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角川短歌『現代秀歌選集』入選歌…史をよみ文ならなくのことどもを涙とともにゆるし居りぬる 

このような動きがあります

2024年06月02日 10時21分53秒 | Weblog
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21世紀真実幸福論

2024年05月26日 06時50分43秒 | Weblog
それぞれ解かねばならない謎がある。それを解くまでは次が始まらないのだった。そして最終最後最大の謎は何だったのだったろうか。過去からの因縁だった。それは過去に自分がしたことが原因だった。それが種となっていたのだった。本来無一物と言われている。本来、何もないのだった。しかし色々とあるのは何故だったろうか。自分が種を蒔いていた。蒔いた本人がその結果を刈り取ることになる。そうであるなら、どう生きるべきだったろうか。悪の華が咲いているのであれば、それを刈り取り、二度とその種を蒔かないのだった。そして善の花が咲く種を蒔くのだった。あらゆる行為が因縁となる。すべて善因縁となればいい。それが仏法だった。思いがあって行動となる。その思いには色々とある。思い浮かぶそれを払っていく。それが、坐禅の目的だった。只管打坐。そしていつか、すべて開いて結ぶ。そしてあらゆる過去からの悪因縁を払い、善のみとなる。そして仏となるのだった。その道が仏道だったのである。戦争など以ての外とするところである。馬鹿になることが幸せではない。それはテレビ界支配のためにするプロパガンダだった。究極の幸せとは何だったろうか。多くの幸福論があった。憲法で幸福追求権も保障されている。幸福とはあらゆる悩みが晴れて、明明白となることだったのである。勉学したことだった。修業もしたことだった。苦しい孤独な人生を歩んだことだった。それも通らねばならなかった。そしていつか見つける。21世紀真実幸福論。
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戦争しなくていいのです

2024年05月21日 05時45分11秒 | Weblog
かつて日本は、著名な評論家が多数、活躍していました。小林秀雄もそうでした。彼は戦中、評論活動をするにつけて、古典にテーマを絞りました。そうしないと、軍部からターゲットにされる恐れがあったからでした。ところで、彼を頼って山口から、中原中也が上京しました。しかし、小林は中也の妻を寝取ったのでした。その事実を知って、それまで愛読していた小林の全集を処分したことでした。また、評論家として日本文壇で大きな仕事をしたのが、江藤淳でした。戦後日本文壇には、長谷川四郎、石原吉郎もいました。どちらもシベリア抑留体験者でした。また、全学連の余波として活動し、その後、東大教授となり、評論家をしていた西部邁がいました。江藤淳も凄まじいほどの評論活動がありました。ここで、江藤淳と西部邁について、どちらも凄まじいほどの評論活動をしていたのですが、ある共通のことを契機として、執筆活動を終えるのでした。それは何だったでしょうか。妻の逝去でした。いずれにしても、こうした方々の活動を前にすると、テレビ界及びお笑い並びにマスコミの出鱈目が明らかです。彼らは戦後日本精神骨抜き占領政策の権化あるいは傀儡だったのでした。そろそろ、日本は思い出すころとなりました。大丈夫です。日本は日本です。明治以降、世界史に飲み込まれての幾多の戦争は、本来日本の戦ではありませんでした。インディアン及びインカ帝国を滅ぼし、奪った金を以て世界を支配し、インド及び東南アジアを植民地としていたことがありました。今、反省するべきはそれだったのです。二度と戦争をしない、と原爆ドームの前で誓っています。その意味は此処にあったのでした。もう、戦争しなくていいのです。人類は進化しました。これより明らかとなります。
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日本の神髄

