語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【詩歌】村野四郎を読む(1) ~飛込(二)~

2015年04月25日 | 詩歌
 僕は白い雲の中から歩いてくる
 一枚の距離の端まで
 大きく僕は反る
 時間がそこへ皺よる
 蹴る 僕は蹴った
 すでに空の中だ
 空が僕を抱きとめる
 空にかかる筋肉
 だが脱落する
 追われてきてつき刺さる
 僕は透明な触覚の中で藻掻(もが)く
 頭の上の泡の外に
 女たちの笑(わらい)や腰が見える
 僕は赤い海岸傘(ビーチパラソル)の
 巨(おおき)い縞を掴もうとあせる

 *

 「大きく僕は反る/時間がそこへ皺よる」「蹴る 僕は蹴った/すでに空の中だ/空が僕を抱きとめる」・・・・<いまからみればこのような表現もさほど新奇に感じられないだろうが、当時のモダニズムの系流の詩は、これらの作品によって表現のあたらしい可能性を獲得し、詩の領域をひろげていった。いや、その当時ばかりではない。「時間がそこへ皺よる」「空が僕を抱きとめる」という時間・空間の把握とその表現はいまでも新鮮である。多くの人はこの詩集(引用者注・『体操詩集』)がスポーツのいろんな場面を題材にしていることから、まず題材の点に興味をひかれるらしい。それもまちがいではないが、それよりもこれらの作品で決定的に大事なことは、スポーツの場面におけるさまざまの姿勢、運動、速度、変転をはじめ、それを取りまく時間や、そこに生じる情緒などのいっさいが、一個の型態として構成され、スポーツそのものが「形」として把握された点である。時間や空間を切り取り、それに形をあたえたことにおいて、この詩集の新鮮さはいまもうしなわれていない。これはスポーツに題材した「形態詩集」であり、フォルムの創造において際立っている。>【伊藤信吉「解説」(『村野四郎詩集』(思潮社、1987))】

□村野四郎「飛込(二)」(『体操詩集』、1939)
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