私たちに教えてくれる。暴力革命でもダメで、公有制の経済でもダメで、計画経済でもダメだった。民主や法治がなければなおさらダメだ!
<中略>
 我々は遠大な理想の中ではなく、現実の中で生きていかなければならない。目の前の制度設計の問題をしっかりと解決すること、中国の国民が民主と自由を享受できる制度を信頼すること、家庭の収入を安定させること、法律によって国民の生命と財産の安全を保障すること、中国人を世界共通の価値観を馴染ませること、こうしたことをまず先にやらなければならない。それらをやらずに如何にして共産主義が実現できるというのか?

 共産党の過去の政策の過ちを痛烈に批判し、欧米の価値観を拒否する現政権の姿勢に反発する任志強の文章は、現在の中国の言論環境にあっては非常に過激だ。国民の多くが感じているが敢えて口にしないことを大胆に主張した任志強の意見に多くの人が共鳴した。共青団側は当初は任志強の主張に対して「人は理想がなければ魚の干物と同じだ」と軽く受け流していたが、任志強の意見がネット上で急速に拡散するのを目の当たりにして、共青団側も看過できなくなってきた。

国慶節に公開された問題提起
「新国家かそれとも新政権か?」

 23日朝、共青団の広報・プロパガンダ部門の責任者、景臨が「任志強氏との討論」と題するコラムを発表し、共青団の団員が任志強の主張に対して冷静に対応するように呼びかけた。

 世論の盛り上がりと共青団側の動きを受け、同日夜、任志強は第2のコラム「全世界の無産階級は連帯したか?」を公開し、さらに舌鋒鋭く共青団を批判した。その文章では共産主義とは国際主義でもあり、中国だけで成し遂げられるものではないので、世界と価値観を共有することが重要だと述べ、

 「共青団の文章には共産主義の目標について甚だしい誤りがある。共産主義を“一つの民族、一つの国家、一つの政党”が胸に秘めた大きな目標だといっているが、これは歴史を否定するような無知だ」と切って捨てている。

 その上で「マルクス主義と中国の伝統と結びつけて“中国の特色ある社会主義”打ち立てるのは結構だが、その中身の多くは“中国の夢”であって共産主義ではない!」と、共青団の語る共産主義の実現という大きな目標と、習近平主席の国民向けスローガンである“中国の夢”との理念を同一におくことの誤謬を厳しく指摘している。

 国民の国家への求心力を高めるために現政権が「大きな物語」として掲げている“中国の夢”を批判する任志強の第2コラムは、さすがに今の中国の言論環境においてはレッドラインを踏み越えるものだ。24日、党内の指導者から任志強本人に直接、公開した文章を削除するように指示があったが、任志強は削除せよとの連絡を受けた事実も「微博」で晒したのだった。

 その日の夜、共青団側も「立ち上がれ理想主義-任志強たちへの一通の公開書簡」と題する文章を公開して任志強の文章の詳細な部分を取り上げそれらの過ちを指摘した。

 共青団側と任志強の泥仕合になってきたこのあたりで、そろそろ論争も終わるかと思われていたが、中華人民共和国の建国記念日にあたる国慶節の10月1日、任志強は「新国家かそれとも新政権か?」と題する第3のコラムを発表した。この文章で任志強は国家と政権を同一視することの矛盾を突き、1949年1月1日に毛沢東が天安門で宣言したのは新政府の成立であって国家の成立ではない。したがって国慶節は政府が誕生した誕生日であって、国の誕生日ではないということをすべての中国人は認識すべきだ、と訴えている。

 国慶節のその日にタイムリーに公開されたこともあり、「新国家かそれとも新政権か?」はわずか数時間のあいだに10万人以上が閲覧したが、この文章も翌日までにはネット上から削除されてしまった。

 一連の文章の中で、任志強自身は共産主義の実現という理想自体を否定しているわけではない。任志強の主要な論点は、欧米の価値観の流入を警戒するのではなく、普遍的な価値観も受け入れつつ理想としての共産主義を実現すべきであり、習近平が掲げる“中国の夢”は共産党が本来目指すべき共産主義の実現という理想とは相いれないものだ、というところにある。
 2012年の習近平政権スタート時に、中国にとって外交、内政とも大きく分けて「開く」方と「閉じる」方の2つの道の選択ができたと思う。外交については、経済大国となった中国に対して各国からの中国脅威論を刺激しないよう国際社会と協調する「開く」方の道もあったが、習近平政権はこの道は選ばなかった。内政については社会が発展し利害が多様化する状況下で、共産党の権力の幅を小さくし相対的に自由と民主の幅を広くしていくという「開く」方の道があったがそちらの道は選ばなかった。

 政権発足から今日までの3年間、習近平政権は対外的には大国としてのプレゼンスを高め発言権を獲得すること、国内的には強権的な腐敗の一掃と思想や言論の統制の強化を図り、「開く」戦略より「閉じる」戦略を選択してきた。その結果、今日生じているのは、伝統中国と共産党が統治する中華人民共和国を重ねあわせるという「自高自大」であり、エスニック・アイデンティティ(民族主義)にナショナル・アイデンティティ(愛国主義)をかぶせることで国民の民族への愛着を利用した愛国心の発揚である。