2024年05月20日 03時28分31秒 | Weblog
身心清浄、絶後に蘇ります。これがなかなか難しいのでした。そのために、あらゆる修業があるのでした。この世で達成できる人もいます。近い来世で実現する人もいます。それぞれの過去からの罪の重さが違うからです。これって、至ってみなければわからないのでした。しかし誰もがいつか必ず至ります。中途半端では駄目だったのです。100パーセント、すべての悪を払拭するのでした。それが明けの明星の輝きを見るということだったのです。そして、何があっても大丈夫ということになるのでした。修行のしどころです。私たちは何度も何度も生まれています。そしていつかここに気付くのです。それでも屋上屋悪を重ねている人がいます。これを以て悲哀とするのでした。地獄からやり直しです。あらゆる悩みが晴れることが空ということでした。笑顔が幸せの形だったのです。これが日本の神髄です。
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時代は今、人類として新たな段階へ移行しつつあるのでしょうか。

2024年05月12日 14時23分53秒 | Weblog
高校を卒業する直前にそれは起こりました。まるで青天の霹靂でした。ある病院に入院することを余儀なくされ、私の人生は終わったかのようでした。それ以降、ある意味で地獄の底を彷徨ったのです。しかし、これ以降、いわゆる悪を重ねることはありませんでした。そして莫大な読書と遙かなる真実を探究する旅が始まったのでした。それを集大成する頃となったようです。その間の思索の記録は既に私のホームページ https://www.gtswonderland.com/remembrance/mokuji/index.html に綴られています。何を見つけているのでしょうね。どのような証明を得ていたのでしょうね。識る人は識っています。時代は今、人類として新たな段階へ移行しつつあるのでしょうか。その間、何があったのだったでしょうね。阿修羅の時代が終わろうとしています。身心清浄、絶後に蘇ります。そして、感謝の日々が始まるのです。真実は地位でも名誉でもお金でもありませんでした。故に菩薩は空閑に浮遊すると言われていたのです。あらゆる人々が気付く頃となりました。
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大乗仏法

