セブ移住の決意 |   八女でゆったり 一日一生

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          子どもが好きだから小学校教員になりました
                   未知の世界を見たくて海外に飛び出しました
                    現在はお茶どころ福岡県八女市に住んで世界とつながっています

セブの家政婦さん案件に興味をもった私は
何とかその事業に関われないかと考えていました。

そんな折、
香港の銀行口座を開設するツアーの募集があり、
将来の準備のために私も参加することにしました。

2012年の秋に
仲間たちと一緒に香港に行くはずだったのですが、
その頃はちょうど
『香港独立』を掲げるデモが盛んに行われており、
ツアーは出発日直前になって中止になってしまいました。

危険を回避するためには的確な判断でしたが、
初めての海外渡航に期待していた私は
号泣したのを覚えています。



ところが翌日になって、
「なんとか渡航できそうなので、
一部プランを変更して実施します」
という連絡が来ました。

私はすぐに断りました。

すでに諦めがついていましたし、
航空機会社と宿泊予定ホテルに
キャンセル料100%を支払ってしまっていたからです。

でも、そんな気持ちを吹き飛ばす内容が
変更後のプランにはありました。

それは、コミュニティのリーダーから
マンツーマンでコンサルを受ける時間
が設けられるというものでした。

私はセブの事業について話ができるのならと、
再度航空機とホテルを予約し、香港に飛びました。

航空機とホテル代が二重にかかることで
躊躇していたこの時、夫が背中を押してくれていなかったら、
私の教員退職、セブ行きはなかったでしょう。

コンサルの中でセブの事業に興味があることを話したところ、
リーダーはすぐにその事業の責任者と連絡をとってくださり、
私はSkypeで事業責任者と話をすることができました。

これが2012年10月の出来事。


 

2013年1月には、
私は家族と一緒にセブ島に行き、
実際に事業の様子を見ることができました。

ゲストハウスの中では、
日本語だけでなく
料理や洗濯、掃除の仕方なども教えていました。

セブの生徒たちは明るく素直で、
授業はどれもとても楽しく、
日本の学校で疑問をもちながら授業をするよりも
ずっとやりがいがあると思いました。

ジンベイザメと一緒に泳いだり、
海底を散歩したりと、
観光も大いに楽しみました。


 

マイナス30度近い雪の北海道から
30度近くある常夏のセブ島に行った私は、
その気候にも、
美しい海や空にも、
美味しい果物や物価の安さにも
すっかり感動していました。

この1週間で私は、
教員を辞めてセブ島に移住することを決めました。


 

夫は
「定年まで教員を続けて、
 定年後はセブ島に来るから
 老後はセブ島で一緒に暮らそう」
と言ってくれました。

当時大学を卒業したてだった娘も、
反対をしませんでした。

こうして私はセブ移住、

そして永住することを決意したのです。