袋小路編。
見つかった順に書くので、順不同。
次は荒川区である。
どこへ飛ぶかは、見つかり次第である。

今回は、消えた「一本松の渡し」(右岸)に向かっていた行き止り道路である。

【所在地】
荒川区町屋8。

【名称】


【当初の目的・機能】
「一本松の渡し」に向かっていた道路。

【袋小路となった理由】
「一本松の渡し」が廃止されたため。

【距離】
約50m。

【幅】
約7m。

【現在残された機能】
道路沿いの家々へのアクセス道路。

【コメント】
袋小路編、次は、荒川区にある行き止り道路である。
今まで、対象外にしてきた堤防に向かう道路の四回目。

昔の渡しの跡に至るという本来の用途が廃止されて成立した袋小路の続きである。

場所は、荒川区町屋8。
京成の荒川鉄橋から上流約300mのところ。
荒川五中前の道を北に向かい都営町屋アパートのところで右折。
荒川病院に入る道路から先の部分が行き止り道路である。
20mほど進むと、隅田川のいわゆるカミソリ堤防に行き当たる。

人や自転車は堤防沿いに抜けられるが、自動車はどこへも行けない。
自動車にとっては、他に抜けるところのない完全な袋小路である。

この場所には、かつて上水千住水管橋があったそうだが、平成25年(2013)5月に撤去されたとのこと。
2009年のストリートビューを見るが、この道路の突き当りに地面から太い水道鉄管が突き出ていて隅田川の上を渡っている。

他に抜けられる交差点から堤防までは、ほぼ50m。
幅は7mほど。
この道の現在の機能は、50mの間にある右の建物にアクセスする機能があるばかり。

さて、この行き止り道路、いつだれが何の目的で、建設したのか。
何でこの行き止り道路があるのか、調べてみた。

まあ、冒頭にも書いたけれど、この道は、この堤防にあった「一本松の渡し」に至る道路である。
この先の隅田川を対岸に渡り、今の足立区千住あたりと行き来できたルートなのである。

念のため、地図等を確認した。
昭和20年頃までの地図には、渡船場の表記がある。

左岸には、墨堤という立派な堤防があるが、右岸には墨堤にあたる堤防や土手道がない。
右岸には土手はなく、田んぼの中を歩いて渡し場に行く状態だったのだろうか。

確かに昔の地図を見ると、わずかな細い道町屋あたりから千住に抜ける間道だったようである。
そして、この一本松の渡しが隅田川を渡る手段だったようである。

さて、このあたりの風景は、大きく変化している。
この7mの道路幅も、地下に水道鉄管を通すための「水道みち」として、再構築されたものだろう。

でも、大きな地割の変化はなさそうである。

この地でも、渡しのあった頃を想像すると楽しそうである。

【蛇足】
こうして古い地図をみると、隅田川のこのあたりには、4つの渡しがだいたい300mごとに設置されていたことになる。
・新渡
・現在の尾竹橋のところにあった渡し(名称不明)
・尾竹の渡し(茶屋の渡し)
・一本松の渡し

単純に、人が隅田川を渡ることだけを考えると、昭和初期までの方が、アクセス手段は多かったと考えられるのである。