このたび、何年振りかにブログを更新した。
私の生きる指針となっている
無ー空
の思想の追究の一貫として最近試みた『般若心経』の現代語訳をアップしたものである。
しかしアップ後、このテーマについては別のブログにまとめたほうが良いのではないかと思い立ったので、新たに開設することにした。
↓
このアメブロには、また気が向けば何かアップすることにしたい。
よろしくお願いいたします。
このたび、何年振りかにブログを更新した。
私の生きる指針となっている
無ー空
の思想の追究の一貫として最近試みた『般若心経』の現代語訳をアップしたものである。
しかしアップ後、このテーマについては別のブログにまとめたほうが良いのではないかと思い立ったので、新たに開設することにした。
↓
このアメブロには、また気が向けば何かアップすることにしたい。
よろしくお願いいたします。
前回書いたとおり、今回から3回にわたって、『般若心経』を読み直して現代語訳を試みた際に調べたことや考えたことを、簡単な注釈の形でまとめておきたい。
参考文献等は前回記載のとおり。
最初のこの箇所では、「五蘊」(ごうん)と呼ばれる、人間を構成する諸要素が全て《それ自体は存在しない》ことを述べる。
青太字…漢訳原文
細字…鈍行庵による書き下し文
太字…鈍行庵による現代語訳
一行空けて細字…簡単な注釈
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本当に久しぶりに更新する気になった。
Twitterはたまにやっていたのだが。
最近はその中で『般若心経』を読み直し、数句ずつ自分なりに訳していた。
その作業が一応最後まで来たので、ここにまとめておきたいと思った次第だ。
この経典は非常によく知られているため、数多くの解釈・翻訳がなされてきており、玉石混交、多種多様、千差万別である。
私の解釈・翻訳は、その中では比較的穏やかなほうだと思うが、あくまでも凡夫による私見である。
自分の学びのために試みてみた。
コンセプトとしては、宗教色・信仰色を薄め、哲学書として読むことを心がけた。
主な参考文献:中村元、紀野一義訳注『般若心経 金剛般若経』(岩波文庫1960年)
辞書:中村元『仏教語大辞典縮刷版』(東京書籍1981年)、web辞書『コトバンク』
その他、般若心経に関するweb上の諸サイトを適宜参照した。
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