 任志強が投げかけた「信仰」に対する疑問は、習近平政権が「閉じる」方の道を進んできた結果、中国共産党が本来目指していたはずの目標と、政権の方向性のズレを鋭く抉り出している。

 今回の「信仰の危機」に対して、共産党はネット上から情報を削除してその声をかき消すことで強制終了させたが、「閉じる」ことで生じている「信仰」へのゆらぎは、閉じれば閉じるほどますます大きくなるのではないだろうか。

<笑話:1012> お気に入りの女性秘書をクビ

ただただ笑ってください。

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仕事上なんのミスもしていないのに、局長がお気に入りの女性秘書をクビにしました。
なぜ、と友達が聞きました。
すると局長は次のように答えました。
何日か前、俺の誕生日に、夫が出張で家にいないから是非来てくれと彼女に頼まれたのさ。それで彼女の家に行ったら客間に通されて、私は先に寝室に行くから5分後に来てね、とそっと囁かれたのさ。
友人はせっかちに聞きました。「でどうした?」
局長は憤慨して言いました。
寝室のドアを開けたらひっくり返るほど驚いたぜ。職場の連中がそろってロウソクをつけてハッピーバースデイって歌いやがったのさ。
友達はおもむろに言いました。
何か不都合があったの?
局長は烈火のごとく怒って言いました。
こん畜生め、俺は素っ裸だったのさ。

局长说:
前几天我过生日, 她邀请我去她家过,她还特别告诉我她老公出差了。 进门后她让我呆在客厅, 然后神秘地说她先去卧室, 让我五分钟后再进去。
朋友急切地问到“然后呢......?”
局长愤愤地说:
我推开卧室门后, 顿时被吓晕了, 单位里的同事都挤在卧室里点着蜡烛, 齐声唱起生日快乐歌。
朋友舒了口气说:
那有什么了不得? 这创意不错啊!
局长怒火道:
我他妈脱光进去的。

<笑話:1011> 父と子の史上最高の傑作対話

中国からは相変わらず面白い笑話が送られ続けているのですが、なかなか翻訳まで手が回りません。しかし、昨日、表題通りの傑作が送られてきたので、久々に翻訳してみました。

日本の馬鹿者、失礼、若者にも聞かせたい笑話です。

いかがでしょうか?


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息子: オヤジ、俺は入隊して南シナ海を守りに行くぜ! アメリカと対決して国を守るんだ!

 オヤジは息子に一発ビンタをかまして言いました。

父: 家族を守らないで国を守るだと? アメリカ人がお前から何を奪えるというんだ? 国はお前に何を守れというんだ?

息子: 国土を守るんだ。

父: どこの土地のことだ? 十坪ほどの土地も買えもしねえで、もし買えたとしても70年の借地権しかないものを、土地といえるかよ!

息子: アメリカは俺たちを併呑しようとしてるんだ・・・

父: お前はいつも外国に行きたいと言ってたじゃないか? お前の同級生たちもいつも出国したがってたろう? 併呑されりゃ、出国費がいらねぇだろうが。

息子: アメリカに併呑されたら白人の言うがままになって、中国人は二等国民にされちゃう。

父: アメリカではな、一人一票持ってるんだ。併呑されたら中国系13億人対白人系2億人となるんだぞ。どうして言われるままにしなくちゃならねえんだ? 大統領選挙では中国系が当選するにきまってらあ。

息子: アメリカ人は我々の人民政府を転覆させちゃうんだ、人民政府を守らなくちゃ!

父: なに!(また一発ビンタをかまして)、誰を守るって言うんだ? 国税庁か? 財政省か? 国家計画局か? 証券監督管理委員会か? 衛生省か? 薬品監督管理局か? 住宅管理局か? 計画局か? 計画出産局か? 都市管理局か? それともサッカー協会か? こんなバカ者どもを守るというんだったら、俺はお前の足をへし折ってやる。

息子: (ふてくされて) 分かったよ。もしアメリカ人が攻めてきたら俺はアメリカに行って米兵の道案内をするさ。

父: なんだと?(また一発ビンタをかまして)、まったくこのバカたれが、ムダ飯を食わしちまったよ。なんでお前が道案内しなきゃいけねえんだ。共産党幹部連中が隊列を組んでとっくに道案内してるんだよ。


※舜子曰く:「中国を経済的に発展させた改革開放は、中国共産党によって、米欧日の技術と資本が導入されて達成されたものです。」


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 亲爹与儿子史上最经典对话

 儿子:爸? 我要去参军保卫南海! 对付美国, 保卫国家!

 父亲听了一个耳光给他扇过来。

 父:家人都保不了,还保卫国家? 你说说美国人能抢你啥? 国家啥东西需要你保卫?

 儿子:我要保卫咱国家的土地……

 父:你先说说你哪来的土地? 连几十平方米的小房子都买不起, 就算买得起也只有70年暂时的使用权,还土地? 等你有了土地再去保卫吧!

