おはようございます、沙久良です
昨日から3日間GW休みを取っています メールへの返信等は、6日より行いますのでお待ちくださいませ
今日も昨年7月の関門海峡不思議ネタです イズクエほどしっかりは書きませんが、またお楽しみくださいませ~
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水天門をくぐった先、タイやヒラメの舞踊り…は当然の事ながらなくて、静かな境内でした
手水へと向かいうと、一際目の引く青い看板が
安徳天皇神徳記の看板でした。海神の都へと旅立たれたのかと思うと、幼い命が失われた事よりも、神の世界へと生まれ変わられたのかと思うと、少し平家一門の哀しさや苦しさは和らいだのかな…?きゅっと胸が締め付けられる感じがするのは、きっとこの時に平清盛の弟の名の記された家系図(弟の名前を忘れた)を持った、女性からのご依頼の仕事だったからかも?
その女性はまた別の平家の子孫と婚姻し、とある山口県山間部の先祖代々の土地には財宝が埋めてあるから、本当に困った時にはそこを掘れと教えられたそうですが、そこがどこだったかを覚えていないそうです。私もその近くを抜け道として通る事があるのですが、結構な山奥なので、確かに平家の落人が逃げひっそりと住むにはいい場所だったのかもしれません。もう誰も場所を覚えてないか、うろ覚えなので、家族では笑い話としてその財宝の事を話されるそうなので、それはそれで子孫に宝を残したと言えるでしょう
金銀財宝よりも、生き延びて子孫を残し、その子孫が笑って暮らせる事を祖先は望んだのでしょうから
そんな平家一門の御霊を護るように凛々しく立つ狛犬
なんだか日本っぽくないわねと思い、後ろの看板を読む事に。
大連神社の全国の氏子たちから奉納されたんですね。うちも母方の華族の曾祖母が士族の曾祖父と駆け落ちして満州に渡ったという話だし、先祖が御加護を受けただろうから、大連神社にも参拝をしよう
そう思いながら進んだ先、陸の龍宮城・赤間神宮の立派な姿が見えて来ました 参拝すると、ありがたいという気持ちと、やっとお姿を拝見で来たという気持ち、静かに膝をついてひれ伏したい気持ちが湧いてきましたが、それは私の気持ちじゃないので抑え、じっと佇む事に。こんなところで平伏したら、現代なら不審者決定よ
そんな気持ちを抱く存在はそのままそこに置いて置き、すっと左の方へと、歩いて行くと平家蟹伝承がありました
本当に憤怒の表情ですね 懐かしい都へと戻られたのならいいのですが、環境の変化で住めなくなったのだとしたらちょっと悲しい…
いやいや、やはりこの伝説のように、都にその御霊は戻って行ったんですよ、きっと。
赤間神宮から、右手側に進んで行くと、
天神社を挟んで、別の神社もありました
こちらは日本西門鎮守八幡宮だそうです 八幡大神と神功皇后も子孫の戦いをここで視て、その終わりも静観されていたのかしら?どちらも子孫の一門、どちらにも御加護を授け、後は天に任せるという感じだったのでしょうか?ちょっと想像してみていました。
で、やはり驕る平家は久しからずで、やっぱり己の積み重ねた事で勝敗は決したのかと…。我が身の事は我が身に、我が一族の事は我が一族に、それぞれ返っちゃうんでしょうね、良くも悪くも。
それを解っているからこそ、武士って潔いというか、来たかと最期を受け入れられるのかしら?大内義隆も大寧寺で自分の姿が水鏡に映らなかった事から自分の最期を悟ったように、何かしら心の奥で、記憶の中で、引っかかる事ってそのままにしておくと、大きな災いとなって我が身に降りかかるのかもしれません。
(もちろんその反対で、良い事も何かしら引っかかっていて、結果としてそれがあるからと選んで幸運をつかむ事もあるんですけど)
そんな日本西門鎮守八幡宮では、丁度氏子の方々や神職さんによって茅の輪が設置されており、参拝を終えると完成したのでありがたくくぐらせていただきました これもたまたまでしたが、平家一門の御霊をここへとお連れした、安徳天皇からのお礼だったのかも?さらにありがたい
さて、このさらに右手に大連神社入り口がありましたので、そちらへと向かってみましょう どんな神社なのか気になるなぁ
続く~
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