母、逝く(4) | マキオカのネイチャーな日々

マキオカのネイチャーな日々

山梨県の牧丘に手作りの2区画だけのキャンプ場を作りました。

広い空には満天の星。
ティピィの煙突からはバーベキューのけむりと笑い声。
ハイジのブランコは空まで届きそう。

いるだけで気持ちが和んでいく。そんな不思議なキャンプ場から贈ります。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

ここのところ母の遺品整理をしている。

「人が亡くなるとこんなにたくさんに物が残されるのか」とため息を吐く。
母は綺麗好きで物をどんどん捨てるタイプにも関わらず、意外なほど荷物が多い。

母はお洒落な人だったから洋服が山ほどある。
母の妹に見てもらって欲しいと言ってくれたものは差し上げ、後は全て捨てた。

昔であれば価値があったであろうミンクのコートは、重い上に動物虐待で白い目で見られそうだし、何より日本の風土に合わない。
だが捨てるに忍びないので、我が家の押し入れの奥に押し込める。

踊りの師匠だった母は着物や帯もすごい量。
母と体型が似ているわたしが引き受けることになり自宅に運んだ。
半分に減らし、業者に引き取ってもらうことにしたが、それでも箪笥二棹で収まらなかった。

でもねー、着物って頑張っても年に1、2回着るくらいだし、わたしは着付けも下手くそだし、もしシミを付けたら大枚が飛んでいくんだよね・・・。
これが現金だったら結構な額なんだろうから嬉しいんだけどなー、と恨めしい眼差しを送ってしまう。

未使用の毛染め薬やハンカチ、新品同様のバスタオルや食器をもったいないと思いながらも、さっさとゴミ袋に突っ込んでいく。

先日はついにアルバムの処分に手を付けた。
写真をスキャナーで取り込むため取捨選択をしていくのだが、これは母の人生を辿る作業だった。

分厚いアルバムを積み上げ一枚一枚確認していく。

十代であろう頃のお茶のお稽古をしている写真。
旅行好きの母らしく、町内会や仲間とあちらこちらに行き、夜には宴会やダンスを楽しんでいる写真。
まだ国交を始めたばかりの中国に行き、万里の長城や天安門広場で撮った写真。
香港、台湾、スイスやフランス、わたし達家族と行ったグアムやサイパンの写真。
人生初のスキー、シュノーケルをしている姿。
踊りの師匠としてお弟子さん達に踊りの稽古をつけていたり、発表会で踊っている姿。
孫達を抱き抱え、嬉しそうに微笑む姿。

大量の写真を見ながら気がついたこと。

母は仲間が多く楽しそうだった。
エネルギッシュでパワフルで、やりたいことはどんどんやり、そして結構贅沢をしていたように見える。

驚いたことに、大量の写真があるにもかかわらず、家族四人で旅行に行った写真がほとんどない!
父と二人で撮った写真に至っては二枚しかない!!

ふーむ。
文句ばかり聞いていたから意外な感じがするが、結婚生活以外は結構充実した人生だったのではないか。

なんだかんだ言っても写真って人生が現れるのね。

結局、母は腕にお気に入りの数珠(ふんどし息子がブッダガヤで買ったお土産)をつけ、白地に黒い絞り模様の着物を着せてもらい、その上に四国八十八箇所に巡礼に行った際の白衣を掛け、枕元に伏見稲荷から頂いた手拭いを置き、あの世に旅立った。

それにしても今回の遺品整理は自分の人生を考えるきっかけになった。
わたしの人生が終わった時、子どもや孫はどのような気持ちで遺品を見るのだろう。

それはともかく。
人生いつ何があるかわからない。
出来るだけ早く自分の家の片付けをしなければ、と心に誓うわたしなのでした。

つづく