荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ラジウム・シティ』 キャロル・ランガー

2015-04-01 23:59:00 | 映画
 『ラジウム・シティ』(1987)は、1920年代の米中西部で起きた世界最初期の放射能被曝についてのドキュメンタリーである。イリノイ州オタワにできた時計工場。文字盤に夜光塗料を塗るために、街の若い女性たちが大量に雇用された。大恐慌の時代だけに、工場ははじめ街の救世主として遇された。女工たちには破格の週給が支払われ、彼女たちは不況下においても悠々と一家を養い、みずからも贅沢な衣装やハイヒールで着飾った。
 彼女たちは細かい文字盤に夜光塗料を塗るために、筆先をなめて尖らせるよう指導された。そして、塗料の原料は、放射性物質のラジウムだった。彼女たちの多くが悪性の腫瘍を発症し、骨転移し、次々に死んでいった。生前の彼女たちの美しく若々しいスチール写真の数々。彼女たちはいつしか「ラジウム・ガールズ」と呼ばれるようになった。本作では、重篤な後遺症に苦しめながらも生き残った女性たちにインタビューする。
 声高にプロテストを叫ぶルポルタージュではない。しかしこの壮絶さを、私たちははたして十全に受け止める資格があるのだろうか。ましてや私たちは、原発再稼動問題の当事者ではないか。私たちもまた「ラジウム・ガールズ」の一員でないと誰が言い切れるのか。もちろん時計工場はとっくに廃業した。しかし、工場の廃材処理、解体処理の際にふたたびオタワの街は放射能で汚染され、さらに郊外の空き地に廃材がいい加減に投棄された。今なお投棄場所と工場跡地では、ガイガーカウンターがビンビンに跳ね上がってしまうのである。女工たちの墓でガイガーカウンターをかざしても、放射線量は高いという。死して何十年も経過し、なおも汚され続ける女性たちの生。
 『ラジウム・シティ』を配給するboidの樋口泰人は書く。「誰もがイメージする公害や労災の訴訟の際の、どこか悲痛な空気を、彼女たちは持たない。あるはずの未来を夢見た輝けるガールだった頃の何かが今も彼女たちに張り付いて、今の彼女たちを作っているのだとも言いたくなる。年齢や病気で変貌したその姿とはまったく関係ない。最悪の事態のその暗闇の中で、彼女たちは自然発光する。」
 たしかに作品の中で、生の輝きが写っている。しかしそのことが企業側の罪を軽くするものではもちろんない。この生の輝きと企業犯罪の対比に、私はある日本のドキュメンタリーを思い出す。金子サトシ監督の『食卓の肖像』(2013)。1960年代末に九州・四国地域で起きた「カネミ油症事件」の原告側のその後を追った作品である。『食卓の肖像』と同様の衝撃と感動が、『ラジウム・シティ』にはある。アメリカ合衆国は、核の恐怖というパンドラの箱を開けた張本人と思われてきたが、じつは当初から被害者でもあったということだ。


4/13(月)よりアップリンク・ファクトリー(東京・渋谷神山町東)ほか全国で同時期一斉上映
http://www.radiumcity2015.com


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