2024年05月08日 02時43分26秒 | Weblog
人々の生まれつきの利発なことや愚鈍なことを見抜き、常に清らかな教えを説き、衆生救済を重んじる大乗の教えを護り続け、自ら仏の国土を清浄にし、未来に於いても測り知れないほど無数の仏を供養し、正しい教えを述べ伝え、また自ら仏の国土を清浄にし、常に諸々の人を真実の教えに導くため仮にとる便宜的な手段を用いて、教えを説くのに恐れることなく、測り知れない人々を悟りの境地に導き、一切のものについて完全に知る智慧を成就させる。
諸々の如来を供養し、仏の教えを尊んで守護して、その後に仏に成ることを得るであろう。その国の諸々の生命のあるものすべては、色情の欲は既に皆既に無くなって、母胎や卵などからではなく、忽然として純粋に生まれる仏の相を身につけ、智慧・福徳・相好で身を飾る。
仏の教えを聞き、それを信じることによって、心に湧く喜びと禅定に入った喜びを食物とし、さらに他の食べ物を心の中に思い浮かべることはない。諸々の女人はいない。また、諸々の現世で悪事をした結果、死後に趣く苦悩の世界もない。現世や来世に幸福をもたらすもとになる善業と善根、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るという成仏、生死の迷いを去って、一切の真理を正しく平等に悟る。常に大きく明るい光を放ち、諸々の神通力を身につけ、世間での評判や名声は十分に広まり、すべての人々から尊敬される者として常にこの上ない道を説く。この国土は清浄であり、悟りを求める修行者たちは皆勇気があって、何ものをも恐れない。仏はそれぞれの弟子たちに未来世の成仏の証言を与える。この会にいない者たちには、おまえがその者たちのために述べて解き明かすにちがいない。常に思いのままにし、足りないと思うことがないようにする。仏もまさにこれと同じである。物事の最後に行き着くところの最高の悟りの境地がある。仏の安穏な声は今までに一度もなかったことであると歓喜し、永久に無限の恵みをもたらす智慧の仏を礼拝し奉る。苦しみの根源である我執や煩悩を滅して真実の悟りの世界に渡る。
仏のこの上ない物事をよく見極め、道理を正しく把握する智慧を得て、そしてこれこそが真の煩悩や苦悩の消滅であると言う。智慧、福徳、相好などで浄土や仏の身を飾る。
仏の真理を知ってはいてもまだ迷いを完全に断ち切っておらず、学ぶ余地がある者がいる。煩悩を断ち尽くして、もはや学ぶべきもののない境地の自己の悟りのみを求める修行者もいる。仏は常に努力し、雑念を去り、仏道修行に専心した故に、既に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を完成させることができた。道場に坐って物事をよく見極め、道理を正しく把握する精神作用の証明を得る。いろいろな神通力を用い、十方の生命あるものすべてを悟りの境地に導く。名声があまねく至るところに広まり、徐々に煩悩の火を消して智慧の完成した悟りの境地に入る。声聞に対しても十方の生命のあるものすべてとして悟りの境地に導くとしている。
法華経は第一である。最も信じ難く、理解し難い。この経は諸仏がみだりに人に授与してはならない、諸仏世尊の守護し給うところである。昔から今まで未だかつてはっきりと説いたことはなかった。しかもこの経は如来が現に存在していてもなお怨みや嫉妬が多い。言うまでもなく、如来がこの世を去った後に、この経をよく書写し、教えを銘記して忘れず、見て読み、節をつけて唱え、供養し、他人のために説く者を如来は衣によってこれを被(おお)う。そして世に出られている諸仏に心にかけられて守られることを得る。この人には、仏やその教えを信じ従う強い気持ち、望み願う力、諸々の善い報いを招くもととなる行いをする力がある。この人は如来とともにある。そして如来の手によってその頭を撫で給うことを得る。
あちらこちらに於いて或いは説き、或いは読み、或いは節をつけて唱え、或いは書き、或いは経巻を置く所には皆七宝の塔を建て、きわめて高く広く荘厳に飾る。そこには仏の遺骨を置く必要はない。理由はこの経巻の中には既に如来の全身があるからだ。一切の真理をあまねく知った最上の智慧は皆この経に属している。この経は人を真実の教えに導くために仮にとる便宜的な手段の門を開いて真実の姿を示す。この法華経の蔵は深く堅固で遙かであるから、人はよく至ることができない。如来の室に入り、如来の衣を着て、如来の座に坐り、そして広くこの経を説く。如来の室とは一切の生命のあるものすべてに対する大慈悲であり、如来の衣とは柔和な忍耐心、如来の座とは諸々の事物は因縁によって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はない。この立場に立って、しかる後に善業を修めるのに積極的な心で諸々の悟りを求める修行者と出家者と在家者の男女の衆のために広くこの法華経を説くのである。
