私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

無常の誤りについて

2024年04月22日 19時32分46秒 | エッセイ
◇無常の誤りについて◇


今朝のツイート記事に書いたものを単独の記事として書いてみようと思います。

無常、無我について(特に無常について)、これまで何となく違和感を感じたままほったらかしにしていたのですが、その違和感の内容がハッキリしたので記事にしておきます。

まず最初に、無常、無我の意味の確認から。
無常とは、一切のことがらは常に変化するものであるという意味です。
無我とは、一切のことがらに実体が無い、あるいは絶対が無いという意味です。

無常とは何を言っているのかというと、ことがらの本質的な性質について常に変化するものだと言っている訳です。
これに対し、無我には、ことがらの実体の有無に関する意味合いだけでなく、ことがらに対して何らかの言及を行う際のその言及そのものに対する意味合いも含まれている訳です。
つまり、無我の矛先は、ことがらに対して無常であると言うその言及にも向けられるということなのです。

無我の観点からすると、一切のことがらに絶対はありませんから、言い切りや断言は一切できないのです。
無常の言う、一切のことがらは常に変化するものであるというのは、言い過ぎであり、厳密に言えば誤りなのです。
なお、一切は常に変化するの「一切」を言わないとしても、変化するものであると言い切っていることには変わりありません。

無常という考えは軽く、どうでもいいのでないかと考えていましたが、誤りであるというのは、私自身、意外でした。
悟りの理解に、無常という考えは必須ではなく、むしろ無用であると結論する次第です。


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読んで頂いてありがとうございました。

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