ライフワークを生きよう!~こんな私だからできること

ライフワークを生きよう!~こんな私だからできること

奥山と街を行き来しながら暮らす、20代〜小1の四人の子の母が、スパイシーな人生の中で、自己探究し、天命に挑戦しています!

最近、スクランブルエッグ(我が家では「ぐちゃぐちゃたまご」と言う)づくりに、はまっている小1末娘。

今朝、ごきげんで作ってたんだけど、

盛り付けるお皿を準備してなくて、
フライパンを持ったまま、
片手でお皿を探っているのを
夫が目にして、
細かく注意されて、
チーン。

涙でフリーズ。

ああ、スクールバスの時間に間に合わない。

気持ちが切り替わるのを待って、
食事を終え、

今日も、歩いて学校に行くことになった。

先月、一度、歩いて下校したことがあってからは、
「歩いて学校に行きたい!」と
何度もリクエストされ、

奥山の朝の秋を、二人で満喫した。

お寺にお参りしたり、
お花や虫を見つけて観察したり、
登校に、1時間半かかったことも。

冷え込みがきつくなってからは、
凝りたようで、
最近はリクエストがなく、

今日は、ちょっと久しぶりの徒歩登校。

手袋にニットの帽子、完全防備で出発する。


薪ストーブの煙たなびく我が家。
一昨年完成した土砂流出防止柵。

雲一つない青空だけど、谷にはまだ陽は当たらない。

歩きだすなり、
「トンビがいないね」と末娘。
家の前の橋の電柱に、いつもとまっているのに、今日は姿が見えない。


隣のキャンプ場の紅葉がみごと。
ドッグランもあって、平日なのにお客さんの姿も。


白い息を吐きながら、
ハロを大声で熱唱。

ごきげんに歩き続ける末娘。


季節外れの桜の花


もうすぐ学校、というところで、
にわかに陽が当たる。
東の山から日の出する風景も楽しむ。


学校とうちゃく~!
今日は50分で着いた。

× × ×

こんな時間が持てたのも、

事故って車を手放したからこそだと、
しみじみ思う。

歩く道中、何人の方と出会って、心を通わせたことか。
(車を減速させたり停めてまで挨拶してくれた方も。除雪車に乗ってた(点検中?)のパパも。温かな声をかけてもらえて心が震えた。)

出会えなかったおばあちゃんにも、自然と心が送られる。

そして、どれほど、
木々、草花、鳥などの生き物、日光や風、水の流れなどを感じたことか。

車を運転する生活の中では、
こんなに豊かに時間を過ごすこと、
できなかったなあ。

事故ったことに感謝。

父に「おまえは狂うとる」と言ってもらえたことに感謝。

末娘を叱ってくれた夫と、
へそを曲げて、バスに乗り遅れ、
徒歩登校をリクエストしてくれた末娘に感謝。

そして、自転車忘れた自分にGJ.

そのおかげで、写真撮れて、ブログにアップできた。

そして、この記事を読んでくれたあなたにもつながった。

こうして、心が届けられるのが嬉しいです。

ありがとうございます!

秋分の前、車で事故った日の早朝、

超珍しく、実家の父から直接私のスマホに電話があった。

 

翌日予定されていた帰省を取りやめてほしい、から、

しばらくいろいろ話した末、

 

最後に、とても優しく、丁寧に、

 

「おまえは、狂うとるぞ。よう考えてみい。」と言われて、

 

電話は切られた。

 

 

若い頃、父が私に、木刀を振るいながら、

激しく言われたこともあるそのセリフを思い出しながら、

 

 

「それは、あなたの考えですよね」

「わたしは、狂っていない」

 

と、しずかに心の中でつぶやき、その場で昇華した。

 

 

と、思っていたのだが、

 

この数時間後に事故り、次の日にも事故り・・・。

 

 

父の言葉が、ボディブローのように効いて、

深いところが揺るがされていたのだろう。

 

 

 

あれから、

 

車を手放した生活が始まり、一月あまり。

 

見える世界、生きる世界が、全く変わり、

 

新しい世界を、いま、私は生きている。

 

 

× × ×

 

「世界に一つしかない、自分にしかできない、自分の仕事をつくる」ために、

 

 

ここ数日、「自己理解」を深めている。

 

自分の仕事を、

 

・生きていく上で、価値を認めて大事にしたいと思っている「価値観」

・無意識のうちに自然とやっている「得意なこと(才能)」

・もっと知りたい、疑問が湧く「好きなこと(興味)」

 