この経を聞く機会を得ることは困難である。信じて受け入れる者はまた得難い。大衆に対して恐れることなく、広く大衆のために諸々の事理を思量し、識別して説く。大慈悲を空とし、柔和な忍耐の心を衣とし、諸々の事物は因縁によって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないとする教えを座とし、この観点によって大衆のために教えを説け。
もしこの経を説くときに、ある人が悪口を言い、ののしり、刀や杖で傷つけ、かわらや石を投げても、仏を念ずるがためにきっと忍ぶであろう。私がこの世を去った後に、よくこの経を説く者には、私は神通力で作った四衆、出家した男子、出家した女子及び在家者の男女を遣わして、仏法によく通じ、人々を導く師となる者を供養させ、諸々の生きるものたちを悟りの道に導いて、これを集めて教えを聞かせる。ある人が刀や杖で傷つけ、かわらや石を投げようとすれば、すなわち姿を変えた人を遣わして、このために付き従い守らせる。
説法する人が一人で人の中から離れた静かで修行に適した場所にいて、静まりかえって人の声がしないのに、この経典を見て読み、そらで唱えるならば、私はその時に説法するために清浄で光り輝く体を出現させる。もし章や句を忘れたならば、そのために説いて精通させる。ある人が徳を備えて或いは出家者と在家者の男女のために説き、空虚なところで経を見て読み、そらで唱えれば、皆私の身体を見ることができる。この人は教えを説くことを楽しみ、諸々の事理を思量し、識別し、障害はない。諸仏が心にかけて守るために、よく大衆を歓喜させる。この法師に親しく近づけば、早く悟りを求める修行者の道を得る。この師に随順して学べば、ガンジス川の砂の数ほどの仏を見奉ることを得る。
妙法華経とは、仏が心にかけられて護られると名付けられた教えである。生死の迷いを超越し、悟りの境地を開かれたのが仏である。今まで一度もなかったことである。だれがこの娑婆世界に於いて広く妙法華経をよく説くことができるだろうか。今が正しくその時である。
間もなく如来は一切の悩みや束縛から脱した円満安楽な境地に入る。仏はこの妙法華経を委ねてそれが保たれるように願う。身体から言うに言われぬ美しい香りを出し、十方の国へ広がり、すべての生けるものは香りを浴びて自らの喜びをおさえることができない。誰がよく仏法を護るであろう。仏が衆生を救おうとする誓願を発して長く保たれることが得られるべきである。身心から放たれる光がある。常寂光。この経を説くならば、私(釈迦牟尼仏)と多宝如来及び諸々の様々な姿で現れた仏を見奉る。
諸々の仏法に帰依した男子よ。それぞれ真理を諦観する心で考えよ。これは難しい問題である。衆生を救おうとする誓願を起こせ。
仏がこの世を去った後、悪世の中に於いてよくこの経典を説こうとすればこれこそすなわち難しいことである。私がこの世を去った後、もしくは自ら書き、教えを銘記して忘れず、もしくは人に書かせる。これこそ難しいことだ。仏がこの世を去った後に、仏法の衰えた時代の悪世の中に於いて少しの間この経を読む。これすなわち難しいことである。仏がこの世を去った後、この経の教えを銘記して忘れず、たった一人のために説く。これすなわち難しいことである。
今仏の前に於いて自ら誓う言葉を説け。この経典の教えを銘記して忘れないことは難しい。もし少しの間でも教えを銘記して忘れずにいる者がいるならば、私はそれによって歓喜する。諸々の仏もそうである。このような人は諸々の仏が賛嘆するところである。これすなわち勇気があって何ものをも恐れないことであり、これすなわち雑念を去り仏道修行に専心することである。過ちを犯さないために、護らなければならない禁制を守り、衣食住に対する欲望を払いのける修行をする。この方法は速くこの上ない仏道を得る。来世に於いてこの経典をよく読み、教えを銘記して忘れずにいる者は、これこそ真の仏の弟子であり、素朴で穢れのない地に住む。仏がこの世を去った後によくこの教義を理解するならばこれは諸々の天人、人、世間の眼である。恐ろしい世の中に於いて少しの間でも説くならばすべての天人や人は皆供養する。
大乗の教えを求めることが目的となり、五欲を貪ることはない。心の中に言葉では言い尽くせない深い教えへの志があるために、身も心も善業を修めるのに積極的でない心の状態にはならない。浄らかな心で信じ敬って疑いを生じない者は、地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちず、十方の仏の前に生まれる。生まれたところでは常に妙法華経を聞く。人間や天人の中に生まれたなら、極めてすぐれている楽しみを受け、仏の前にあるなら、蓮華の中に母胎からではなく、忽然として生まれるであろう。
すべての衆生の平等な救済と成仏を説く教えの中のすべての事物は皆因縁によってできた仮の姿であり、永久不変の実体や自我などはないという意義を修行している。
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真実発見

