気持ちよく晴れた日には、いつものように、ランチとディナーの間にちょい山歩。

妹背の里のキャンプ場の隣のかなり大きな駐車場に車を停めると、この前来た時に盛りだった梅の花がかなり散っていた。

代わりに、梅によく似た小さめの花を咲かせた、アプリのpictureで調べて名前を知ったアプリコットという中国原産のサクラが可憐で一際目を引いた。

登山道には目立った花は見かけなかったが、もうじき稜線の両脇に見事なツツジが咲き乱れるだろう。

去年、初めて出会い、幻想的でもあり、その美しさに深く感動した。
若い頃は花なんて観るものではなく、せいぜい何かの時に人に贈ることくらいだった。
しかし、今は季節の花を拝むように鑑賞し、気温が上がるたびにボルテージは上がり、蕾のように胸が膨らむ想い。

それが歳をとった証なら、老いることも悪くはない。
これまでもついそこにあったものを、熟練された観察眼を持って幾重にも拡がりを持たせて心で味わうことができるのだから。
人はそれを成熟という。