荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『妻への家路』 張芸謀

2015-03-21 06:03:01 | 映画
 王兵の劇映画『無言歌』(2010)で描かれた反右派闘争のいわゆる「走資派」が投獄される西域の砂漠内牢獄、あそこに政治犯の妻が夫の面会に訪れるシーンが出てくるが、夫の留守を孤独裡にあずかり、狂気に陥っていくあれら妻たちの実存に照明を当てたのが、かつて『黄色い大地』でカメラを担当した「第五世代」張芸謀(チャン・イーモウ)の最新監督作『妻への家路』である。
 中国「第五世代」のフィルモグラフィーは日本公開分はそれなりに見てきたつもりだが、彼らの変節もまたそれなりにつぶさに見てきた。『妻への家路』を今回見てあらためて思うのは、「中華ニューウェイヴ」と持て囃されたかつての「第五世代」も、いまや立派な旧世代になったということだ。おもしろいのは、彼ら「第五世代」が若手期待株として評価されたころに前の世代の映画が醸していたアナクロニズムに、いまの張芸謀が臆せず接近していることである。なぜわざわざ歴史がくり返されるのか? 張芸謀の心情を聞いてみたいものだ。
 文化大革命がインテリ家庭の妻(コン・リー 鞏俐)をいかにして狂気に陥れたのか? 本作はそれをめぐって声高に告発せず、優しく慰撫する。彼女と逃亡犯である夫(陳道明)の10年ぶりの待ち合わせを密告したのは、この夫婦の娘(張慧文)であり、この娘ものちにバレエの夢を絶ち、密告の咎はじゅうぶんに受けたはずである。それでも齟齬は残る。許せぬという心情をどうしても消すことができない。そもそも夫を陥れた文革の首謀者たちさえもが、その後は逆に告発され、投獄された。被害者も加害者も同じである。あとは、この疵に馴致していくしかない。その馴致のみちすじをつけるのが本作だが、それがまるで前の世代の映画のようなタッチなのである。
 映画の序盤、待ち合わせの鉄道駅の陸橋で──妻、逃亡中の夫、密告して駆けつけた娘、夫逮捕に奔走する党役員──この四つ巴のラン&ランのカットバックが(現実にはほんの一瞬のできごとだっただろうに)いつまでも引き延ばされ、なんども4点カットバックがなされる。そのサスペンス演出は現代のものではなく、エイゼンシュテイン、ヒッチコックの末裔のそれである。待ち合わせの前の晩、妻が夫のために蒸かす饅頭の大量さが、じつに切ない。あの饅頭の大量さこそ映画そのものである。その意味では張芸謀も映画の人なのだなと、これまであまり意識しなかったことに気づかされた。


TOHOシネマズシャンテ(東京・日比谷映画の跡地)ほかで公開中
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