住宅地の突き当たりにありました国松春日神社。 

ありふれた普通の神社かと思って鳥居を潜ってみますと、ちょっと違いました。 

何と言うのか、それ程大きくはありませんが、緑が多くて大地のエネルギーが溢れているような…。 

ここが無名の神社なのは勿体ない。 


 言い伝えでは、昔、この地に大きな松があったそうで、その見事さに、国のうちでも一番だというので、この松のあるあたりを「国松」と呼んだそうです。 

そして、やがてこの松が枯れた後、村人はこの松を焼いてその灰で神像をつくって祀ったのが、春日神社の始まりと伝えています。

社記によると、建仁3年(1203)に、古松のあったところに社祠を建て、大和春日神社から分霊を勧請して春日神社と呼んで氏神にしたそうです。 


 社殿の裏には推定600年をこえるシイの大樹が地を這うように枝を広げています。 

その姿は、まるで龍。
凄い迫力です。 

エネルギーが溢れ出ている様子が形になっているようでした。



街角にぽつんとある小さな敷地内には小さなお社がありました。 


お社は木々で囲まれて、ちょっと良い雰囲気です。 

 説明書きには国松小社とあります。 

前の道を少し行ったところにある国松春日神社の境内外末社のようです。 


 ご祭神は、猿田彦大神。 

道開きの神様です。 

これは、春日神社へと導いて下さると言うことですかね? 


 創建は分かりませんが、国松春日神社と同じ頃なんでしょうか? 


 お社はコンクリート製で、少し情緒はありませんが、多分昭和の頃に作られたのでしょうね。 


他にもちょくちょくコンクリート製のお社の神社はありますが、一時期それが流行っていたのでは無いかな?と思っています。





楠正行御墓所は神社ではありませんが、四條畷神社が管理されているようですので、神社の一部と言うことで…


この地は楠木正成の息子の楠木正行が、四條畷の戦いに敗れ、自害したところであり、死後ここに一族と共に合葬されたそうです。


敷地内には、樹齢600年を超える大きな楠が大きく手を広げるようにして立っているのが、大迫力です。

まるで、ここに埋葬された楠木正行を包み込み、守ってきたかのようでもあり、楠木正行そのもののパワーが溢れているかのようでもあり、ここにいると大きな力を頂けそうな気がしてきます。


多分、楠木正行のように、国や自分の所属するグループ、主のために命をかけてでもやり遂げようと言うものがある人には大きな力を貸してくれるのでは無いでしょうか?


多分利己的な願いのためには力を貸してくれないような… 

そんな、楠木正行の意思を感じるのでした。



https://youtu.be/DYkHYFkCYic?si=yUypFCdMEk63rffP

小高い丘の上にある忍陵神社。 

実はこの神社は古墳の上にあります。 

古墳の上に神社かあ~ 

埋葬された人の生前の徳を忍んで神社を建てたのか?

それとも、そのパワーに畏れをなして祀り上げたのか? 

と、ワクワクしたのですが、ネットで調べてみると、どうもそうでは無い。 


元々は、別の所にあったのを江戸時代にこの場に移されたそうです。 

多分、小高い丘で周りを見渡せるから、この地を選んだのでしょうね。 


 その時に、藤原鎌足を祀る鎌足社を合祀したそうです。 

藤原鎌足を祀るって、かなり珍しいですが、どうしてこんな所で藤原鎌足なのでしょう? 


 他のご祭神は、
津桙大神、熊野皇大神、藤原鎌足、大将軍神、馬守大神
とあります。 


 津桙大神は津桙神社のご祭神と言うことでしょうけど、一体誰? 

 これは、この神社の元が当地の古代豪族・津桙氏が祖神を祀ったのが始まりと考えられているようで、この津桙氏の祖神のことでしょうか?




習塾をしていると、とにかく多い相談が、「お子さんが勉強しなくて困っている」です。


それでどうにかして勉強させようと、あれこれ子どもにいう訳ですが、その時に絶対言ってはならないと私が思っている言葉が「あなたのために言ってるのよ」と言う言葉です。


本当に、子どもに勉強をさせたいのは、子どものためでしょうか?

多くの親は、自分は子どもを大事に思っているから、本気で子どものためを思って言っているつもりですが、その心を深く掘り下げていくと、実は親御さん自身が不安でしょうが無いのです。


