大阪から西へ向かうのに
ちょっと寄り道しようと
まずは兵庫県朝来市へ向かいました
 
中国縦貫道の福崎ICで降りて
播但連絡道路(自動車専用道路)に入り
生野まで
 
国道312号線にでたら
JR生野駅(西口)はすぐ
駅には観光案内センターがありました
 
 
駅から東側は
口銀谷(くちがなや)という
生野銀山で栄えた街並みが残っています
 
生野小学校の前から
国道429号線へ入り

 

 

レトロな旧生野鉱山職員宿舎の前を

通り過ぎます

 

 

ここは日本で最初に建てられた社宅

 

志村喬記念館とあるのは

俳優の志村喬さんが

子どもの頃にこの社宅に住んでおられたからで

大正時代の社宅の様子が復元されています

 

他にも見どころはあるのですが

そのまま通過して

 

 

生野銀山への矢印に従って

 

 

市川を渡り

 

 

まっすぐ進むと

美しいしだれ桜の並木があり

 

 

銀山の門に到着しました

 

 

鉱山は入場料1000円

約1km歩き40分くらいかかるとのことで

今回は入らずでした

 

大同2年(807)銀が出たと伝えられ

天文11年(1542)但馬守護職・山名祐豊が開鉱

永禄10年(1567)自然銀を多く含む日本最大の鉱脈

織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て

慶長5年(1600)徳川家康が但馬金銀山奉行を配置

享保元年(1716)「生野代官所」が置かれ

吉宗の頃に最盛期を迎え月産150貫(約562kg)の銀を産出

 

明治元年(1868)日本初の官営鉱山(政府直轄)

明治22年(1889)皇室財産に移され宮内省御料局の所管となる

明治29年(1896)三菱合資会社に払い下げられる

昭和48年(1973)に閉山

 

坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種にも及ぶ(HPより)

 

 

生野銀山文化ミュージアムは

平成23年(2011)開業

 

 

門柱に菊の御紋があるのは

皇室の財産だったなごりですね

 

 

現在も三菱マテリアル生野事業所があります

 

 

口銀谷まで戻ってきました

また来ることがあれば

ゆっくり散策したいと思います

 

ここからさらに

国道312号線を北上しました

 

 

生野銀山は大同2年(807年)に銀が出たと伝えられる。室町年間の天文11年(1542年)には但馬守護職・山名祐豊(すけとよ)が銀石を掘り出し、開坑の起源といわれている。永禄10年(1567年)には自然銀を多く含む日本最大の鉱脈(慶寿ひ)が見つかる(銀山旧記には、“銀の出ること土砂のごとし”と記されている)。

その後、織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て、慶長5年(1600年)徳川家康は、但馬金銀山奉行を配置、佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支えてきた。

享保元年(1716年)には「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第八代将軍・吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。

 

明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となった。

 

治22年(1889年)には生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。

明治29年(1896年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、昭和48年(1973年)に閉山した。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいる。

昭和49年(1974年)に観光施設として史跡・生野銀山が開業した。