2024年04月21日 04時20分14秒 | Weblog
【テーマ】真実発見

1.明確な目標
結果を含む明確なビジョンはありますか。それはどのようになされるのでしょうか。それは自信の獲得でした。究極の自信はどのようにして得られるのでしょうか。真実の発見だったのです。それは本来の自分自身といえます。「自分とは何者」であるか。それが禅のテーマでした。ソクラテスに於いては、「汝自身を知れ」でした。人格形成に於いて最も大切な要素は感情のコントロールです。粗野なトーンの言葉遣いをすれば、アメリカ及びヨーロッパの上層社会では相手にされません。その意味での階層社会です。戦後日本が確認するべきはそれでした。此処に気づいて、未来は明るいのです。未来は殺戮なくして平和を勝ち取ることに決しました。時代のエートスです。ところで、明確な目標を達成するには期限の設定を要します。

2.マスターマインド
それは何だったのでしょうか。見えない世界です。それが真実でした。見えない世界ですべて決します。やがてそれが現実に染み出して来ます。見えない世界は見える世界にもあります。見えない世界に認められることが成功の秘訣だったのです。この世では、誰を師とし、誰に認めてもらうかでした。その時、大切なことは、人格でした。社会に於いて成功するためには、協調性を要します。いくら能力があっても、いくら実力があっても、いくら努力しても報われない理由はこのあたりにあったのです。そして、この世は過去からの夢の実現過程です。

3.思考は現実化する
『明確な目標』も『マスターマインド』もアンドリュー・カーネギー氏の業績です。氏の最も大切な遺産は教育でした。その内容を調査分析して、哲学的にまとめたのが、ナポレオン・ヒル氏だったのです。それが『思考は現実化する』でした。その中で最も大切な要素は『代償の法則』です。すなわち、「どんな悲しみの中にもそれと同等か、それ以上の喜びの種がある」。これがベートーベンの『喜びの歌』でもありました。ここより、負けないでね、諦めないでね、というメッセージとなるのでした。世界はそのように出来ていました。

4.マーフィーの法則と引き寄せの法則
それは潜在意識の発見でした。それは世界が宇宙となったことを意味しています。かつて世界は地中海でした。その後、世界は大航海時代を経て地球となりました。その間、世界は無限と見えました。しかし今、世界は有限です。そして宇宙を発見したのです。それは智慧の宝庫でした。蓄積された智慧のエネルギーとその波動として。これにどのようにアクセスし、そして何を体験し、何を知るのだったのでしょうか。それが真実だったのです。かつて四聖はそれに気づいていました。そして伝えたのでした。探すべきはそれだったのです。経済社会は何をして来たのでしょうね。自己利益追求を正当化し、諸価値を破壊して顧みることはなかったのではないでしょうか。そしてどうなったのでしょうか。例えば、佛の周波数があります。それが佛の慈悲でした。それはそのまま、すべてを育む太陽のような愛の周波数だったのです。すなわち、動植物及び岩石も同調して喜ぶのでした。私達が目指していたのは是だったのです。探していたのもそれでした。その時、愛は自分のためにしない。公共性概念もそうでした。公でなければ出来ないことがあります。規制緩和はどのレベルでの論理だったのでしょうね。時代は進化します。ゆえに、400年来重商主義自己利益追求の時代が終わったのでしょうか。それはカルバンに発していました。そして潜在意識は述語が動きます。それを実現しようとするのです。ゆえに、プラス思考は正しい。引き寄せの法則の根拠とするところでした。

5.アメリカの祈りとしての自由
ⅰ) いくら貧しく生まれても、生涯貧しくある必要はない。
ⅱ) 子供の頃に教育が受けられなかったとしても、生涯受けられないのではない。

6.庶民の解放
それは旧約聖書に秘められていました。日本に於いて、基本的人権及び民主主義並びに自由及び平等を価値として本当に知ったのは戦後のことでした。その時、女性解放もありました。かの戦争で私達は、現代戦争が庶民及び市民を盾とすることで、天下泰平という平和を実現するという戦争の目的であり、理由である大義名分を失い、無価値であることを学びました。そして世界に対して何を反省し、何を提示できるのだったのでしょうか。それが日本国憲法における「世界に於いて重要な地位を占める」ということだった(日本国憲法は単なる法律ではなく、歴史的所産であり、時代の反省と未来に対する約束として、大宇宙に対する宣言だった)のではないでしょうか。宿題があったのです。そして、中国の首脳がいいました。この問題(戦後処理)は、次世代が解決する。その時が来たのです。そして庶民の解放の頃となりました。それは市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来ます。庶民とは、正直であるが故に、経済的餌食にされていた善良な市民です。