 子:美国想吞并我们…

 父:你不是天天想出国吗? 你同学不也是一大堆想出国吗? 吞并了把出国费也省了。

 子:被美国吞并了都白人说了算,中国人都成二等公民了。

 父:美国选总统都是一人一票,要合并了咱中国,13亿华人对他2亿白人,谁说了算? 选出来的总统到时是华人,美国人自己才不干呢。

 子:美国人打过来,会颠覆我们的人民政府,我要保卫人民政府!

 父:“?”(又是一记耳光),你究竟想保卫谁? 国税局? 财政部? 发改委? 证监委? 卫生部? 药监局? 房管局? 规划局? 计生办? 城管?还是足协? 你如果想保卫这帮混蛋,看老子不打断你的腿……

 子:(赌气地)我想通了,如果美国入侵,我去给美国大兵开门带路。

 父:“?”(又是一记耳光),白养你了,这么白痴,到时轮到你带路? 领导干部早在那排队带路了。

アボカド現状

盆栽化してしまった。

成長が止まったように見えるが、葉っぱは増えて、しっかりしている。
明るい緑が美しい。


東京裁判は極めて日本的な手打ち式だった!

12月29日

日本を愛すると自称する人々の中には、東京裁判を勝者の論理として批判する傾向があります。しかし私はこれほど「日本的」な手打ち式はないと思っています。

もちろん、戦後に生まれた者として、裁判プロセス、判決に対して言いたいことはあります。しかし、当時の日本政府は政府として無条件に敗戦を認め裁判に身をゆだねたのです。その結論に反対ならもう一度戦争をするしかありません。

私がこの裁判を「日本的」というのは、明治維新期までの日本は、敗戦の将が腹を切れば配下のものの責任は不問にする伝統があったからです。ドイツやイタリアのようにトップ以下責任者を自国民自身の手で始末するよう、当時の世界は日本国民に求めませんでした。

本来なら天皇以下最高責任者を峻別し、日本国民の手で始末をつけるべきでした。しかし「一億総ザンゲ」などとわけのわからない集団主義に犯されていた日本人はどうすればよいかわかりませんでした。腹を切って責任を取るべき東条英機は、ヒトラーほどの潔さもなく、逮捕されに来るまでおめおめと生き延び、自殺にも失敗する始末(沖縄戦の現場責任者は自害)。東条らは裁判でも往生際が悪い。しかし、アメリカを筆頭とする戦勝国は「お前たち少数が責任を取れば天皇を含め大多数の日本人を許す」という寛大な処置をしたのです。

東京裁判に参加していなかった中華人民共和国も、日中国交回復の際「悪かったのは一部の軍国主義者でありアジア人民のみならず日本人民も被害者である」と東京裁判の判決を踏襲したのです。

安倍首相以下、A級戦犯が合祀されてから靖国を公式参拝した首相は日本国と世界との合意を「機会あればチャラにするぞ」との意思表示をしたに等しいのです。命拾いした天皇とその取り巻きたちが恐れ多くて靖国を参拝しないのは、この道理をよく知っているからです。

不満があっても東京裁判の結果を受け入れるか、日本国民自身の手で過去にさかのぼって本当の責任者の始末をつけるか、もう一度世界と戦争して勝利するか、ぐずぐずと無能力者のフリをしてやり過ごすか、この4つしか選択肢はありません。どの選択肢が、世界から尊敬されつつ世界と共存していける道か、いうまでもなく明白ではないでしょうか。

安倍ちゃん、もう一回戦争やる気?

12月28日

安倍首相の行動には、中韓はもちろん、アメリカ、ロシア、EUとほとんどの国が批判しました。特に事前に千鳥が淵の戦没者慰霊碑を訪問して「靖国は国際標準ではないよ」と暗示していたアメリカの批判はほんもののように思えます。これからアメリカの安倍政権つぶしが本格的にはじまるんでしょうね。田中さんを潰したときのような奥の手が出てきそうな気がします。
安倍さん、信念を貫くなら、もう一度「先の大戦」をやり直して「勝つ」必要がありますよ。全世界を相手にして戦争する覚悟がありますか?

困った安倍ちゃん

12月26日、東京に留学し東京で就職した中国出身と韓国出身の若者とプチ忘年会をしました。折しも日本の首相が靖国神社を参拝した日。当然話題になりましたがあまり盛り上がらず、ヤレヤレの感。

これが東京で、相手が靖国神社に祀られていない西郷隆盛生地の近所出身の私相手だったからいいものの、彼らの出身地の中国や韓国での酒席だったらと考えると、思慮の足らない首相を抱える国の国民としては暗澹たる気持ちになります。

厳しさを増す世界環境において日本人が生きて行くために親日家をたくさん育てなければならない状況下でなんてことをしてくれるんだ、と言いたい。信念なら首相でなくてもやれるはず。この人は、公人の自覚、日本の国益(実益)の担い手であるという自覚のない人、偏狭な偏った考えを持った人のようです。
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