単に自分の不安から逃れたくてしょうが無くて、子どもをコントロールしようとしているのです。

でも、それが上手くいかなくて困っている、と言うのが実際なのですね。


そして、子どもはそんな親の心を見抜いています。


ああ、この言葉は本当に私のことを思っていっているのでは無い…


そう感じている子どもは、更にやる気をなくしてしまうのですね。


基本的には、家族であっても自分以外の人間をコントロールパネルする事は出来ません。

それをしようとして出来ないから困っているというのは、とても滑稽な姿です。


仮に勉強をしないことで困るとしたら、それは子どもの方です。

でも、それは全員が困るというわけでも無い。


また、勉強を一生懸命したところで困る事になる子どももいます。


子ども達は、心のどこかでもその事に気付いているのですね。


だから、「あなたのために…」と言えば言うほど子どもも白けてくるのです。


親がすれば良いのは、冷静に情報を集め、分析して、勉強をすればどんな人生になら確率が高いのか、勉強し無ければどんな人生になる可能性が高いのかを、伝えることです。


その話が、子どもの心に響けば、子どもは自分自身ために勉強しようと自分から思うかも知れません。

逆に、ならばやっぱりしなくてもいいや、と思うかも知れないですが…


親は子どもが便宜的しなくても、困らなくても良いのです。

不安に思うのはしょうがありません。

だから、子どもには正直にそういいましょう。

「あなたが勉強しなくて、私はとても不安です。」と。


そして、その後にこう続けて下さい。

「でも、私はあなたが自分で自分の可能性を広げていける人だと信じているからね。」


そして、コントロールしたい心をぐっとこらえて、見守ってあげて下さい。

お子さんは逞しい姿を見せてくれるようになります。




山肌に貼り付く住宅地。

大阪から奈良へと通じる国道163号線の車の行き交う音が遠くに聞こえます。

目の前には、切り立った谷の底に沢が流れています。

そんな、環境に國仲神社はあります。


創建は不詳ですが、醍醐天皇の御代延長五年(九二七年)に選定された延喜式神明帳には河内国讃良郡鎮座と記載されており古くから当地域の産土神として崇拝されてきた、結構古い神社です。

多分その頃は、周りは住宅など無く、とても神聖な場所だったのだろうなと思います。


御祭神は天照大神、国常立命、猿田彦大神、菅原道真です。

国常立命を祀る神社は余り見ないので、ちょっと興奮してしまいます。

菅原道真は多分その時の領主さんの趣味なのでしょう…



別名大蛇宮と称したそうで、本来の祭神は、水神・農業神の大蛇・龍を信仰していたと思われるとのネットの書き込みあり、目の前に流れる沢自体を竜に例えてご神体として大切にしていたのかも知れません。


珍しく、人が常駐する神社のようで、社務所の人と目が合って、少し恥ずかしい…

その分、綺麗にお世話されていていました。








四條畷神社と同じ山の中腹にある住吉平田神社は四條畷神社とお隣さんという感じであります。 

 多分この山自体が、エネルギーに溢れているのでしょうね。 

 

鳥居を覗くとその先には長い階段… 

とにかく長い。 

これを上がってしょぼかったら少し悲しいよな。 

 息を切らせて階段を上りきると、朱色の映えた見事な社殿が現れます。 


 山の中腹にある少し平らなところに強引に置かれた感じで狭い境内があり、山と一体化している感じで、ここから山のエネルギーが溢れているのでしょうね。 

何だか引き締まった感じがします。 


 階段を登った右側にはこの地に相応しくない看板。 

「さあ、新しい出発だ」 

と題した言葉は四条畷警察署員一同とあります。 

これは、誰に向けて書かれた言葉なんだろう? 


 さて、話は変わって、この住吉平田神社という名前は、住吉神社と平田神社が合祀されて付けられた名前のようで、ご祭神も住吉大神と平田大神です。 

それが1800年頃のことで、創建は更に古いようで700~1000年前くらいと思われているようですが、この辺りの住吉大神を祀る神社も、元は饒速日神を祀っていたようで、そうなるとここも更に古かった可能性もあります。 


 ネット上での情報では、摂社に稲荷社があるようですが、こちらも朱色が映える綺麗なもののようです。 

気が付かなかった… 

勿体ないことしました。





四條畷の町を見下ろす高台に位置する四條畷神社。 


 創建は1889年と比較的新しい神社です。 

ご祭神は楠正行。 

明治政府によって父、楠正成が神格化されたのに伴い、正行もまた神格化されて、戦で無くなったこの地に祀られるようになったそうです。 


 ですので、人々に慕われて神として祀られるようになったわけでも無く、祟り神として祀られたわけでもない、政治的思惑で神とされたと言うことです。 


 何だか、こう書くとご利益なさそう… 

 でもですね、国がバックに立って建てられたから、この神社はとても立派な作りです。 


社殿は上品で近寄りがたいというか、清涼な空気が漂ってきそうな、凜とした空気をまとっていて、気品を感じるのです。 

何だか格好いい… 


社殿の前に座りぼーっと眺めていたい気持ちになります。 


 強い力でご利益を頂ける神社とは感じないのですが、心を落ち着かせるには良い感じです。




大阪府寝屋川市の河北は江戸時代に河内屋北新田と呼ばれる地域だったそうで、1708年に完成しました。 


ここに産土神として、天照大神が祀られたのが始まりのようですが、この地は新田開発に従事した人たちの集散場所だったそうです。 

そういう所に神様が祀られるのは自然の成り行きでしょうね。 

今では住宅地の中で地域の人達に大切に守られています。 


 境内は社殿の前に立つ二本の大きなご神木が印象的。 

そして、横には地車の倉庫と思われるものがあります。 

この辺りも地車が町を練り歩くのですね。 

地域が神社を中心にして繋がっているのを感じて、ホッとする私でした。





昔、鶯の名所に関所があったと言うことで付けられた名前が「鶯関神社」だとか。 


 住宅地の中にひっそりとある小さな神社には、いつものように集会所と公園が隣接していて、地域の人達の拠り所になっているようです。 

 その人達を出迎えるように社殿の横には大きな楠。 

やはり神社には大きな木が似合います。

大きな木があると、その地がエネルギーに満ちている様子がはっきりと形になって見えますからね。 

とても安心。 


 ご祭神は天照大神、野々宮大神、菅原道真。 

菅原道真は江戸時代に後から、領主の影響で祀られるようになったそうです。 

元々は天照皇大神を御祭神として天皇即位のとき、伊勢神宮に奉仕された斎官が立ち寄られた由緒ある神社だそうです。 


そんな、由緒のある神社だとは、ぱっとみだけでは分からないものですねえ… 

 それくらい、地域に馴染んでいらっしゃいました。