7.第三の波から第四の波へ
アルビン・トフラー氏の『第三の波』がありました。三十数年前のことでした。そして今、e-Japan、u-Japan 国家戦略の中にいます。日本は情報化社会の最先端を走ると決めたのでした。それがこれからの世界に於いて生き抜く道と思ったのです。そのような流れが確かにあります。これよりあらゆる文書が電子化されます。それはぺーバーレスとして、自然保護の考えに一致しています。効果のほどはマイ箸運動の比ではないでしょう。2010年までの工程表があって、着実に整備されました。準備は調ったのです。そしてこの意味で、2011年には、テレビのアナログ放送が終わるのでした。好むと好まざるとに関わらず、それは選択され、時が流れました。そして次なる流れが来ています。それは何でしょうか。第四の波としての『創造性の時代』です。私達は此処まで進化しました。すでに蓄積された英知と技術があります。私達の時代です。ちなみに神は人間を神の似姿として創ったといわれています。その時、神の七つのチカラも賦与されていたといわれています。私達は何時かそれを見失ってしまいました。神仏などこの世にいないと思ったのです。何故でしょうね。それがあると、自己利益追求には邪魔だったのです。そしてそれが幸せかと思ったのです。過去からの悪習があってそれに従ったのでした。それを乗り越える頃となりました。私達は嘘とバイオレンスの海を渡る時です。未来は明るい。幸せの大地が見えています。

8.本当の幸せ
一部の人が幸せであっても本当の幸せではないのです。すべての人が幸せであって、本当の幸せです。それが平等ということだったのです。そして時代は進化し、全体的にボトムアップするのです。その時、誰もが同じではない。それぞれ異なる。異なるそれぞれの個性が十全に発揮されて、それを持ち寄る。それで誰もが自己充足して、幸せを感じるでしょう。単なる機会均等では足りない。それでは阻害される者が残る。この世に悪はある。身分に安住していた方々は、それを傍観していたのではないでしょうか。その意味で、積極的であるべきです。この時、自由と平等は対立しない。両立します。新しい時代の新しい考え方です。

9.情報について
情報が氾濫しています。どれが意味のある情報でしょうか。価値があるということはどういうことでしょうか。それは利益を生むということでした。見極めることが出来ますか。それはどのようにして判断するのでしょうか。すなわち、情報は発信したところに集まります。宇宙はそのように出来ていました。どのような情報を発信しますか。価値ある情報ですね。未来を創るのはそうした価値ある情報です。世界はそのように出来ていたのです。探すべきモノがありました。世間は知らなかったのです。フィリップ・マーロゥ氏は書いています。すなわち、
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

10.日々の暮らし
あらゆる制度の目的は、個々の幸せです。それが日々の暮らしでした。ビジネスもその例外ではありません。そしてビジネスの目的とは何だったのでしょうか。お金ではなかったのです。それを通して、この世に生まれた意味を確認することだったのです。それは自己確認であり、自己実現でした。どのようにすれば成功するのだったのでしょうか。どのようにすれば幸せになれるのでしょうか。過去からの夢だったのです。そしてそれは、過去を乗り越えることでした。反省を要します。分析を要します。そして見えてくるのです。何が見えてくるのでしょうか。そしてそれを未来に伝えるのでした。あらゆる現象に意味があります。それをこの世で、観じる自分となることができるでしょうか。そして愛と平和を実現するのです。この世に生まれた意味は何だったのでしょうか。あまりにも浮かれた時代があったのかも知れません。各々既に処したる人生があります。支払うべきツケは大きいようです。そして法則があります。困ったことになるのは何故だったのでしょうね。原因は自分が作っていたのです。当然の結果だったのです。蒔いた種は自分が刈り取らねばならない。そして困ることになる種はもう蒔かないことです。そしてその情報をみんなで共有すれば良い。嫌なこと、出来ないことはしなくて良いのです。日々楽しく生きてゆく。そうした時代となりました。デジタル化が進めば進むほど、人はアナログ的なモノに憧れるといわれます。私達は五官で生きています。誰もが同じ事をする必要はありません。それぞれ何かの専門家となって、それをみんなで持ち寄る。そして、価値のある人生を創っていくことが出来る時代となりました。求めるべきは何だったのでしょうか。生活及び人間としてのクオリティです。その意味で、生きていくことを理由に、むしろ知性が貶められていた時代がありました。テレビ及びバラエティ芸能界がその権化でした。民はそれに惑わされました。それが大人であり、社会であり、人生であると思う方々の支配があったのではないでしょうか。日本精神骨抜き政策がありました。それがかの大戦に対する反省かと思ったのでした。それに乗じてのしばらくの繁栄がありました。それがセレブと思ったのです。社会に出ると、学校の論理が否定されていました。しかし、馬鹿になることが幸せではありえません。知ることは最大の喜びです。何か勘違いしていました。さて、楽しく生きてゆきましょうね。私達の時代がやってきました。最も大切なことに気づきました。それは祖先でした。