この3つを深掘りして、それを掛け合わせたところにつくる。

 

 

そんなワークに取り組む中、昨日、

あの、世界に名だたるお片付けの「こんまり」さんをプロデュースした

 

旦那さんの言葉にふれた。

 

 

「自分らしく生きる」ことこそ、「成功」で、

それを、社会の求めているものに、チューニングするのが、自分の役割。

 

 

その成功に至るために、結論として言える言葉は、

 

「安心して狂いなさい」だと。

 

 

批判されるところには行かなくていい。

 

本音をしゃべって受け取ってもらえそうな場所に行く。

 

”熱中して、没頭して、やっちゃうやつ”を突き抜けると、

その才能を輝かせてくれる人と出会える場所にたどり着く。


狂ってるサイズ感に合ってる人にしか出会えない。

 

なるほど!!!

 

 

× × ×

 

 

一夜明けた今朝、目覚めた布団の中で、父の言葉を思い出した。

 

「おまえは狂うとるぞ。」

 

 

 

心のなかに、返事が湧いた。

 

 

「・・・そうです。

 

私は、狂っています。あなたの言う通りでした。」

 

これからは、

 

安心して、狂っていきます!」

 

 

朝食後、末娘をスクールバスに送り出してから、

 

夫に、この決意を語ったら、

 

いつものように?!、

 

苦笑いしながら認めてくれた。

 

 

とまあ、こんな調子で、自分らしく、生かされております。

 

ありがたや、ありがたや。

''どうしたらいいかなど頭に浮かぶことなく、がんばらずに、直感の波に乗る。''


あの8年前の境地を、7月に思い出してから、

重い扉が開き始め、新しい自分のあり方を手に入れ、新しい世界を生き始めた!


と思ってたら、


秋分の前、2日連続で車で事故り、救急搬送。


北海道出張から帰ってきた夫に、

「かあちゃんはもう車の運転はしない方がいい」と宣告され、


家族会議の末、車と、都会の拠点を手放すことに。


もともと、まちの家で車一台で暮らす生活を目指してたわが家。


なのに、奥山に移住して、車二台が当たり前となり、今では、次男が帰れば車三台に。


なので、車を運転しない暮らし、なんて、原点回帰な感じで、ワクワクする!


と、前向きに暮らしてたんですが、


念のための頭の検査(MRI超辛かった)行ったり、風邪気味で起きれなかったりで、


思い通りに動けない日々が続いてたら、


まあ、私のポンコツぶりが止まらない。


昨日は、末娘、学校休んで、

都会で歯科通院と、翌日の遠足のおやつ200円分を買って、都会の拠点にあるお弁当箱を持って帰る、というミッション。


通院を&買い物を無事終え、お弁当箱を探すも、見当たらず。


暗くなってから疲れた様子で迎えに来てくれた夫に、末娘と遠足リュックを託し、

私は都会の拠点でバタンキュー。


夜、夫より「お弁当箱、こっちにあったよ」


さらに、今朝「遠足のおやつがないって」


あわてて確認すると、

あああ~、なんでここに、ビニール袋に入れた200円分のおやつが。


ここで、一瞬、訪問先の「水族館(都会にある)まで持っていこうか」と口から出たけど、


夫が、「ここにあるものを持たせることもできるよ」と返してくれ、

電話の奥では、楽しくおやつを選んでる末娘の気配がしたので、それでお願いした。


あ~あ~、昨日、わざわざ都会まで来たのに、3つの内、2つのミッションこなせないとは、なにやってんだか。


と、突っ込んでみたものの、


歯医者さんは無事行けたわけだし、

それだけでよかったんだ。


学校のプリントを何度も見直して、忘れ物がないか、確認して、

末娘にも、夫にも、何度も伝えたりして。


ああ~、それも、私が身につけた処世術。


こんなことにいまだにとらわれて、

それを回りに押し付けて、

楽しく生きることを忘れてる。


そんなとき、末娘の反応は厳しい。

私を嫌悪したり、拒絶したり。


彼女が、遠足行きたいなら、自分で準備すればいいんだし。


お願いされてもいないことに、干渉するのはもうやめよう。


もう、学校のことも、手放していいのかもしれない。


もっと、自分に集中して、回りのことを配慮せずに、その時その時の自分を生きていくのがいい。


ポンコツになればなるほど、

回りも自分も期待しないから、自由になれるはず。


とまあ、こんな調子で、生かされております。