11. 【結論】 時代のアウフヘーベン
祖先は見ています。そして導いています。サインを出していたのは祖先でした。祖先を喜ばせましょう。必ず、幸せになれます。そして祖先の総体こそ黄泉でした。大義名分とは黄泉の受容祝福守護でした。思うようになりませんね。何故だったのでしょうか。祖先が認めていなかったのです。祖先を裏切っていた。それで神風が吹かなかったのです。この大義名分こそ、征夷大将軍の要件でした。本来日本はこの意味で神国です。苦節孤独三十有余年月の砂漠、浮かれた時代の中で、彼が探さなければならなかったテーマ『失われた何か大切なもの』とはこれでした。賭したのは人生と青春でした。代々の務めは果たしたといいます。彼こそ彼でした。明治以降、百年遅れていたと思われた文明開化=西洋化の結論です。日本は日本で良かったのです。その精神をすべて壊す必要はなかった。経済行為では買えないものがありました。自然財がそれでした。それをも壊してしまった。そしてそのツケは計上されていなかった。何時までも勝手は通りません。彼の理論の要諦です。東洋の良いところと西洋の良いところを見直して、合流です。あるいはアウフヘーベンです。
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雑感

2024年04月11日 03時16分31秒 | Weblog
この世にてすべての謎を解くことがまさか己の使命となりて
真実は那辺にありて輝くと宵の明星鮮やかなりぬ
生まれ来てなすべきことは懺悔なりそして邂逅神仏世界
それまでは決して識らぬ世界あり一度見ぬれば疑いは無し
真実は確かにありて容易くてされど関門己の心
代々の秘密を此所に開示する本来日本絶後復活
何故に本来日本復活す彼こそ彼と父の雷鳴
穏やかな微笑みの中申述す未来約束取り付け至り
世の大臣世襲は既にギロチンで反省したるを得識らぬと見ゆる
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生まれて善かった

2024年04月10日 21時27分01秒 | Weblog
この度の緊急手術、思ったより重傷です。いつまでも歩行困難です。また、血液の循環も芳しくありません。これより養生しながら、人生の最終段階です。多くの読書及び思索がありました。仏道修行もありました。不思議な証明としての大自然からの美しく壮大な証明も経験しました。また、見えない世界からの応答も確認しています。何よりも今、大自然及び大宇宙が急激な変化をしています。その意味も明らかとなっているのです。人類としてこれより大躍進なのです。その要件も確認しました。それは、過去からの悪を払拭して生まれ変わることでした。21世紀の約束だったのでした。生まれて善かったです。
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気付いていますか

2024年04月10日 09時02分10秒 | Weblog
気付いていますか。身心清浄、絶後に蘇る。これが真実だったのでした。急にあらゆる悪事が白日の下にさらされ始めました。子供の頃には、前世からの悪が宿っています。何らかの形でそれらを清算します。そして人間として生まれ変わり、その後の人生に於いて、悪から自由となれるかどうかだったのです。病気が理由で、人生に於いて悪を為さずに経過することもあるのでした。己の悪から自由となってゴールであり、仏だったのです。それからだったのです。これが夢の実現であり、21世紀真実幸福論だったのでした。悪を重ねないことです。悪を払拭することです。そして自由となるのです。これが自由の定義です。そして一切大衆を掬うことが始まります。笑顔満面、掬いです。
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